著者:外舘和子(多摩美術大学教授・工芸史家)
絣織は具象的な絵絣から抽象的な連続模様まで、予め染め分けた絣糸により一種絵画的な表現が可能な織物である。
日本では、重要無形文化財に指定されている福岡の久留米絣をはじめ、広島の備後絣、愛媛の伊予絣などの代表的な産地の絣も知られ、その土地の歴史を反映した絣の作家や職人たちが活躍している地域もある。
一方で、首都圏の一般サラリーマン家庭に生まれ、自らの興味と意志のもと専門学校や大学で染織を学び、織の道に入る者もいる。戦後は徐々にそうした作り手の割合も増えつつあり、鈴木典子は後者のタイプの織物作家である。本稿執筆に際し、2025(令和7)年5月30日、都内の住宅地で現在も精力的に制作する鈴木典子の自宅・仕事場に取材した。
東京クラフトデザイン研究所で織の道へ
鈴木典子は1953(昭和28)年、東京都の台東区に生まれ、ほどなく現在の住まいである渋谷に移り、渋谷の閑静な住宅地で幼少期から過ごしてきた。隣には日本画家が住んでおり、少女時代から絵画の魅力に親しんだという。また、叔母が日本刺繍の職人をしており、折につけ、叔母の刺繍を見ては、絹の色糸の美しさに魅せられて育った。
日本画や日本刺繍という<日本の美>の世界に触れた鈴木は、十代で美術的な世界に進みたいと考えたが、両親は必ずしも大賛成というわけではなかったという。家を出て地方で学ぶのではなく、自宅から遠くない学校ならば、という条件で、神奈川県の東京クラフトデザイン研究所で織を学ぶこととなった。
東京クラフトデザイン研究所では当時、染・織・陶・金工を学べるコースがあったが、色糸の美に惹かれていた鈴木は、平面構成などの勉強をしつつ、当然のように織を専攻している。当時の鈴木の主要な指導者は黒沢信雄(1999年没)(註1)であった。
同研究所では、作りたい図案や模様の世界を、色彩を吟味して表現することなどを徹底して勉強した。
例えば、ポスターカラーで図案を描くと、使用したポスターカラーの色を、どの染料をどのように配合すれば再現できるのかを実験していく。しかし、化学染料であっても近い色の再現は簡単ではなかったという。赤を何パーセント、黒を何パーセントなど、いわば科学の世界でもあり、自身の眼を厳しく鍛えることにもなった。しかしながら、そうした体験は、後に鈴木が植物染料で糸を染める際にも、媒染剤をどうするかなど、根気よく糸染めや制作に取り組む姿勢に繋がっていった。
鈴木はその熱意や才能を認められ、同研究所を卒業した1976(昭和51)年から1979(昭和54)年まで、指導者・黒沢信雄のもとで織科の助手として勤務している。1980年代には、当時、工芸にも熱心であった渋谷の西武百貨店で「黒沢信雄工房展」にも出品した。
なお、この研究所で学んだ染色作家に、現在、日本工芸会で活躍する岩井香楠子(1938-)がいる。岩井は東京藝術大学で日本画を専攻した後、同研究所で染色を学んでいる。岩井は染で、鈴木は織で、後に同じ日本工芸会で切磋琢磨することになるのである。
注1:生没年は明らかな範囲で記すこととする。
(図1)鈴木典子作 紬織着物「遥か」1,380,000円(税・仕立て代込み)
※第54回日本伝統工芸染織展 奨励賞・京都新聞賞(2020年)
佐々木苑子に学ぶ―織に集中することの大切さ
鈴木が学生時代に、本や実際の作品を見て憧れた作家は、松枝玉記(1905-1989)と佐々木苑子(1939-)である。松枝玉記の絵絣の自由さや大胆さ、あるいは佐々木苑子の鳥やカブトムシを洗練された独自の絣模様で表現する作品などに魅せられたという。
奇しくも、鈴木は、東京クラフトデザイン研究所の織科の助手をしていた時、教師の一人、稲垣二郎から、佐々木苑子のもとで綜絖通しなどの手伝いをしないかと声をかけられた。綜絖通しは、大まかにいえば経糸のセッティングであり、織物の要ともいえる工程の一つである。憧れの作家の仕事を間近で手伝うことは、実践的で貴重な勉強の機会となる。鈴木は、1978(昭和53)年から1980(昭和55)年まで佐々木のもとで学んだ。
鈴木が通い始めた当初、他にも弟子入りしていた女性がいたが、鈴木はいわば佐々木苑子の一番弟子の一人といってよい。佐々木のもとで鈴木は、師である佐々木の基本姿勢、「織に集中する事の大切さ」を徹底して学んだ。毎日、弁当持参で通い、工房内では私語は慎み、ひたすら気持ちを織の仕事に集中するよう指導された。生活そのものを、織を中心に組み立てていくような在り方である。佐々木自身も、織る前に教会を訪れて心を平静にし、織のリズムに微塵の乱れもないような状況のもとで仕事を進めると語っていた(註2)。そのような、文字通り姿勢を正して過ごし、健康に配慮した食材を選び、織に集中できる人間性を生活習慣の中から築いていくというストイックで厳しい生き方を、鈴木をはじめとする弟子たちは学んだ。この、「織への集中力」こそは、その後の鈴木の制作継続において最も重要な学びとなったに違いない。
1981(昭和56)年、鈴木はジャズサックス奏者と結婚しているが、婚姻後も染織から全く離れるということはなかった。結婚した年から1983(昭和58)年まで伝統工芸武蔵野展に出品を続け、1984(昭和59)年には第24回伝統工芸新作展(現在の東日本伝統工芸展)に初入選している。その後、子育て中にも、ストールやアクセサリーの裂部分などの小品を手掛けつつ、展覧会への発表意欲は薄れることがなかった。
また、鈴木は1985(昭和60)年から翌年まで、和光の個展を控えた佐々木苑子の仕事を手伝うため、再び佐々木のもとに通っている。
さらに、2005(平成17)年、佐々木苑子が重要無形文化財「紬織」保持者に認定された直後の多忙な時期も、鈴木は佐々木の紬織の伝承者研修などで師を支えた。
註2:外舘和子「歓びを織る」(連載「工芸の地平から」)『毎日新聞』2016年1月30日執筆のための筆者による佐々木苑子への取材より。
絣模様の創造と新たな挑戦
都心で制作する鈴木の仕事場は決して充分に広いというわけではないが、実に整然として無駄がない。やや大きい機の置いてある場所、図案のスケッチや草稿と、それを方眼紙に落とし込み、経糸の数などを書き込んだ「設計図」のファイルや色鉛筆が置かれたデスク回りなど、段取りや緻密な計算が必要な織の作家らしい仕事場である。現在は、その仕事場で、頭脳と手と眼、そして感性を最大限に発揮して仕事をしている。
鈴木によれば、仕事場のレイアウトは家族が同居していた頃よりも、現在の方が整理されているというが、鈴木は1980年代以降、家族にも支えられながら、制作を継続してきた。前述したように1984年には現在の東日本伝統工芸展に初入選し、その後2011(平成23)年には第45回日本伝統工芸染織展に、翌2012(平成24)年には、第59回日本伝統工芸展に初入選している。
鈴木の絣表現には、着物全体にタテの流れを生かした抽象的な連続模様のタイプや、地色となる色面を市松的に、もしくは着物のヨコ幅を生かした段状の色面構成の中に具象的な絣模様を配したものなどがあるが、いずれも柔らかく爽やかな色調で、軽やかである。
鈴木の作品制作のヒントは、自然の風景や植物、建築物の印象から、小説や音楽までと実に幅広いが、いずれも説明的になりすぎず、軽快な印象を与える。それは、鈴木の美意識や感性と共に、絣という、自ずと簡略化や抽象化を促す技法によるからでもあろう。
例えば、今回の『和織物語』の表紙にもなっている《紬織着物「遥か」》(図1)は、スティーヴ・ライヒの音楽にインスパイアされた図案(図2)から制作された作品である。繊細なリズムを刻む中に静かでドラマティックな旋律が響くライヒの楽曲を、インド藍、槐、タンガラの染料を使い、抑揚のある楕円と円を組み合わせたかのような絣模様を一定のリズムで着物に配し、抽象的な世界に纏めている。この着物は、2020(令和2)年、第54回日本伝統工芸染織展で奨励賞・京都新聞賞を受賞した。
また、最新作の1枚、今年2025(令和7)年の第65回東日本伝統工芸展に入選した《紬織着物「芽吹き」》(図3)は、春の芽吹き、種から芽生えてくる生命力をテーマにした作品である。染料としては、槐、インド藍、コチニール、キハダ、矢車草が用いられているが、春を思わせるグリーン系の大きなタテ縞の中に、〇で菱形と四角を築いた絣模様を交互に配し、楽し気で愛らしいデザインの着物としている。
(図2)紬織着物 「遥か」図案
(図3)鈴木典子作 紬織着物 「芽吹き」1,300,000円(税・仕立て代込み)
*第65回東日本伝統工芸展 出品作(2025年)
さらに、2021(令和3)年に制作した《紬織帯「縷縷Ⅰ」》(図4)は、染料にインド藍、槐、ログウッドを使用し、比較的大きな円形を、交互に濃淡を変えつつ連続させた、白場が爽やかな帯である。注目すべきは、絣模様の円形に対して組織織の線が組み合わされていることである。鈴木の文様表現の新鮮さは、そうした絣と組織織の組み合わせの妙にもよる。実は、前述の《紬織着物「芽吹き」》においても組織織がポイントとして組み込まれている。
近年の鈴木の意欲的な取り組みの一つは、そうした絣と組織の組み合わせである。それらが相乗効果を上げ、それまでにない創造的な織物の表現に至ることを目指し、鈴木の挑戦は続いている。 この度の銀座もとじ初個展では、これまでの日本伝統工芸展等への出品作を中心に、最新作を含め、鈴木典子の世界を、その旺盛な実験精神と共に楽しめるはずである。
(図4) 鈴木典子作 紬織帯「縷縷Ⅰ」450,000円(税・仕立て代込み)
撮影:塩川雄也
外舘和子(とだてかずこ)氏プロフィール
東京都生まれ。美術館学芸員を経て現在、多摩美術大学教授、愛知県立芸術大学客員教授、工芸評論家、工芸史家。英国テート・セント・アイブスを皮切りに、海外巡回展『手仕事のかたち』、米スミス・カレッジ、独フランクフルト工芸美術館など、国内外の美術館、大学等で展覧会監修、図録執筆、講演を行う。また韓国・清州工芸ビエンナーレ、金沢世界工芸トリエンナーレ、日展、日本伝統工芸展、新匠工芸会展など、数々の公募展の審査員を務める。著書に『中村勝馬と東京友禅の系譜』(染織と生活社)、『Fired Earth, Woven Bamboo: Contemporary Japanese Ceramics and Bamboo Art』(米ボストン美術館)など。毎日新聞(奇数月第2月曜朝刊)に「KOGEI!」連載中。
鈴木典子 年譜
1953年 東京都生まれ
1976年 東京クラフトデザイン研究所織専攻科卒
1976年~79年 同研究所 織科助手として勤務
1978年~80年 佐々木苑子氏に師事(現重要無形文化財保持者)
1981年~83年 伝統工芸武蔵野展 入選
1983年~ 黒沢信雄工房展に参加数回(渋谷西武デパート他)
1984年 第24回伝統工芸新作展 (現東日本伝統工芸展)入選
1985年~86年 佐々木苑子氏の工房に通う
1988年 京都新人染織展 入選
1989年 「染織四人展」銀座渚画廊
2008年 第20回 全国染織作品展 奨励賞
2010年 第50回 日本伝統工芸展 和楽賞
2011年 第45回 日本伝統工芸染織展 初出品 初入選
2012年 第59回 日本伝統工芸展 初出品 初入選
2015年~ 佐々木苑子 重要無形文化財「紬織」伝承者育成研修会 助手を務める
2016年 (公社)日本工芸会 正会員認定
2018年 第58回 東日本伝統工芸展 根津美術館館長賞
2020年 第54回 日本伝統工芸染織展 奨励賞 京都新聞賞
2025年現在 渋谷区自宅にて制作
鈴木典子の織-絣の可能性を求めて《開催終了》|9月催事
会期:2025年9月12日(金)~15日(月・祝)
場所:銀座もとじ 和織、男のきもの、オンラインショップ
〈お問い合わせ〉
銀座もとじ 和織・和染(女性のきもの) 03-3538-7878
銀座もとじ 男のきもの 03-5524-7472
(電話受付時間 11:00~19:00)
ぎゃらりートーク
日 時:9月14日(日)10時~11時【開催終了】
登壇者:鈴木典子氏、外館和子先生(多摩美術大学教授・工芸史家)
会 場:銀座もとじ 和織
定 員:40名様(無料・要予約)
作品解説
日 時:9月13日(土)/15日(月・祝)各日14時~14時半【開催終了】
会 場:銀座もとじ 和織
定 員:10名様(無料・要予約)
在廊
9月12日(金)13時~18時
9月13日(土)~15日(月・祝)11時~18時
鈴木典子さんの工房レポート
都内にある鈴木典子さんの工房を訪ね、制作現場と日々の仕事についてお話を伺いました。