写真:寛文6(1666)年に刊行された初の小袖模様雛形本『新撰御ひいながた』
現在の着物の原型である小袖。もともと庶民の実用着であり、公家階級においては下着として着用されていましたが、室町時代頃から男女ともに主たる衣服へと発展。戦国時代~江戸時代初期にかけて小袖を中心とした服飾体系が出来上がっていきました。
小袖の最大の特徴ともいえるのが、直線裁断による上下ひと続きの形式です。時代によって袖丈や身幅、身丈に多少の違いはあれど総じて平面的で、洋服のようなボタンやポケット、襞、切れ込みなどの立体的な装飾がありません。
このシンプルな小袖の形式が、日本人ならではの意匠感覚を投影させる格好のキャンバスとなり、特に江戸時代を通してファッションとして大きく発展。世界でも突出したバリエーションを誇る模様と高度な技術を生み出し、現在の着物文化の礎を築きました。
では、江戸時代約260年の中で小袖はどのような変化を辿ったのでしょうか。時代ごとの模様のトレンドを読み解きながら、その変遷を見ていきましょう。
17世紀前半:慶長小袖
慶長小袖とは、桃山時代の武家女性の小袖から発展し、江戸時代初期の慶長年間に成立した小袖形式のことで、厳密にいうと慶長末期から流行したもののことを指します。
桃山時代までの小袖は、肩と裾だけに模様を配置する「肩裾」や、左右肩身ずつで意匠を変える「肩身替わり」、上下左右で区切った「段替わり」など、整然と区画された左右対称性のある意匠構成が基本でした。
『縫箔 紅白段短冊八橋雪持柳模様』(重要文化財/東京国立博物館)
16世紀・安土桃山時代(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)
しかし江戸時代初期にあたる慶長期の小袖は、前代までとは異なり雲形や山形などのような動きのある区画になり、地は単なる背景ではなく全体の調和を意識した一つの模様としての役割を果たすものが多く見られます。
『縫箔 浅葱白段紗綾地海賦模様』 (メトロポリタン美術館)
16~17世紀・安土桃山~江戸時代
また、この頃の小袖は縫いや絞りによって地を複雑に染め分け、各部に刺繍や摺箔、鹿の子絞りを用いて山水花鳥をはじめとするさまざまな模様を、精緻かつ華やかに表現している点が特徴。地が見えなくなるほど密に装飾が施されているものは「地無(じなし)小袖」とも呼ばれています。
『小袖 黒紅染分綸子地松皮菱段草花文様』(重要文化財/京都国立博物館)
江戸前期(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)
17世紀後半:寛文小袖
『振袖 白綸子地大菊小花模様』(東京国立博物館)
17世紀・江戸時代(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)
寛文元(1661)年の東福門院和子(とうふくもんいんまさこ)の注文控え帖『雁金屋雛形帖』や、寛文6(1666)年に刊行された初の小袖模様雛形本『新撰御ひいながた』に描かれた小袖は、それまでの主流であった「地無」ではなく、左肩を起点に右肩を通って右裾へ降りていき、左身頃あたりに空白を設ける柄行が多く見られます。これが寛文小袖の特徴であり、前代までの構成的な模様から、より躍動感のある絵画的な模様への変化が見て取れます。
『新撰御ひいながた』(国立国会図書館)
さらに、模様のモチーフも多様化。花鳥風月や器物、文字のほか、古典・謡曲を取材した見るものの理解を求めるような寓意的なものも登場。自然の風物を表すにしても、単に写実的に表現するのではなく、一捻りして面白みを狙った表現をとるなど、機知に富んだ自由度の高い模様が見られるようになっています。
技法としては、鹿の子絞りを中心としつつ刺繍と縫い絞りを併用するものが多く、また金の摺箔に代わって金糸が好まれるようになりました。
18世紀前半:元禄小袖
『白縮緬地桐ニ市松文様縫染小袖』(東京国立博物館)
元禄時代(18世紀)(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)
延宝~元禄期は、明暦の大火以降経済力をつけ始めた町人階級の人々が、武家に代わって徐々に文化の担い手となっていく時期。かつては武家の占有物であった豪華な小袖が、裕福な町人階級にも普及。豪商夫人たちが華やかさを競う衣装比べ(伊達比べ)まで行われるようになり、過剰になりすぎて財産を没収される商家が出たほどだったそうです。
そんな町人たちの間に広がる豪奢な風潮に歯止めをかけるべく幾度となく禁令が出され、17世紀末頃には、鹿の子絞り・金紗(金糸)・縫箔の制作・売買・着用が禁止に。しかし、『本朝二十不孝』に「御法度は表向きは守り、内證は鹿子類さまざま調え」とあるように、一向におさまる気配はなかったようです。
この頃の小袖は、刺繍や鹿の子絞りなどを主体とする寛文期の特徴を残しつつ、それまでの右肩寄りの模様配置から全面模様へと移行。技巧を凝らした豪奢な衣服で、富裕町人たちの装飾欲を満たしました。
『小袖 白綸子地梅樹竹垣模様』(東京国立博物館)
18世紀・江戸時代(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)
一方で、禁令による制約に対抗するため、小袖業界は新たな技法を意欲的に開発。その代表格が友禅染です。糸目糊と多彩な色挿しによる染色技法によって、刺繍や絞りだけでは叶わなかった模様表現が可能に。この頃から小袖模様の主技法が、刺繍や絞りから染めへと徐々に移行していきます。
さらに、友禅ブランドは技法面だけでなく「友禅模様」と呼ばれる意匠面でも脚光を浴びます。中でも象徴的なのが花の丸模様で、古風でありながらモダンな雰囲気も感じられる意匠としてもてはやされました。
『友禅ひいながた : 御所都今様. 巻1(小袖)』(国立国会図書館)
そしてこの時期は、画家に直接模様を描かせる“描絵(かきえ)小袖”も流行。この世にたった一着という珍奇性が服飾にこだわる人々の憧れを誘ったのでしょう。以降も上流階級の間でもてはやされ、現在も尾形光琳や酒井抱一などが手がけた作品が残されています。
『小袖 白綾地秋草模様』尾形光琳(重要文化財/東京国立博物館)
18世紀・江戸時代(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)
18世紀半ば~後半:宝暦~天明期頃の小袖
『小袖 浅葱絹縮地浜辺千鳥歌文字模様』(東京国立博物館)
18世紀・江戸時代(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)
元禄期までの経済・文化の担い手は上方が中心でしたが、宝暦~天明期にかけて江戸を拠点とした町人文化が開花し始めます。この頃の小袖は、享保の改革にはじまる倹約を励行する風潮もあり、前代までの表面的な過飾を敬遠し簡素な意匠に移行。
模様を白く染め抜く白揚げ技法を母体とし、友禅染や刺繍を補助的に取り入れて散らし模様を表現した、繊細かつ瀟洒なものが顕著に。裾や褄のみに模様を配した裾模様や褄模様も増えていき、最小の表現の中に美意識を見出していく当時の人々の美的感覚を垣間見ることができます。
一方で、「見立て」や「やつし」「もどき」といった捻りのきいた模様も登場。見た目はシンプルでありながらも江戸の人々の遊び心が盛り込まれています。
『萩の玉川』鈴木春信(メトロポリタン美術館)
同時に、この頃から小袖の柄の後退と反比例するように、帯が存在感を増していきます。これまでの帯はあくまで小袖がはだけないように固定するための実用具に徹しており、装飾具としては脇役でした。しかし、17世紀末頃から徐々に幅広で丈も長くなり、用布の種類も多様化。帯結びにもさまざまな種類が生まれ、18世紀の中頃には帯優勢の状況が現出します。
『向島春の遊歩』鳥居清長(東京国立博物館)
18世紀・江戸時代(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)
19世紀前半:文化・文政期の小袖
『振袖 縹羽二重地茶摘風景模様』(東京国立博物館)
19世紀・江戸時代(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)
江戸時代後期は町人文化がもっとも成熟した時期で、我々が一般的に江戸時代に対してイメージしている粋の文化が興ったのもこの頃です。
寛政の改革を契機に、江戸の一部の富商たちによって育まれていた通の美意識が、一般にも浸透。小袖は寛政期以前のものよりもさらに模様が繊細になり、風景を写実的に表現するものも登場。色は「四十八茶百鼠」とも呼ばれる豊富なバリエーションを持つ茶や鼠、藍を中心としたシックなものが定着していきました。
錦絵『屋根舟四手網』喜多川歌麿(東京国立博物館)
(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)
また、表立って華やかなものを身に着けることができなくなった分、人々は美的欲求を襦袢や下着、裏地で追求。贅沢な紅染めの板締めや絞り柄の襦袢、更紗模様の間着などが用いられ、衿元や裾からちらりと覗くさり気ないオシャレに美学を見出しました。
『格子絣更紗間着』(九州国立博物館)
仕立て:日本 布地:インド・コロマンデル海岸
18~19世紀(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)
江戸時代後期の小袖は見た目の華やかさはないものの、精緻な技巧と内に贅を凝らす方法でこだわりを表現。粋と洒落が息づく洗練されたスタイルを確立したのです。
最後に
江戸時代は、小袖を単なる実用着から、ファッションに昇華させた時代。しかも、それが上流階級に占有されたものではなく、一般庶民が中心となって発展させたことが、多様な模様と高度な技術を生み出し、生きた文化として今まで受け継がれてきている大きな要因のひとつになっているのではないでしょうか。
ファッションは自分自身の内面をアウトプットする方法の一つ。江戸の人々がそうしたように、私たちも現代ならではの感性を投影させながら着物を楽しんでみてはいかがでしょうか。
寛文小袖が令和に甦る
銀座もとじでは、今回ご紹介した小袖のひとつ「寛文小袖」の特別展示会を開催。350年前の田畑コレクションの小袖をもとに、五代 田畑喜八氏が寛文小袖を新たに制作。田畑コレクション図録にも紹介されている歴史的価値の非常に高い小袖と、純国産の絹地「プラチナボーイ」に染め上げた令和の寛文小袖の両方を一度に観ることができるこの機会を、どうぞお見逃しなく。
鑑賞のポイント「令和に甦る寛文小袖 特別展示会」
期間中の土日、26(土)と27(日)の2日間限定で、田畑コレクション図録(上写真)にも紹介されている歴史的価値の非常に高い小袖を展示いたします。今回展示される小袖の概要を「白綸子地松竹梅文字散模様匹田縫小袖」という呼称の解説とともにご紹介します。
【参考資料】
「特別展 きもの KIMONO」(東京国立博物館)
「江戸のきものと衣生活」丸山伸彦(小学館)
「染織の美21 特集1;江戸の小袖」(京都書院)
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