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二代目・泉二啓太の産地めぐり ~久米島紬の歴史と「ユイマール」の心を訪ねて~

私たちは「伝える職人」として、 産地の空気を伝えたいという思いから、 自分の目で見て、自分の耳で聞き、自分の手で触れて感じたことを、自分の言葉でお客様にご紹介をする、ということを大切にしています。

今回は、沖縄本島から西に約100kmの久米島へ。2004年(平成16年)に国の重要無形文化財にも指定された、久米島紬の産地へ行ってきました。

久米島紬が誕生するまで

創業50周年の節目の年を迎える久米島紬事業協同組合を訪問し、組合の松元理事長、久米島博物館学芸員の宮良みゆきさんに案内いただきながら、例年以上に熱気にあふれる久米島紬のものづくりの現場を見学。また、久米島の歴史もあらためて学ばせていただきました。

サンゴ礁の海に囲まれる、人口約8,000人の小さな島、久米島。島名は古書の「珠美(くみ)」に由来すると言われ、豊かな自然に恵まれた島では古くから自給自足が可能でした。地理的に大陸に近く交易も盛んで、当時の最先端の伝来文化に触れることができたそうです。久米島に住む皆さんの朗らかでおおらかな島民性は、こういった島の豊かさがもたらしているのかもしれません。

創業50周年を迎えた久米島紬事業協同組合

久米島紬が生まれる背景として、養蚕技術が古くからあったことと、琉球王朝から派遣された技術者の存在があります。14世紀末、「堂の比屋(どうのひや)」と呼ばれる人物が明に渡って養蚕技術を学んで帰り、素朴な形での養蚕が行われていました。17世紀、琉球王府から派遣された越前出身の坂元宗味(さかもとそうみ)が養蚕と桑の栽培方法を教え、さらに薩摩出身で八丈織に精通していた友寄景友(ともよせけいゆう)の指導によって、糸の染色方法や紬の織り方が伝授され、飛躍的に技術が進歩したそうです。

海外貿易も盛んだった当時の史跡

貢納布として発展

貢納布時代のことを、学芸員の宮良さんに色々と伺うことができました。江戸時代、租税は米で納めるのが一般的でしたが、久米島は織物で納めることができ、江戸へ渡った久米島紬は天保時代には「琉球紬(薩摩紬)」としてもてはやされたと、江戸後期の風俗史書「守貞謾稿(もりさだまんこう)」にも記されているそうです。

「御絵図帳」 の柄を参考に復刻

人気を博した久米島紬ですが、貢納する布は「御絵図帳(みえずちょう)」という図案集に基づいて織る柄を指示され、織ることが本当に大変な難しい柄を、織り手は死ぬ思いで織っていたと宮良さんは言います。

「やっとの思いで一反織り上げて、貢納した時に『同じ柄をもう一反作れ』と言われたとたん、気絶した織り手もいたそうですよ」

宮良さんは、以前に一年間「織り」を学ばれたことがあるそうです。
「織りをやっている人は、一生『織り人』なんです。素敵ですよね」
その大変さを身を以て体験されているので、織り手の方々への敬意を言葉の端々に感じます。

堂の比屋への感謝から建てられた石碑

江戸時代が終わり、租税のために織られていた久米島紬は、一般庶民の着物として求められるようになり、明治・大正・昭和にかけて、色味が地味で着やすい泥染めが発展していきました。最も久米島紬が織られたのは1923年(大正12年)。年間4万反を超えた年には、養蚕を伝えた堂の比屋への感謝の気持ちを込めて石碑が建てられ、今も島の人々に大切に守られています。

久米島紬の今

しかし戦争を機に生産数は激減し、昨年の年間反数450から今年は400を切る見込みで、泥染めは50反ほどと伺いました。 かつては流行を博した泥染めの久米島紬ですが、近年は明るい色の人気に押され、今ではとても希少になっています。

伝統的な泥染めは植物染めと泥染めを合わせて100回ほど行います。気候を考慮し長年の経験や勘に頼ることが多く、気力と体力を必要とする作業の連続です。

技法の継承が難しく、一度辞めてしまうと復活させるのがとても困難な泥染めを未来へ繋ごうと、久米島では保持団体を作り、ベテランが新人へ技術を受け継ぐ取り組みを行っています。組合創立50周年の節目である今年は、「久米島紬 過去・現在・未来」をテーマに掲げ、泥染めの復権を願い、新たに13人の織り手による13柄の泥染め作品が制作されました。

この記念作品13柄はすべて、銀座もとじで3月20日(金)〜22日(日)に開催される企画展でも展示させていただきますのでお楽しみに。

「クルサ」は青みの黒に。別名「ホルトノキ」
「ティカチ」で染めた後、泥で染める

銀座もとじと久米島は、20数年来のお付き合いになります。銀座の紙パルプ会館で、久米島の作り手の方々とお客様を交え意見交換会を行い、その時の「伝統的な泥染めのものも素敵だけど、明るい色も着たい」という声は、実際に新たな草木染めの商品開発にもつながりました。店主・泉二は久米島で講演もさせていただき、今では「久米島は第二の故郷」とまで言うほどに親しくさせていただいています。

泥染めと「ユイマール」

泥染めはとても手間と労力が必要な作業です。一般的にはグール、ティカチ、泥の順番で100回以上繰り返します。気温20℃位の乾燥した時期(11月頃)が最適だそうで、見学させて頂いた1月初旬は通常の年では作業のタイミングが過ぎている頃ですが、暖冬の影響か、まだ行っている所があり、運よく見させていただく事ができました。

泥染めは揉みこむのでなく、糸の束を染料の桶の中で振る感じで行います。そして干して酸化を待つ、の繰り返しです。

回数などは、気温や湿度、染まり具合を見ながら調整するため特に決まりはなく、いわば「家庭の味」で皆それぞれ違うそうです。 見晴らしの良い場所で、泥染め作業。ここはかつて保育所だったそう。

泥田

久米島紬はほとんどの工程を一人で行いますが、一部の作業はこのユイマール館で皆で集まり、助け合いながら作業を進めています。「ユイマール」とは沖縄の方言で「助け合う」「共同作業」という意味。まさに久米島の方々の精神。だからでしょうか、久米島紬の作り手の方達は、とにかく明るく楽しそうです。

各自泥を運び、泥染を行う。

 

「自分で織るものは、自分で図案をつくり、草木を採り、染料を作り、糸をくくり、染めるとトータルで出来るから自分の考えが活かせる、個性が出せる点が励みになってやりがいに繋がる」と話す作り手の方達。一方ですべての工程で、皆が協力し合うから「一人じゃない」所も心強い点、とも伺いました。

泥染めの作品を含む、たくさんの久米島紬は、久米島博物館で展示の後、来月銀座もとじで行われる久米島紬展にて、東京で初めてお披露目されます。

久米島は沖縄諸島の中でも豊かな自然に恵まれ、自給自足ができていた珍しい島です。染色できる植物の種類も豊富で、様々な色合いや表情の反物が織りあがります。その中でも特に今回、改めて泥染めの工程の大変さと、出来上がった作品の美しさに感動しました。

組合の松元理事長をはじめ、久米島の方々に大変お世話になり、貴重な体験をさせて頂きました。ありがとうございました。

久米島紬 50周年記念展 ―魂にまとう織物―

会 期 : 2020年3月20日(金・祝)〜22日(日)
場 所 : 銀座もとじ 和織 、男のきもの

和織物語はこちら

ぎゃらりートーク

3月21日(土)と22日(日)に予定しておりました「ぎゃらりートーク」は、新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、急遽、無観客にて「動画配信」の形で開催とさせていただく運びとなりました。
3月21日(土) 10時より「銀座もとじインスタグラム」上でライブ配信したものを、現在YouTubeにて公開しておりますのでぜひご覧ください。

動画開始画面の左より、久米島紬保持団体の桃原禎子さん、平田とき子さん、山城智子さん、久米島紬事業協同組合・松元徹理事長 、銀座もとじ店主・泉二弘明

久米島紬事業協同組合・松元徹理事長と織手さん3名をお迎えし、ものづくりについてお話を伺います。

日 程 : 2020年 3月21日(土)、22日(日) 【両日ともに受付終了】
時 間 : 10:00〜11:00
場 所 : 銀座もとじ 和織
会 費 : 無料
定 員 : 20名様(要予約・先着順)
お問い合わせ : 銀座もとじ 和織 03-3538-7878

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