絞り染の可能性を求めて – 小倉淳史の世界|和織物語

絞り染の可能性を求めて - 小倉淳史の世界|和織物語

「絞り染」(または「絞り」)は、布の一部を糸で括る、縫い締めるなどの手段により防染して、布に模様を染める技法である。インド、中国、中南米など世界各地に自然発生的に生じたとされ、2003年には、絞り染の国際展「SHIBORI- Fabric Transformed(絞り―布の変容)」がノルウェーで開催されるなど、絞り染(tie-dyeing)は、今や日本がイニシアティブをとる国際的な概念「shibori」として注目されている。

日本の歴史を遡れば、いわゆる奈良時代の三纈の内の「纐纈」に相当する最も古い染色技法の一つであり、途絶えることなく続いてきた技法である。日本では、室町時代から安土桃山時代にかけて縫い締め絞りを主体にした模様染めが行われ、特に江戸時代には精緻で立体感のある匹田鹿子絞りなどにより、一つのピークを迎えている。

しかし一方で江戸時代には、模様の線を青花で手描きし、糸目糊で防染する友禅染めが誕生し、模様染めの主役は友禅に移行していった。

絞り染が現代の染色作家の表現として本格的に開花するのは、戦後のことである。
現代作家の芸術表現としての絞り染に取り組み、展開した代表的な作家の一人が、小倉淳史の父・建亮であった

父・小倉建亮の姿勢に学ぶ

小倉家の初代・萬次郎(1860~1938)は友禅染師であった。二代は萬次郎の没後間もなく他界し、三代も戦死してしまったため、淳史の父・建亮(1897~1982)が小倉家の養子となり、染めの仕事を継いでいる。

小倉家を友禅から絞り主体に変えていったのは父・小倉建亮である。萬次郎の妻の実家・岡尾家は絞り染問屋を商い、現在丸紅のコレクションとなっている絞りの名品も、もともと岡尾家が蒐集したものである。岡尾家は問屋業のみならず、家で職人たちが絞りを行っており、日本画の心得もある建亮は、昭和の初め、1930年代に、絞りの図案を頼まれて岡尾家に出入りするようになる。ところが画力のある建亮が描いた図案を岡尾家に持参しても、当初は受け取ってもらえなかった。友禅では染められても、絞り染では不可能な模様であったからである。絵画のように模様の輪郭を糊で自由に筒描きし、内部に筆で色を挿す友禅とは違い、絞りは模様の線を縫い締め、浸染によって模様を築いていくという、より間接的な技法である。模様の内容もそれにふさわしいものでなければならない。そこで建亮は模様として魅力的で、かつ絞りで制作可能な模様の開発に取り組み、岡尾家に提供した。

さらに1960年代には、建亮自身の新たな絞りの作品世界を切り拓くため、当時弟子であった木原明、福村廣利とともに、図案を作る ― 縫い締める ― 染める ― ほどく ― 拡げるという実験を、最初は和紙で、次には裂で、執拗に繰り返した。その様子を、淳史は15、6歳の頃、間近で見ている。小倉家の納戸にはそうした試行錯誤の跡を示す裂が現在も数多く残っている。

表現を支えるのは技術 ― 初めての染

小倉淳史は、1946年、染色家・小倉建亮の長男として京都に生まれた。初めて染に挑んだのは14歳の時である。家にあった、ろう染作家皆川泰蔵の作品集の中に、見たことのある奈良の風景《法起寺夕照》(1963年)があった。三重塔、田畑、印象的な茜色、色彩の濃淡、あの風景がこんな風になるのか、という感動を覚えた10代の小倉は、2尺(70センチ)程の縦長の綸子の生地をもらい、作品集の図版を手本に、ろう染を試みる。小倉家の工房では友禅の補助的な手段としてろう染も手掛けていた。薄い色から染めるなど、ごく基本的なことだけは父に教わった。鉛筆で下絵を描き、ろうを置いてみる。父や弟子がしていたことを見よう見まねでやってみて気づいたことは、技術の必要性である。彼らが苦もなく染めて仕上げることができるのは、技術があるからだ。

逆に言えば、どれほど風景に感動し、豊かなイメージが湧いたとしても、技術がなければ染色作品にはならない。表現には必ず技術を伴う。それは絞り染も同様である。

出会った自然や風景への感動を絞り染に ― 日本工芸会で研鑽を積む

その後、父の仕事ぶりを間近に見ながら、小倉淳史は、絞り染に取り組んでいく。

1975年、第22回日本伝統工芸展に《絞り染訪問着 螺貝譜》で初入選。作家によれば、それは父・建亮の第15回展出品作《訪問着 剣音》の渦巻模様にヒントを得たものであるという。しかし巻貝の形を極力単純化し、貝の巻きのリズムを生かしながら着物全体に配した全く別次元の表現となっている。どこかユーモラスでありながら大胆でもある作風は、父の作品とも相通じるものがあろう。

初入選作は、巻貝というモチーフを単位としたオールオーバーな連続模様であったが、ほどなく小倉淳史の制作テーマは自然や風景の様々な要素をクローズアップし、あるいは再構成して、着物のフォルム全体に生かしていくものが増えていく。

最新作の一つ、2014年の第61回日本伝統工芸展に出品した《絞り染訪問着「雪晴れ、庄川」》では、出会った風景の分解と再構成というよりも、風景そのものを見つめる小倉自身の視線を窺うことができる。右肩から左袖へゆったりと川が流れ、裾へ向かって川幅は一気に拡がり、遠近感を強調した動きのある構図になっている。川はあたかも着物の外へ拡がっていくかのように配され、雄大な自然の風景がダイナミックに表現されている。絞り染による川や木々の柔らかさが、雪景色に見立てた生地の白さに映える。清々しい気分の伝わる作品である。

但しカメラで写すような写実的な表現は、絞りには向かない。だからこそ作家は感動を伝えるために最も必要な要素を抽出する。「あるものを省いたり、ないものを足したりすることも。スケッチから、どう進めるかが肝心」(註)なのである。作家の眼が捉える自然は、むしろ心象風景に近いものといってもよいだろう。

絞り染の醍醐味 ― 間接的な手わざによる大らかで柔らかい模様

小倉は日本伝統工芸展や日本伝統工芸染織展に作品を発表する一方、30代から歴史上の絞り染の研究や復元にも取り組んできた。なかでも、今日「辻が花(染)」と呼ばれる名品の再現を手掛けることで、絞り染とは何かを掴んでいく。
中世における本来の「辻が花」の語は、型紙や防染糊を用い、植物の汁によって摺り染された赤い色を特色とする帷子を指していたが、近代に入り、縫い締め絞りに墨線で描き絵を加えたものが「辻が花」と呼ばれるようになった。小倉の研究対象も、この今日「辻が花」と呼ばれているものである。

例えば愛知県の徳川美術館が所蔵する「濃茶葵紋波兎模様」の裂(桃山時代末~江戸前期)。兎の模様に注目すると、頭部と耳の間には僅かに隙間があり、また手脚と胴体の間にも左前脚を除き、隙間が見られる。絞りでは、鋭角的なラインが続く模様を縫い締めることができないため、パーツに分けてあることが、再現してみて理解される。しかし、耳や脚が本体から離れていることが図柄として不自然ではなく、むしろ波模様の曲線のリズムと呼応し、いかにも兎が軽快に跳ねる様子が自然に表現されている。絞りという技術が呼び寄せた表現になっているのである。絞りでは、模様のキワの線そのものが縫い締めた跡の暈しで柔らかくなるだけでなく、模様のフォルムそのものも、絞りの制約によって自ずと大らかで優しげなものになるのだ。

小倉が一貫して絞り染を主体に制作を続けているのも、この絞りの可能性を探求しているが故のことである。模様の輪郭を、直接描くのではなく、敢えて縫い締めて浸け染めする間接的なわざの魅力である。

染液の温度、室温、生地の練られ具合によっても、生地が吸いこむ量や速度が異なってくる。青味の色は染まりが早く、黄色はなかなか生地に入らないことも経験から学んだ。テストピースも染めるが、実作では質量が何倍にもなるため、染まり具合を読み込みつつも一回一回が勝負である。どのタイミングで終わらせるのか、生地が自ら吸い込もうとする力を見極めながら、生地と呼吸を合わせて染めていく。絞り染ならではの濃淡は、生地や染料との共同作業から生まれる。絞りの皺のキワにでる濃淡、強弱といった絞り染ならではの美しさも、こうしたプロセスを経てこそ生み出されるのである。

染め上った生地から糸を抜き、洗って拡げた後の「湯のし」も、絞り染の風合いを左右する重要な工程である。絞り染は、友禅や型染とは異なり、生地が完全に平らになることはない。例えば1尺の生地を9寸8分に湯のしするのか、9寸7分に仕上げるのか、湯のし職人に指示するのも小倉の仕事である。絞りの皺や針穴の微妙な陰影も、表現の範疇なのである。京都には作家の意図を忠実に組み取り、湯のしを行うことのできる職人がいる。京鹿の子絞りの経験が豊富な職人たちは、皺が多い部分も少ない部分も、バランスよく湯のしできる技術をもっている。模様の美しさを充分に引き立て、かつ、ふくよかな風合いを持った絞り染が生まれてくる背景には、京都という地場の力も貢献しているのである。

絞り染とプラチナボーイの新作

今回の展覧会では、紬や縮緬など多様ななかに、銀座もとじオリジナルの白生地「プラチナボーイ」を用いた絞り染が並ぶ。プラチナボーイは雄の蚕のみの糸を使って織り上げたもの。雄の蚕がつむぎだす極細の絹糸は、蚕の持つ栄養やエネルギーの全てがミクロの糸に凝縮され、生地に密度のある艶やかな風合いとしなやかさをもたらす。

ベージュを基調とした着物《訪問着 つゆ芝・菊・山帰来》では、草の葉がなだらかな曲線を描き、裾や袖に、控え目に花が咲く。男性用の羽織では、落ち着いたベージュの地に、葵の葉が三枚を一組として、さりげなく舞う。光沢ある梨地のプラチナボーイの帯では、変形させた七宝文様と花が組み合わされているが、化学染料ならではの洗練されたグレーが、現代の絞りを演出する。また別の帯ではピンク色の桜が、藍や黄の葉を添えられつつ、華やかで心躍るような春を告げる。

植物の花や葉はいずれも絞り染らしい大らかで温かみのある形に表され、随所に、縫い締めた糸を抜いた後の微かな布の凹凸やミクロの針孔など、確かな手仕事の痕跡による柔らかな風合いを示している。さらに、墨線による極細の描き絵は「辻が花」風のモダンさを添える。

世の中が加速度的にデジタルの方向へと走りつつある現代に在って、小倉淳史の絞り染は、まさに一手一手を勝負とするアナログの魅力を、優しく謳い続けているのである。

小倉淳史作  上 プラチナボーイ 男性用羽織「葵」  下 プラチナボーイ 九寸名古屋帯「七宝取 辻が花」
小倉淳史作  上 プラチナボーイ 男性用羽織「葵」 
下 プラチナボーイ 九寸名古屋帯「七宝取 辻が花」

註 小倉淳史への筆者インタビュー。於京都、2014年9月2日。

執筆者: 外舘和子