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『源氏物語』の美しき世界―愛の色を紡ぐ《銀座もとじ 2024年特別コンテンツ》

源氏物語絵色紙帖 橋姫 詞四辻季繼』(重要文化財/京都国立博物館)

2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」がいよいよ放送開始!平安時代、世界最古の長編小説といわれる『源氏物語』の作者・紫式部にフィーチャーした、一人の女性の美しき物語が幕を明けました。

銀座もとじでは、そんなNHK大河ドラマ「光る君へ」の放送にちなんで、作品の核を担う『源氏物語』にまつわる特別なコンテンツを用意いたしました。銀座もとじならではの着物の視点も織り交ぜながら、『源氏物語』の恋愛模様でも大切な要素を担う”色彩”の豆知識や、登場人物の背景など、作品の世界観をより一層楽しめるコラムを約一年に渡り発信していきます。

また銀座もとじの店舗でも、『源氏物語』にちなんだ特別展示をはじめ、作品をモチーフにした限定アイテムの販売なども随時予定しておりますので、是非お運びいただけましたら幸いです。

《新春特別企画》
2024年1月9日(火)より
『十二単(略式)』を展示

平安時代の公家女子の正装である「十二単(女房装束)」を店頭展示いたします。略式ではありますが、平安時代の雅な色彩と織りを再現した伝統の有職織物をぜひご覧ください。

展示期間:2024年1月9日(火)〜18日(木)
場所:銀座もとじ和織・和染
時間:11:00~19:00(予約不要、無料)

〜プロローグ〜
『源氏物語』の誕生秘話

NHK大河ドラマ「光る君へ」放送前の特別編として、初回となる今回は『源氏物語』にまつわる豆知識をご用意いたしました。そもそも『源氏物語』とは、どのような作品なのか?その作者・紫式部の人物像とは?平安当時の歴史に触れながら、作品にまつわる背景をお届けいたします。

『源氏物語』とは?

『源氏物語』は、平安時代中期、作者・紫式部によって創作された全54巻に渡る長編小説です。物語の中心となる主人公は、絶世の美男子である光源氏。その華やかな名前からも、煌びやかなイメージが先行されがちですが、実はその生い立ちの背景はやや複雑。天皇の皇子として誕生しながら、“源氏”という臣下の地位に落とされてしまう不遇な主人公でもあるのです。

源氏物語 紫式部 紫式部日記絵巻(模本)(東京国立博物館大正8年(1919)、原作:鎌倉時代・13世紀)

紫式部日記絵巻(模本)(東京国立博物館大正8年(1919)、原作:鎌倉時代・13世紀)

作品内では、そんな光源氏と数多の女人たちによる恋愛模様が描かれていますが、単なるラブストーリーでは留まらないことも本作の大きな魅力。光源氏の内なる苦悩や葛藤をはじめとする、登場人物たちの繊細な内面描写と共に、当時の貴族社会の構造や平安時代の風俗を、美しい表現で描き出していることから、今日でも”日本文学の傑作”として多くの読者に愛され続けています。

中でも『源氏物語』は、その豊かな色彩表現と物語が密接な関係であることが知られており、ストーリーの進行や登場人物の心情を描く手段として、数々の色彩が描かれることも。1月からのコラムでは、作品内の“色彩”にちなんだエピソードを中心に、各月ごとにお届けしますので、こちらも合わせてお楽しみください。

日本を代表する女流作家・紫式部

『源氏物語』の生みの親でもあり、NHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公として描かれる女流作家・紫式部についてもおさらいしておきましょう。

紫式部 源氏物語 murasakishikibu genjimonogatari 鳥居清長筆 紫式部(東京国立博物館)江戸時代・18世紀

鳥居清長筆 紫式部(東京国立博物館)江戸時代・18世紀

紫式部は、平安時代中期に活躍した女流作家として知られています。その優れた文学の才能は、文化人であった一族の血筋を継いでおり、曽祖父は三十六歌仙の一人である藤原兼輔。また父の藤原為時は、受領階級という地方の国司を務めた中流貴族でありながら、65代「花山天皇」に漢学を教えた漢学者・詩人でもありました。

母は若くして亡くなっていたことから、父・為時のもとで育てられた紫式部は、幼少期から文学の才能に目覚め、家中の書物を全て読み尽くしてしまったほど。その驚くほどの記憶力の良さから、 「男の子であれば、自分の後継者にしたのに」と、為時を嘆かせたというエピソードも有名なお話です。

紫式部 源氏物語 murasakishikibu genjimonogatari 紫式部日記絵巻(模本)(東京国立博物館大正8年(1919)、原作:鎌倉時代・13世紀)

紫式部日記絵巻(模本)(東京国立博物館大正8年(1919)、原作:鎌倉時代・13世紀)

やがて紫式部は、親子ほど年の差がある山城守・藤原宣孝と結婚し一女を儲けますが、その結婚生活は長くは続かず、夫の急逝により未亡人に。その苦境を乗り越え、彼女の文才を活かして書き始めたのが、『源氏物語』だったのです。

そんな『源氏物語』の面白さは、口づてで評判が広がっていき、ついには時の権力者・藤原道長の耳にも伝わります。摂関政治(※1)が盛んだった当時、一条天皇の元へと入内させた道長の娘・彰子の女房(※2)として、紫式部にも宮中へのスカウトの声がかかるのでした。

(※1)藤原氏が天皇の外戚となり、政治の実権を握った政治形態。
(※2)屋敷に住み込みで働いた女性のこと。

紫式部 源氏物語 murasakishikibu genjimonogatari 紫式部日記絵巻断簡(東京国立博物館)鎌倉時代・13世紀

紫式部日記絵巻断簡(東京国立博物館)鎌倉時代・13世紀

清少納言vs紫式部のバトル勃発?!

当時は位が高い女房も多い中、なぜ道長は地位よりも才能を優遇して、紫式部に目をつけたのか?そこには一条天皇の後嗣を巡る、藤原家の権力争いが深く関わっていたようです。

元々、一条天皇は藤原道隆の娘・定子を妃として迎えていました。定子は、『枕草子』の作者・清少納言を女房として従え、芸術を嗜む文化的なサロンを王朝内で開いたことでも知られる人物で、その高い知性からも、天皇からの深い寵愛を受けていました。

そこに天皇との外戚関係を狙い、異例の第二妃として入内を果たすのが道長の娘・彰子。当時若干12歳であった彰子が、教養の面で定子と対抗するためにも、才気溢れる紫式部が教育係の女房として抜擢されたというわけです。

紫式部 源氏物語 murasakishikibu genjimonogatari 紫式部日記絵巻(模本)(東京国立博物館大正8年(1919)、原作:鎌倉時代・13世紀)

紫式部日記絵巻(模本)(東京国立博物館大正8年(1919)、原作:鎌倉時代・13世紀)

しかし紫式部は、実際に宮仕えには乗り気ではなく、内気な性格でもあったことから、宮中での女房生活に慣れるまでには、時間を要したと云われています。また紫式部の才能を妬む女房も多かったことから、その博識さをひけらかすこともなく、目立たない振る舞いに徹していたのだとか。

そんな紫式部も、宮中で書き記した日記『紫式部日記』には、人間関係にまつわる“本音”をしっかりと残しています。中でも有名なのが、紫式部のライバル関係にあたる清少納言について。控えめな紫式部とは対照的で、外交的かつ自己表現を躊躇しない清少納言に対して、痛烈な批判が記されています。ただ実際には、紫式部と清少納言の宮仕えの時期が異なっていることも指摘されているため、二人にどのような面識があったのかはヴェールに包まれたまま。NHK大河ドラマ「光る君へ」では、二人の関係がどのように描かれていくのかも楽しみですね。


<参考図書>
・三田村雅子/著 『紫式部『源氏物語』 想いは、伝わるか』NHK出版、2015年
・吉井美弥子/監修 『語りたくなる紫式部 平安宮廷の表と裏』主婦と生活社、2023年

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