辻が花・小倉淳史~辻が花染めのロマンを追い求めて~

辻が花・小倉淳史~辻が花染めのロマンを追い求めて~

2015年1月22日より、銀座もとじにて、2回目となる辻が花染め 小倉淳史氏の個展が開催されます!辻が花の歴史の「過去」と「未来」を行き来する制作活動の振幅の中から生まれる、洗練を極めた「現代」の作品づくりについて、ご紹介いたします。

「辻が花」という名前の花は、存在しないが、とても詩的な響きだ。その名の由来は、謎に満ちていて、いまだに解明されていないが、室町時代、安土桃山時代に大変な人気を博した染め物の名である。

「辻が花染め(つじがはなぞめ)」は、「縫い締め絞り」などの絞りの技法を用いて、多色によって色を染め上げ、さらに摺り箔(金箔・銀箔による装飾技法)、墨書きなどによって紋様が完成される染色技法である。

辻が花染め 訪問着

「縫い締め絞り」とは、絹布を麻糸や木綿糸で”縫う”ことで防染する絞り技法。染料が入らないように縫い締めて、絞りあげて、防染してから染料に浸す。防染された箇所は、白く染め残り、紋様が浮かび上がる。

一色だけでは、ただの絞り染めだが、花の色、葉の色など、色ごとに絞り染める、多色染めによって「辻が花染め」となる。

辻が花染め
「辻が花(つじがはな)」という名前の由来は、二つの道路が十字に交差している場所を表す「辻(つじ)」に咲いている名もなき花から来ている、あるいは赤いツツジの花が「辻が花」となった、またあるいは、縫い締め絞りの巻きつけた絞り方が、旋毛(つむじ)のようであるから、といったいくつかの説がある。

小倉淳史氏は、いずれとも違った考えを持つ。江戸時代に生まれた「茶屋辻(ちゃやつじ)染め」(山水文、草花文、楼閣、風景、花鳥などの繊細な紋様が総模様に描かれた、藍の濃淡による染めもの)の染色技法は、生地の両面より糊防染をし、藍で「浸し染め」をして紋様を染め上げる。「茶屋辻」の染色技法が、「塗り染め」ではなく「浸し染め」であったように、その「浸し染め」の技法による「花のように美しい染めもの」、あるいは「花模様のある染め物」のことを「辻が花染め」と呼んでいたのではないかというのが小倉氏の考えだ。

また当時、浸し染めで、日本人が紋様をほどこすためにできる技は、「絞り」しかなかった。室町時代、安土桃山時代に「辻が花染め」が人気を博した後、江戸時代に誕生する模様染め技法である「茶屋辻」にも通じていった「浸し染め」に、「辻が花」の名の由来のヒントが隠されているのではないかという見解だ。
五代田畑喜八 「茶屋辻」
五代田畑喜八 「茶屋辻」

しかし、研究者の中には、辻が花とは絞り染めではなく、型紙に文様を彫り、絵の具を摺り付けたもの、という考え方も見られる。

どのような由来であれ、「辻が花」は、それが誕生して以来、その絵柄のモチーフや色選びにより、うっとりするような美しさが伴った染めものである。ロマンをかき立てる謎に包まれた「辻が花」という染め物が、より洗練されながら現代に受け継がれ、後世に継承されようとしていることは、日本人として誇らしく嬉しいことである。

辻が花・小倉淳史
その時代を後世に牽引しようとしている、重要な立ち位置に、辻が花作家 小倉淳史氏がいる。小倉淳史氏は、130年以上の歴史ある、京都の染織工芸を代表する家に生まれる。初代 小倉萬次郎は、明治大正の友禅界を代表する一人として永く活躍し、その後、4代目となる小倉淳史の父 小倉建亮(けんすけ)氏の代で、独自の作風を目指して、「絞りの岡尾家」といわれた、義母の実家で絞りを真摯に学ぶ。遂に「絞りの小倉」、「辻が花の建亮」として名を成したほどに、友禅染めの技法のみならず、「辻が花染め」の確かな技を手にする。

建亮の長男として生まれた小倉淳史氏は、幼少期より、染色の仕事に情熱を注いだ父の仕事に身近に触れながら、「友禅」「辻が花」といった染色の世界に、自然に導かれていった。