『美人大首絵(びじんおおくびえ)』渓斎英泉(けいさいえいせん) / メトロポリタン美術館
日本国旗である日章旗、いわゆる日の丸の赤い色に決まりがあることはご存知でしょうか?実は、日の丸の色は“赤”ではなく“紅色”と定められているのです。“赤色”にしてしまうと、その意味する範囲が広くなってしまうため、鮮やかな赤を指す“紅色”になったようです。
そんな紅色は、古来衣服や化粧品などあらゆるものに使われてきた日本人にとって非常に馴染みのある色であり、かつ羨望の色でもありました。
今回はそんな紅色の魅力を、歴史を紐解きながら探っていきます。
貴族の間で流行色になった
平安時代の紅色
紅色の原料となる紅花は、エジプトのナイル川流域が原産で、日本には4~5世紀ごろに中国を経由して伝わったといわれています。紅は“くれない”とも呼ばれますが、その由来は、もともと染料全般のことを指していた“藍”という言葉に、中国を表す呉(くれ)を組み合わせて「呉藍(くれあい)」と呼ばれるようになり、それが次第に“くれない”に転訛したそうです。
紅色が、人気色として最初に注目を集めたのが平安時代。紅色は染織に手間がかかるため希少な色であり、特に濃い紅色は一部の貴人のみしか着用を許されない禁色(きんじき)でしたが、貴族たちの間で衣服や化粧品用として大人気に。“流行”の意味を持つ“今様”という言葉を冠した「今様色」と呼ばれるようになりました。あまりの人気ぶりに、延喜18(918)年には紅花の使用を禁止したほど。
『源氏物語』でも、今様色を身にまとった光源氏や紫の上の様子が描かれており、二人の華やかさや美しさを効果的に演出しています。また、光源氏に紅花の異称でもある「末摘花(すえつむはな)」と呼ばれた女性も登場します。この呼称は、彼女の鼻が象のように長く垂れ下がり、しかも先端が赤くなっている醜女であったことから「赤い鼻=ベニバナ」というネガティブな意味で名づけられたもの。しかし、彼女の清らかな心に触れて光源氏は想いを改め、晩年は彼の妻の一人として平穏に過ごしました。
“偽物”でも
人々にもてはやされた
江戸時代の紅色
日本における紅花の栽培は、当初九州や中国、近畿地方など西日本で行われていましたが、中世末期ごろからは気候が適していた山形県の最上川流域が中心になります。この地域で作られた紅花は発色が非常によく、美しい赤色を染める染料として米沢藩の名産品となり藩財政を支えました。実際に、日本の特産品をランキング形式で発表した『諸国産物見立相撲』では、東の関脇に最上紅花、西の関脇に阿波の藍玉がランクイン。江戸時代の二大染料として藍と人気を二分していたことが窺えます。
紅餅※つくり(「紅花絵巻」より) / 新庄デジタルアーカイブ
※紅餅・・・紅花から作る染料のこと。
江戸時代「紅」は「金」
に値する高級品だった
そんな紅色の流行は、平安時代は貴族の間にとどまっていましたが、江戸時代になると庶民にも拡大します。紅は「紅一匁(もんめ※)、金一匁」といわれるほどの高級品で、庶民にはなかなか手が届かないものでしたが、江戸時代前期の承応年間(1652〜1655年)に安価な紅色の絹布が流行。これは、甚三紅(じんざもみ)と呼ばれ、京都長者町の桔梗屋甚三郎(ききょうやじんざぶろう)が考案したものです。女性の衣服の胴裏に用いられましたが、実はこの甚三紅は紅花ではなく、蘇芳あるいは茜を使って染めたものと言われています。甚三郎はこの甚三紅を、紅花で染めた“本紅(ほんべに)”とごまかして江戸で販売。そこで儲けた金銭で真綿を安く仕入れ、京都に持ち帰って売るという鋸商いを10年続けて財を成したという逸話が、井原西鶴の『日本永代蔵』で紹介されています。この甚三紅は、紛紅(まがいべに)と呼ばれたものの、本紅と遜色のない色が手軽に手に入るとして、庶民の間で人気を博しました。
※匁(もんめ)・・・尺貫法の単位の一つ。一匁は一貫(いっかん)の千分の一で約3.75グラム。
『美人大首絵※』渓斎英泉 / メトロポリタン美術館
※大首絵・・・主に江戸時代に描かれた浮世絵の様式のひとつで、歌舞伎役者や遊女、評判娘などの半身像を描いた浮世絵版画のこと。
染料以外にも、紅花は口紅やほほ紅、爪紅(マニキュア)など、化粧品の原料としても古くから活躍。江戸時代は、黒い髪とお歯黒の黒、白粉の白、そして紅色が作り出す3色のコントラストが美しいメイクの要でした。特に口紅は江戸時代後期になるとメイクの主要なポイントになり、本紅の口紅が、京都の紅屋が売り出した「小町紅」というブランドで普及。濃く塗り重ねるとやや緑がかった玉虫色に輝くことから「笹色紅」と呼ばれ、大流行しました。しかし、そのような高価な紅を手に入れることができない庶民の女性たちは、代わりに墨と安価な紅を塗り重ねて玉虫色を表現していたそうです。
『江戸名所百人美女 堀の内祖師堂 (江戸名所百人美女)』歌川豊国・歌川国久 / 国立国会図書館デジタルコレクション
さらに、紅花から抽出したエキスは生薬としても知られており、女性たちは冷えや婦人病の予防として紅染めの襦袢を使用していました。このように、紅色は希少な色でありながらも人々の身近な色だったのです。
日本人が憧れた
“もののあはれ”の色
平安時代の貴族から江戸時代の庶民まで、多くの人々の憧れとなっていた紅色。
赤い色自体は、古くから血や火、太陽に通じることから神聖視され、魔除けの色としても認識される特別な色だったので、人々にとって馴染み深いものでした。しかし、赤と一口に言っても、朱色や茜色など多彩なバリエーションがありますが、紅色ならではの魅力はどこにあるのでしょうか。
まず1つ目は希少性です。
通常、植物は複数の色素で構成されているため、染織すると複雑に色素が混ざり合い、多少彩度が落ちてくすみます。これが草木染の柔らかく優しい色合いを表現しているのですが、染織に使われる紅花の花弁の色素は、ほぼ黄色と赤色のみ。そのため、黄色色素を取り除くと鮮明な赤色色素を抽出することができますが、非常に手間がかかるのが難点。しかも、濃い色に染めるためには黄色で下染めをしたり、赤色の染めを繰り返したりする必要があります。さらに、紅花の赤色色素は含有量が少なく、大変希少なものでもありました。
高級品であることに加えて、このような彩度の高い赤を表現できる染料は化学染料が輸入される明治時代以前にはなかったため、多くの人々の羨望の的になったと考えられます。
そして、2つ目は鮮やかな色を保つのが難しいという点です。
紅花は、茜など他の赤色染料より色が変わりやすく、大量の染料で何度も染め重ねる等、鮮やかな染色を保持するには高い技術と時間を要します。紅色の堅牢度の低さはすでに奈良時代には認識されていたと考えられています。色が褪せやすいというのは一見ネガティブにも思えますが、日本人は古くからそんな紅花の性質に“移ろい”や“儚さ”というイメージを重ねていました。
例えば『万葉集』におさめられている大伴家持の歌に、次のようなものがあります。
「紅(くれない)はうつろふものぞ橡(つるばみ)のなれにし来ぬになほしかめやも」
紅色は華やかである一方、その華やかさが長持ちしない。しかし、ドングリの実で染めた橡色は地味だけれ、変わらずに続くという性質を、浮気相手の女性と慣れ親しんだ妻に例えて詠んだもの。これは、家持が妻以外の女性に現を抜かす部下に対して諭した歌と言われています。
さらに、紀貫之も『古今和歌集』で
「紅に染めし心もたのまれず人をあくにはうつるてふなり」
という歌を詠み、あくに“飽く”と“灰汁”をかけ、灰汁に紅花染めの布を浸けると紅い色素が抜けることを恋人の心の移ろいと重ね、哀切の感情を表現するなど、恋愛感情の例えとして、紅色は多くの和歌に取り入れられています。
また、山の端に沈みかけていく落日の色合いを何度も染め抜いた濃い紅色に例えた
「紅のちしほのまふり山の端に日の入るときの空にぞありける」
という『金槐集』に残されている源実朝の歌のように、情景の美しさを形容する色としても多く使われています。
日本環境共生学会常務理事・筑波大学名誉教授の木村美智子氏は、このような和歌に使われている紅色について、『万葉集』を例に以下のような見解を示しています。
”万葉集では紅花や紅はどれも が「美し過ぎる色」のメタファーとして取り上げられていたことや、退色の早さが周知の事実だったことに、今更ながら驚いている。日常(ケ)ではなく、非日常(ハレ)の場でこそ紅花の赤色が求められたのは、この「美し過ぎる色」にあったのではないか。そして、退色させないように、日の光にさらさないよう大事に取り扱われてきたのではないだろうか”
他にはない鮮やかさを持ちながらも、移ろいやすい希少な色。紅色は、花でいう桜に見られるような華やかさと儚さのコントラストが、無常観的な哀愁、いわゆる“もののあはれ”を愛でる日本人の美意識に調和したのではないでしょうか。このような日本人の象徴的な感性を示している紅色は、ある意味日本国旗に染め上げられる色としては格好の色と言えるのかもしれません。
染織文化に残る
日本人の繊細な色彩感覚
もともと人々にとって染織とは身近なものでした。染料となる植物の性質を直に感じる機会が多く、同時にそれぞれの色の違いや変化を感じ取り、日々の生活に取り入れて文化として昇華させながら、世界でも類をみない繊細な色彩感覚と感性を培ってきました。しかし、現在ではそんな染織の美しさに触れる機会はほとんどありません。和装は、そんな古より継承されてきた“染織”を直に感じる貴重な機会を提供してくれるものでもあります。ぜひ装いを通して紅色のより深い魅力に触れてみてはいかがでしょうか。
【参考資料】『歴史に見る「日本の色」』中江克己 / PHP研究所
『染めと植物』島津 美子 / 国立歴史民俗博物館 くらしの植物苑だより
『天然染料と衣服』青木正明 / 日刊工業新聞社
『日本の色のルーツを探して』城一夫 / パイ・インターナショナル
『花びらの染料紅花』大津玉子
『紅花と持続可能性』木村美智子
『中古人より見たる色彩(三)』前田千寸
『和歌文学に現れた「紅」』中西満義
「知るを楽しむ」コラム一覧
山岸幸一 喜寿記念展
~植物染め 祈りの織物~
“かろやかで、あたたかく、美しい一枚の着物”
染め織り人、山岸幸一氏の工房は、水・風・太陽が最高の条件となる山形県米沢市の赤崩にあります。
自ら大地を耕し、染料となる草木を育て、蚕を飼育し、真綿から糸を紡ぎ、手機で織り上げます。
自然界の恵みをいただき織りなされた着物は、纏った瞬間に人の体温が宿り、生命の彩が響きます。
プラチナボーイはじめ、男性・女性着尺、名古屋帯など記念展作品が一堂に揃います。是非、ご高覧ください。
会期:2023年11月24日(金)~26日(日)
場所:銀座もとじ 和織、男のきもの
〈お問い合わせ〉
銀座もとじ和織 03-3538-7878
銀座もとじ男のきもの 03-5524-7472
(電話受付時間 11:00~19:00)