大河ドラマ『光る君へ』で話題の紫式部が書き上げた『源氏物語』。世界最古の長編小説として世界的にも高い評価を得ている作品ですが、実は『紫の物語』や『紫のゆかりの物語』とも呼ばれていることはご存じでしょうか?
なぜこのように呼ばれているのか、紫色の歴史とともにその理由を探っていきます。
世界各地で尊ばれた高位の色・紫の歴史
紫色の染織の歴史は古く、紀元前16世紀頃にはすでに現在のシリア・レバノン沿岸付近にあった都市国家群フェニキアで、貝紫による染色技法が完成されたといわれています。
しかし、たった1gの色素を抽出するために約2,000個もの貝を使用するため、貝紫による染織品はかなりの希少品でした。帝王紫(ロイヤル・パープル)とも呼ばれ、身分の高い人物しかまとうことができず、古代ローマの政治家ユリウス・カエサルの衣服やクレオパトラが乗船した船の帆などに使われていたそうです。
ユリウス・カエサル / メトロポリタン美術館
貝紫による染色は、染めたては黄色い色をしていますが、太陽に当たると緑色に変わり、最終的には赤みがかった紫色に変化。このような独特な色の移り変わりも、より紫色の神秘性を高める要因になっていたのかもしれません。
また、余談ですが、貝紫から抽出した色素は臭気が強烈で、染めたあと布を川でさらすなどして臭気を取り除く必要があったほど。一説によると、ヨーロッパで盛んに香水が作られるようになったのは、この臭気を消すためだったともいわれています。
ヨーロッパだけでなく、アジア圏でも古くから紫色の染色が行われていました。中国では貝紫ではなく紫草から抽出した植物性染料を使用。もともと中国においてもっとも高貴な色は赤でしたが、紫の美しさに魅せられて周王朝の貴人たちがこぞって身に付けるようになり、次第に紫が上位の色に昇格。『論語』には「紫の朱をうばうを悪む」という記述があり、孔子がこの変化に対して嘆いている様子が窺えます。
日本では縄文時代から紫色の染色が行われていました。当初はヨーロッパと同じく貝紫を使用していたようで、佐賀県の吉野ケ里遺跡からは貝紫で染色された布片が発見されています。
この紫色が、日本で高位の色として最初に認識されるきっかけになったのが、冠位十二階です。紫は最上位に位置づけられ、濃い色ほど多くの染料を必要とすることから高位とされました。この頃にはすでに貝紫ではなく、中国からもたらされた紫根による染色に切り替わっていたようです。
平安時代に確立された紫色の“種類”
『源氏物語図 若菜上下』西川祐信 / 京都府立京都学・歴彩館 デジタルアーカイブ
世界各地で高貴な色として扱われていた紫色。日本においても冠位十二階で紫色が最上位に採用されて以降、そのイメージが定着しつつありましたが、そんな紫色が単に身分を示すだけのものではなく、より文化的な意味を持ち始めるようになったのは平安時代でしょう。
平安時代は“色の黄金時代”とも呼ばれており、現在も残る数多くの色名がこの頃に誕生。紫色も濃淡や色味によって多くの名前がつけられました。
<紫の色名例>
色参考:伝統色のいろは
このほか、二藍(ふたあい)と呼ばれる紫も貴族に好まれていました。この色は紫根ではなく、藍に紅花を重ね染めしたもの。紅花はもともと呉藍(くれあい)と呼ばれていたので、二つの藍ということで二藍と呼ばれるようになったのです。
このように多くの色名で表現された紫色は、その美しさと高位の者しか身に付けられない希少性が相まって多くの貴族の憧れの色、いわゆる“めでたき色”とされ、清少納言も『枕草子』の中で「すべて、なにもなにも、紫なるものは、めでたくこそあれ。花も、糸も、紙も。」と賞賛しています。
文学から垣間見れる高貴な“ゆかり”の色
『源氏物語図屏風』土佐光吉・土佐光則 / メトロポリタン美術館
“紫”という漢字は“むらさき”だけでなく“ゆかり”とも読みますが、この読み方の所以は紫草の根である紫根の特性が大きく関係しています。
紫根は揮発性が高いため色移りしやすく、干した紫根を和紙に包んでおいておくとほんのり和紙が紫色に染まってしまうほど。このことから紫は「近くのものを染める色=ゆかりの色」と呼ばれるようになり、これが紫の読み方としても定着したといわれています。
このように、紫色や紫草を縁に例えた歌はいくつか残されており、例えば『古今和歌集』には
“むらさきの色こき時はめもはるに野なる草木ぞわかれざりける(春に紫草の根が色濃くなっている頃は、その根につながる野の草木ははるか向うまで見分けがつかないほどです。そのように、私の妻につながる貴方を、私は他人とは思わないのです)”
という歌が掲載されています。
そして、紫色は歌だけでなく物語のモチーフにまで発展。それが『源氏物語』です。
『源氏物語』には、「紫の上」「藤壺」など紫にまつわる名前を持つ人物が登場し、『若紫』と呼ばれる巻名があり、そして作者も紫式部で、紫色の要素が満載。物語の内容も、恋愛を軸にした“高貴な”人々の人間模様から紡ぎ出される“ゆかり”の物語であり、まさに紫色のイメージを体現した内容になっていることから、『紫の物語』や『紫のゆかりの物語』などとも呼ばれているのです。
実はわかっていない平安貴族が愛した紫色
平安貴族たちが“めでたき色”と称し、憧れた紫色。
しかし、実はもっとも高貴な人しかまとうことができなかった最高位の紫色がどのようなものだったのかは、はっきりとわかっていないそうです。なぜなら、当時の装束が1枚も現存していないから。宮中の装束文化は受け継がれているものの、実際に当時の装束自体を見ることはできず、色彩を知ることも叶いません。
平安時代に紫色はあまた存在しましたが、最高位の人物しか身に付けられず、その希少性・神秘性から当時の貴族の誰もが憧れた紫色とはどのような色だったのかは、現物がない以上、私たちは残された資料から想像するしかないのです。
『源氏物語』を、紫式部はどのような紫色を想像して書いたのか、貴族たちはどのような紫色を想像して読んだのか。当時の人々の色の世界がどのように広がっていたのかをイメージしながら、改めて『源氏物語』をはじめとする平安時代の作品に触れてみるのも面白いかもしれません。
【参考資料】
・『歴史にみる日本の色』中江克己 / PHP研究所
・『日本の色の十二か月』吉岡幸雄 / 紫紅社
・『不安になると求める色?「紫」を“ゆかり“と読む理由や意味を解説』 / 和樂web
・『光源氏が見た平安ファッション』鳥居本幸代
・『紫式部の“紫”はどんな色?―失われた平安の色を求めて―』NHKサイカル研究室
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