自然の恵みをあつめた究極の作品づくり~山岸幸一さんの工房を訪ねて~

1月末、例年にない大雪の東北地方、山形県米沢市赤崩にある草木染織作家 山岸幸一さんによる「寒染(かんぞめ)」と呼ばれる、真冬に行われる“紅花染め”を見学しに訪れました。
訪れた日は、最「高」気温がマイナス2度、例年の2〜3倍の積雪という静かな銀世界が広がっていました。
草木染織作家 山岸幸一さん

太陽と水と風の恵みを込めながら

東京駅を出発し、新幹線で降り立った米沢駅から、しんしんと雪降り積もる中を30分ほどタクシーで走り進んだ先には、山岸さんの工房である「赤崩(あかくずれ)草木染研究所」があります。

この季節は真っ白い雪で覆われている工房の敷地内には、紅花の畑や蚕を育てるための桑畑やクヌギの木があり、染料となる幾種類もの草木が植えられています。研究所の中には染め場があり、となりには高機が並びます。

山岸幸一さん工房見学 入口看板

この自然に囲まれた静かな工房で、山岸さんは、太陽と水と風の恵みを込めながら自然の時間の流れの中で作品を作り続けています。

店主 泉二が心から惚れ込んだ作家

山岸幸一さん工房見学 紅花寒染

「赤崩草木染研究所」に到着した私たちを出迎えてくれた山岸さんは、作務衣姿の上からでも、その腕の鍛え上げられた太さ、肩周りの筋肉の厚みが感じられ、その体つきからただならぬ何かを積み上げてきた異色の染織作家であることを感じさせます。
そんな逞しい体つきの山岸さんに「ようこそ」とやさしい笑顔で迎えられると、大きなものに包まれるようで、大雪に身構えていた心がふわりと軽くなりました。

山岸幸一さんは、銀座もとじの店主 泉二弘明が今から16年ほど前に、日本伝統工芸展でその丹精で美しく、それでいて力強い作品を目にし、一目惚れをした作家です。それまでに見たこともないような糸の風合い、色の美しさに感動し、
山岸幸一さん工房見学

どんな風に作品づくりをしているのか知りたいと思い、それから約5年の月日、山形の山岸さんのもとへ幾度も足を運んだのです。
5年後、やっと泉二の思いが通じ、店舗で作品を扱わせていただけるようになりました。

「紅一匁(もんめ)金一匁」
〜紅花の染液づくり〜 【1日目 午後3時】

澄んだ水の流れを運ぶ最上川沿いに建つ山岸さんの工房の東側の一角に「染め場」があります。

最上川は、ここ赤崩のあたりを上流部として日本海に流れ込んでおり、かつてこの川は、交通路として山形と京都や大阪方面をつなぎ、江戸時代には「紅一匁(もんめ)金一匁」と言われるほどの金と等しい価値をもった紅花が運ばれ、最上川流域である出羽の国を栄えさせました。

山岸幸一 工房見学 寒染

東の「最上紅花」は、西の阿波(徳島)の「藍」と並んで、江戸時代の二大染料であったそうです。

工房の一角、六畳ほどの広さの染め場を訪れると、夏の暑い盛りの早朝4時頃、朝露を含んで紅花の棘が柔らかくなっている間に摘みとって作った染料の元「紅花餅(べにばなもち)」を用いて、“染液”を作るための準備が整えられていました。

山岸幸一 工房見学 寒染
そこには、2つの木桶が置かれています。「紅花餅」を30度ほどのお湯にくぐらせてほぐし、紅色の染液を作るための筒状の「木桶」(手前)と、ほぐした紅花を麻袋で濾して澄んだ染液を入れたり、そこに糸の束を降ろして染めていく作業を行うための平たい大きな「木桶」(中央右)です。

一段高い、隣に続く部屋のスペースには、4台ほどの機が並んでいます。

隣に機の並んだこの染め場に通された人は、きっと気がつくことでしょう。この空間に自然の精がいることを。山岸さんにとって、この場所はとても神聖な場所に違いありません。この自然の精のいる空間へわたしたちにも通行証をくださったことに感謝の念をおぼえながら、工房見学がスタートしました。

「紅花餅」から紅の染液を作る
【1日目 午後4時】

「紅花餅」とは、毎年紅花の花弁がほころびはじめる真夏の7月頃に、紅花の萼の内側の白い部分から花弁を摘み取った後、発酵させて蒸し、餅つきの様に杵でつき、それを小さく丸めて平らなお煎餅状にし、天日でしっかり乾燥させて作った染料の元です。その製造工程の手間や伝統的に受け継がれてきた特殊な技術を知れば、まるで貨幣のような形状をした紅花餅が、金と同等の価値と言われてきたことに強くうなずけます。生花3キロの紅花から、僅か208グラムの紅花餅しかとれないという大変貴重なものです。

その紅花餅を500グラムほども筒状の木桶に入れ、人肌のお湯を注ぎながら丁寧に染液をつくっていきます。「木桶」を使うことで、熱の冷め具合が緩やかで、色素への刺激も少なく、赤色の抽出がじっくりと進みます。木桶の中で、丁寧にお湯をくぐらせながら、ゆっくりと紅花餅を揉みほぐし、次に、染色する際の媒染剤となる藁灰やあかざ灰を入れてゆっくりかき回し、そのまま3時間ほど寝かせます。この時も、お湯が急激に冷めないよう木桶の周りを厚い布で包み、徐々に温度が下がるよう細心の注意を払います。

山岸幸一さん工房見学 紅花寒染

▲ 夏に作り乾燥させた「紅花餅」。500gほども木桶に入れ、人肌のお湯を注ぎ入れほぐします。

3時間後、覆った布を取って蓋を開け、ガーゼに紅花を入れて丁寧に絞ります。この作業を、午後6時から3時間ごとに午後9時、午前零時、午前3時と4回ほど、ほとんど眠らずに行うのです。そして、ルビーの原石を溶かし込んだような、艶やかなコクのある紅色の染液が出来上がります。
山岸幸一さん工房見学 紅花寒染工程 2012

山岸幸一さん工房見学 紅花寒染
▲ お湯が急激に冷めないよう木桶の周りを厚い布で包み、徐々に温度を下げていきます。

われわれは、1回目の染料の抽出作業だけ見させていただき、この続きは、夜通しの山岸さんたちによる染液作りの作業を終えた翌朝、夜明け前の時間にその染液で糸を染めるところから、最上川の流れの中で発色を促す寒染の工程までを見せていただきます。この日は、山岸さんたちの3時間後2回目の染め場での作業までの間に、山岸さんたちの育てた蚕が繭となり、糸に紡がれるまでの工程の一部を見せていただきました。

自然界からいただく命の美しさを織物に再現
【1日目 午後5時】

工房の西側には、昨年の震災後に建て替えられた建物があります。
ロッジのようなあたたかい雰囲気の2階建ての建物の1階には、繭を冷凍保存するための冷蔵庫が並び、真綿や生糸をつくる道具が置かれたスペースがあります。
<糸作り>久子さん、研究生2名との写真

その糸作りの場所には、山岸さんのもとで4年前から修行をされているお嬢様の久子さん、同じく2年前にフランス料理の厨房を離れて修行をはじめたご長男の大典(だいすけ)さん、そして、山岸さんのもとで学ぼうと2人の研究生が糸を紡いでいました。

山岸さんは、長年、孤独の戦いを続けてきました。誰もがなしえないような着物づくりを目指して、信念を貫いてきた孤高の染織作家の作品は、孤独な戦いを続けるうちに、多くの着物通に愛されるようになり、“自然界からいただいた命の美しさを再び織物として再現した”その色彩、素材、風合いの素晴らしさを、その完成された作品の芸術的価値を、さらに多くの人が知り得る機会が増えてきました。銀座もとじの店主が山岸さんの作品にはじめて出会ってから16年という月日の流れの中で変化してきた事実であり、山岸幸一という人の輝きの軌跡です。

山岸幸一さんと久子さんと大典さん
山岸幸一さんと久子さんと大典さん
山岸幸一という唯一無二な染織作家を父に持つ、久子さんと大典さんが、その父の背中を見つめながら生きてきたことで、今ここに家族でともに作品づくりに励む光景があります。価値ある伝統文化が後世に受け継がれていくという確かな場面に出会えることは、人をどれほど幸せな気持ちにさせることか。

われわれも、山岸さんのお嬢様の久子さんに教わりながら、「真綿かけ」を体験させてもらいました。水の張られた容器の中で、煮てやわらかくなった繭の中から、蛹を取り出し、親指と人刺し指をつかって、繭を両側に長方形に薄く広げていきます。

淵が厚くならないように、なるべく均等に広げたら、「つくし」という卵型のあたまのような木の道具に広げながらかぶせます。繭5〜6個分でできる、1枚の袋真綿を50枚重ねて「ひとボッチ」といい、一反の反物をつくるのに7ボッチ(=350枚)が必要になります。

真綿掛け 久子さんに教わる

山岸さんの作品は、いわば、自然の恵みを集めてできています。より良い絹糸を求めているうちに、家蚕や野蚕のエサとなる桑やクヌギを育てるところからはじめ、よりよい染料を得るために、自らの手で何十種類もの草木を植え育て、1年の季節の流れの中で最良のタイミングで染めを行うのです。

自然の素材でできた道具を揃え、草木も糸も蚕も喜ぶ清流の流れる土地を求めて移り住み、そこには太陽と風の恵みがあります。繭が糸となって草木の染料を吸い上げ、やがて一枚のきものとして仕上がるまでの5年、6年かかる山岸さんの作品づくりの長い旅路は、腕時計のかわりに自然の息吹に耳を傾ける時間軸で、歩みが前に進められます。自然のありのままの姿に寄り添う中で、その自然が人間に分け与えてくれる恵みが、山岸さんの手を介して一つの作品として形を成し、やがて誰かの身を飾るのです。

人間界の都合を捨てた、自然に歩み寄った暮らし
【1日目 就寝時間】

翌朝は、4時半にホテルのロビーに集合という約束をして、フロントに3時半のモーニングコールを頼んで眠りにつきました。

人々が寝静まっている真夜中、夜の闇が支配しているこの時間帯こそが、空気がひっそりと澄み、自然の精たちがのびのびと動き回っていて、染料づくりや糸を染めるのに適しているそうです。

山岸さんは、1946年、米沢市生まれ。紡織関係の高校を出たあと、袴などを中心に織る機屋を営んでいた家業に従事し、工業織物のものづくりを行っていました。

山岸幸一氏

いつしか、人間が着るものをこのような無機質な機械で織っていていいのか、という物足りなさを感じ始めていた折、茶の間で聴いた「昔はみんな、手で織っていた」という言葉をきっかけに、昔の曾お爺さんの機を引き出してきて昼は仕事の機械織り、夜は手織りをする、という日々を過ごすことになります。

「織りあがったときの喜びがすごく大きかったんです。手織りと機械織り、同じ原料、同じ設計でやってみても、明らかに違うことがわかりました。『なんだこれは!』と驚きましたね。機械織りのものはどっしりと重いのですが、手織りは押してもその指のあとが『ぷっと上がって軽い』んです。この違いがわかったから自然と手仕事に移ることができました。『素材を殺さないで織れる』と。」

上杉家の武将たちが着用していた植物染料で染められた着物が400年余りの歳月を経てもなお、昨日染めたように輝きを放って保存されていたその色艶に魅せられたことも大きなきっかけとなり、家業であった動力織機をはなれ、草木染めと手仕事に専念することとなりました。そして、無心に糸に向き合って織り上げた反物は、ふんわりとした風合いに仕上がり、軽く皺になりにくく、皺も元に戻りやすいなど、動力織機で作ったものとは大きな差が生まれていたのです。

山岸幸一さん 機織り 寒染
現代において、“自然の恵みをあつめて着物を作る”山岸さんの姿からは、伝統の価値と重みを学ぶと同時に、わたしたちが自然界の中に命を与えられて生きている生命体であるという当たり前のことをあらためて気付かせられます。それまで長年経験してきた「機械織り」とあらたに取り組み始めた「手織り」、「同じ原料、同じ設計でやってみても、明らかに違うものが出来上がった。機械織りのものはどっしりと重く、手織りのものは、素材自体の持つ風合いが活かされ驚くほど軽い」

という機械織りと手織りの間にあるひずみを目の当たりにした山岸さんが選んだ道は、人間界の都合を捨てて、自然に歩み寄った暮らしをすることでした。自然の声に耳を傾け、自然の表情をつぶさに見つめ、自然の手をかりながら、自然の素材で“きもの”をつくる道へ迷わず向かったのです。

私たちが、清潔で日当たりのよい、住み心地のよい家に住みたいと考えるように、私たちに沢山の恵みをわけてくれる自然の精たちにとっても、住み心地の良い居場所が必要なのです。その居場所を汚さないように自然を慈しみながら、山岸さんは、きものを作り続けていらっしゃいます。

紅花の命が糸に乗り移る
【2日目 朝5時】

真夜中の3時半に、わたしたちは再び山岸さんの工房に向かうべく起床し、体のあちこちにカイロを貼り付け、防寒対策を万全にして、真夜中の米沢の街を出発しました。カイロが無かったら、しのぐのが厳しいほどの寒さの中、街灯もない暗闇を15分ほど走り進めたタクシーが工房に到着すると、入り口が、ぱっと明るく華やいでいました。

まるで灯籠が並んだように、分厚く積もった雪の壁のあちこちが祠のように四角くくりぬかれ、一つずつ灯りが灯されています。降り積もる雪に映える真夜中の灯りがとても幻想的で、無数の灯りのお出迎えを準備してくださったおもてなしに、ほっこりと心があたたまった瞬間でした。

灯篭あかり

さっそく再び染め場にお邪魔し、昨夜から山岸さんたちがほとんど寝ずに紅花餅から抽出作業をつづけてきた染液を用いて、糸に染めていく作業が開始されます。山岸さんが蚕から育て、丁寧に手で紡いでできた真っ白いつややかな糸の束が、ようやく色を纏う瞬間です。

山岸幸一さん 紅花寒染

昨夜から真夜中にかけ、充分に紅花から色素を抽出させた染液を麻袋に濾して、平たい桶に移したものに「烏梅(うばい)」(梅にすすをかけて100日ほど地下で蒸し、天日で干したもの)という媒染剤を入れて、アルカリ性に調節しながら、綺麗な紅色の染液に仕上げます。そこに束ねて輪っか状になった糸を細い棒にくぐらせ、棒を降ろしながら、ゆっくりと浸していきます。

糸に染液を充分に染み込ませるとゆっくり引き上げ、空気にあてては、糸を繰りながら、満遍なく糸に空気を含ませた後、また染液に浸し、糸を繰ります。糸を掛けた棒を上下左右に動かしながら、振り染めと浸し染めを何度も繰り返していくことで、糸が薄いピンクから徐々に紅色へと染まっていきます。その工程を20分おきに何度か繰り返します。

山岸幸一さん 工房見学
▲ 烏梅を入れ、アルカリ性に調節しながら紅色の染液に仕上げます。白糸が色を纏う瞬間。

真っ赤な染液に糸をひたすと、糸の束は水分をふくんで重くなります。その鍛え上げられた腕で山岸さんは、染液をたっぷりふくんだ重みのある糸を両腕にかけて、まるで赤子を抱くように優しいリズムで回転させます。そして今度は、その糸を前後に力強くリズミカルに振ります。

「こうすると糸のほうがびっくりして、ぱくっと口を開けて、紅の染料を吸い込むんだよ。」

山岸さん寒染め そういわれてみると、糸が「あっ」と口をあけたすきに見る見る赤味が増していくような感じがするのです。それを聞いて、思わず山岸さんが笑顔でわたしたちを迎えてくれたときのことを思い出していました。山岸さんに迎え入れてもらったわたしたちが、心を開き、心の目を開き、この場で山岸さんの一挙一動を見つめるように、糸も山岸さんに心を開いているかのようです。紅花の染液も山岸さんと一緒になって、糸の一本一本に色彩を与える仕事に励んでいるに違いありません。
山岸幸一さん工房見学 紅花寒染

振り染めし、しばらく浸し染めをしたあと、糸の束をよくしぼり、両手で上下に振り一本一本の糸に空気を含ませる「さばき風」をしては干す、その工程を真夜中から朝にかけて何度も繰り返し、徐々に薄い紅色から濃く染まっていきます。そして、真っ赤だった染液は、紅い色素をすべて糸に託して、透明な液体になりました。紅花の命と蚕の命がひとつになった、感動的な時間でした。

山岸幸一氏 紅花寒染
糸が喜んで紅の染液を吸い上げられる環境を自然の時間の流れに合わせて無理なく整えてきたこの日。1年でもっとも糸が美しく染まる真冬、そして世の中が静まって空気の澄み渡った真夜中、山岸さんが蚕から育てて紡いだ愛おしい糸たちにとって一番いい環境の中で、紅花の命が糸に乗り移っていくのを目の当たりにした感動に心が洗われます。真夜中の染め場には、山岸さんの周りに沢山の精がいたような気がするのです。

普段私たち人間に気付かれないようにひっそりと動いている自然の精たちが、真夜中の染め場で、山岸さんの周りにあつまって、ともにあくせく働いていたように思えます。見えなかったけど、自然の精たちもここぞという力を発揮すべく興奮気味にざわめいていたような感じがしています。

真冬の最上川が紅色に輝きを与える
【2日目 朝7時】

深夜から始められた紅花染は、工房内での作業を終え、今度は、雪の積もった屋外に出て、最上川の流水で糸を綺麗に洗う事で終結します。

至るところ雪が高く覆っていて、小川にも分厚い雪のアーチがかかっており、

山岸幸一氏 紅花寒染

やっとの思いで顔を出している小川の流れの中に、長靴姿の山岸さんが、糸の束を入れた籠をたずさえ、おもむろに降り立ち、いよいよ寒染が始まります。
染め場から川まで運んできた籠の中の糸たちは、紅花の色素をたっぷりと含んで桃のような優しいピンク色をして、目にもあたたかみのある穏やかな薄い紅色です。その糸が、今にも凍りつきそうな川の流れの中にさらされようとしています。

流水の中で山岸さんは、先ほど染めたばかりのその糸の束を籠からひと束ずつ取り出し、素手で糸を振り洗いするようにして、流水にさらします。手が凍傷になることもあるというほどの刺すような冷たい水ですが、山岸さんにとって、淡い紅色の糸がいきいきと鮮やかさを増していく感動が勝って、痛みが感じられなくなるのだそう。

寒染 山岸久子 山岸大典 山岸幸一

今年の寒染めには、お嬢様の久子さんとご長男の大典さんの姿があります。山岸さんが流水にさらした大切な糸の束を絞って、息子である大典さんに託すように手渡す姿は、まるでマラソンの襷を次世代に託すかのような感動的な光景です。真剣な眼差しで師匠である父の背を見つめていた大典さんも、続いて寒染めに挑みます。この仕事では2年先輩の妹の久子さんが、束ねた糸をさらしやすいように整えて、兄の大典さんに手渡します。その後は大典さんにつづいて、久子さんも川に降り立ちます。今度は大典さんから糸の束を受け取って、器用な手つきで川にさらしていきます。大典さんも久子さんもなかなかの手さばき! 大典さんは男らしく力強い手さばきが頼もしく、久子さんは綺麗な小さな白い手ながら、臆することなく寒染めに挑む健気な姿が胸を打ちます。

そんな娘や息子を優しく見守る山岸さんは、師でありながら、ときどき父の顔をしています。父子を支える母とともに、こうして家族でひとつになってものづくりをしている光景は、希望に満ちていて美しく、着物文化の未来を照らしだす一筋の光のようです。

「行く末は 誰が肌ふれむ 紅の花」
【2日目  朝8時〜 帰路】

寒染めを終えた糸の束は、天日に干されます。小川で洗った糸を、よく絞って水気を抜き、改築された新しい建物の入り口近くに並ぶ竿に綺麗に掛け、真冬の柔らかい太陽と風に包まれながら、半日間干し上げられます。
糸を干すところ 寒染 山岸幸一  山岸大典

こうやって仕上げられた糸は、これから1年間ゆっくりと寝かされ、翌年の寒中にもまた紅花染を重ね、3年以上の歳月を掛けてじっくりと染色されるのです。

今日、真冬の最上川の流水をくぐった絹の糸が、機にかけられる時期が到来し、着物や帯になるまでにはまだまだ長い旅を続けます。わたしたちはその山岸さんの作品が歩む長い旅路のほんのいっときの歩みを見せていただきました。

行く末は 誰が肌ふれむ 紅の花

芭蕉が、山寺に向かう途中、紅花畑を通りかかった際に読んだ句だそうです。天日に干される紅色の糸を眺めながら、この句のようにいずれその身が飾られる幸せな誰かのことを思い描きます。
山岸幸一 着尺作品

受け継がれてきた伝統とは、常に完成形ではなく、さらなる進化をしていくべきものなのでしょう。終わりが無く、次の時代へと進みゆく過程にあるのものだからこそ「伝統」といえるものが、次世代へ受け継がれてゆく過程にある、なにか大きな力の躍動に胸震わせながら、そして山岸さん親子の眼差しの確かさを心に刻みながら、あたたかい雪国をあとにしました。

自然の恵みを集めてできた山岸幸一さんの作品、ぜひお手にとって間近でご覧いただければ幸いです。