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秀吉や家康も愛した“幻の染め”。安土桃山時代を彩った辻が花とは|知るを楽しむ

辻が花とは

絞り染めを主体に、墨による描絵「カチン描き」や摺箔(すりはく)、刺繍などを駆使して表現される、華やかかつ繊細な絵模様が特長の辻が花。

絵画的な模様を染め出す染色技法として、江戸時代に友禅染が席巻するまで、室町時代から桃山時代、江戸時代初期にかけて流行した技法のひとつで、豊臣秀吉や徳川家康、上杉謙信など戦乱の世を勇猛に生き抜いた名将たちにも愛されていました。

「辻が花」の呼び名の由来

桐矢襖文様胴服 白練貫地 絞り染

『桐矢襖文様胴服 白練貫地 絞り染』/ 国立文化財機構所蔵品統合検索システム

辻が花は、絞り染めを中心として模様を染め表す技法のことであり、またその技法により加飾が施された染織品のことを指すのが一般的ですが、実は未だ多くの謎に包まれており“幻の染め”とも呼ばれています。

辻が花がいつ・どこで・どのように誕生したのかは現在もわかっていません。名前の由来も、「つつじが花を略したもの」「模様が十字路(=辻)に似ているから」「絞り染めのシワの立っている状態が旋毛=辻と解釈された」など、さまざまな説が唱えられていますが、そもそも辻が花に関する文献が少なく、またそれと実物資料とを結びつけるものがないことから、いずれも仮説の域を出ていないのが現状です。

辻が花裂 白茶地草花車模様描絵

『辻が花裂 白茶地草花車模様描絵』/ 国立文化財機構所蔵品統合検索システム

“つじがはな”という言葉自体は室町時代頃にはすでに使われていたようで、同時期に編纂された『三十二番職人歌合』(32職種の職人をテーマにした絵巻物)や『親元(ちかもと)日記』、『宗五大草紙』(武家人としての心得や教訓をまとめた書)などの文献で確認できます。しかし、そのほとんどが帷子(かたびら)、いわゆる麻地の単衣着物に紐づいており、着用していたのは女性や若衆(少年)でした。

辻が花というと、現代では正絹の生地に表現されることが多く、実際に秀吉や家康等の遺品でも現在辻が花染めといわれているものの大半が絹の布を使用していますが、文献の内容はこの戦国武将に好まれた辻が花とは大きく異なっているのです。

そもそも辻が花と呼ばれる染織品が当時どのような形態だったのかはすでに江戸時代にはわからなくなっていたようで、当時からさまざまな議論がなされていましたが、いまだに解明には至っていません。そのため、「縫い締め絞り=辻が花」という概念自体が近代以降に確立されたとの指摘もあります。

そんな辻が花は室町時代中期から桃山時代頃に最盛期を迎えましたが、江戸時代以降は友禅染の発達に伴って自然消滅。その後300年以上途絶えていましたが、戦後になって辻が花を復活させようという試みが生まれます。技術も何も伝わっていない中、京都の小倉家や久保田一竹など、さまざまな職人等の手によって見事に復活を遂げ、辻が花は長らく止まっていた歴史を再び刻み続けています。

徳川家康の辻が花コレクション

室町時代~桃山時代にかけて一世を風靡した辻が花染めの現存品は、裂布や残欠の状態のものが大半ですが、徳川家康所用の品と伝わるものの多くが衣服の形をとどめた状態で残っています。

今回はそんな家康ゆかりの辻が花染めの一部をご紹介します。

小袖 白練緯地松皮菱竹模様

小袖 白練緯地松皮菱竹模様

(こそで しろねりぬきじまつかわびしたけもよう)国立文化財機構所蔵品統合検索システム

狂言鷺流(さぎりゅう/江戸時代初期に創始され幕府御用を務めた流派)の10世家元である正次が慶長15(1610)年に家康より拝領したと伝えられている小袖。表は白練緯(※1)地、裏は平絹(※2)の袷仕立てになっています。

前後の身頃の肩部分を松皮菱形に縫い締めて紫に染め分け、大きく弧を描いた太い竹の幹は鹿の子絞りで量感と節を表現。精緻な墨の線描による描絵で葉脈を足し、竹の葉の薄くしなやかな様子を演出しています。

紫と白地に染め分ける肩裾形式の構成や、松皮菱形に区画を作る意匠は安土桃山時代の辻が花染めの特長のひとつ。学習院女子大学准教授である福島雅子氏著『徳川家康の服飾』によると、この小袖の技法は、他の辻が花染めの遺品を凌ぐほどの完成度と緻密さを示しており、安土桃山時代を中心とした辻が花染め遺品群の終尾に位置する一方、描絵や鹿の子絞りなど、縫い絞り以外の技法の役割が大きくなっていることから、慶長小袖への移行を感じさせると説いています。

また、背面の右半身に重心を置く構図は、さらに後の時代に登場する寛文小袖の意匠も窺わせる作例であるとも語っており、当時としてはかなりアバンギャルドなデザインだったのかもしれません。

※1 練緯(ねりぬき)・・・経糸(たていと)に生糸、緯糸(よこいと)にセリシンなどを除去した練糸(ねりいと)で織られた平織の絹織物。室町時代中期以降、安土桃山時代から江戸時代の初頭にかけて広く用いられた。

※2 平絹(ひらぎぬ、へいけん)・・・ 同じ太さの生糸で、経糸と緯糸を単純に1本ずつ組み合わせて織り、精練した平織の絹織物。

銀杏葉雪輪散辻が花染胴服

胴服 染分地銀杏雪輪散模様

(いちょうばゆきわちらしつじがはなぞめどうふく) 国立文化財機構所蔵品統合検索システム

「銀杏葉雪輪散辻が花染胴服」は、石見銀山で採掘に携わる毛利氏の役人として働いていた吉岡隼人が、家康から拝領したと伝えられているものです。

胴服とは、室町時代から江戸時代にかけて小袖の上にはおった男性用の羽織のこと。袖付きと袖なしがあり、後者は主に陣中用とされていました。

こちらの胴服は、表は白練平絹の袷仕立てで、白・浅葱・紫の斜め縞の地に辻が花染めで銀杏葉と雪輪紋を表現。大胆かつおおらかな意匠はこの時代の辻が花染めの胴服に共通するもので、桃山時代らしさを感じさせる作例です。

陣羽織 紫白染分練緯地段葵紋散模様

陣羽織 紫白染分練緯地段葵紋散模様

(じんばおり  むらさきしろそめわけぬりぬきじだんあおいもんちらしもよう) 国立文化財機構所蔵品統合検索システム

左片身のみが現存している陣羽織。袷仕立ての羽織で、表地には練緯地、裏地には麻地を使用。高田藩に仕えた前島家所用の品で、家康から拝領したと伝えられています。

この陣羽織のユニークな特長といえるのが、随所に洋装風の影響が感じられるところ。写真ではわかりにくいですが、袖丈の中間位置の袖口内側に、紅地の布で包まれたボタンと、それを受ける細いループ状の組紐がつけられており、広袖の袖口を小袖のように狭めて着用できるようになっているのです。ボタンは、袖口以外にも2か所につけられています。

このような意匠が誕生した背景にあるのが、南蛮貿易です。天正年間頃、南蛮貿易の影響で洋風の陣羽織や外套が武将たちの間で流行しており、ボタンもポルトガルの衣服とともに伝来。この陣羽織は、当時の流行を取り入れた最先端スタイルだったのでしょう。

胴服 水浅葱練緯地蔦模様 三つ葉葵紋付

胴服 水浅葱練緯地蔦模様 三つ葉葵紋付

(どうぶく みずあさぎねりぬきじつたもよう みばあおいもんつき) 国立文化財機構所蔵品統合検索システム

縫い締め絞りで地色と黄や萌黄の葉を染め分け、繊細な墨線による描絵で模様を表現した胴服。

鷹師・荒井源左衛門威忠が、下総国行徳での農民の争論を沈めた恩賞として、家康から賜ったものと伝えられています。

白地葵紋桐模様辻が花染鎧下着

白地葵紋桐模様辻が花染鎧下着

(しろじあおいもんきりもようつじがはなそめよろいしたぎ) 国立文化財機構所蔵品統合検索システム

天正18(1590)年に上野国伊勢崎藩初代藩主・稲垣長茂が拝領したものと言われている鎧下着。鎧下着とは、その名の通り鎧の下に着用する上衣のこと。袖口がすぼまっている壺袖になっているため、動きやすいのが特長です。

背縫いでは絵羽模様の柄合わせになっているにもかかわらず、脇や袖付けでは模様が分断していることから、仕立て替えしたと考えられています。さらに、襠(まち)の裾近くの紫地の染め分けから、もともとは羽織であった可能性も指摘されています。

武士の時代到来を象徴する辻が花

福島氏は、染織研究家・山辺知行氏の「辻が花の発展には、応仁の乱を境とした日本の服飾史の大きな変化があった」という旨の指摘を引用しつつ、中世服飾である大袖様式から近世服飾である小袖様式への変化が辻が花隆盛の背景にあったと説いています。

従来庶民が着ていた日常着としての小袖と、上流階級の下着であった小袖。前者は経済的な理由から、後者は下着であったという理由から、きわめて簡素なものでした。しかし、室町時代以降、身分問わず染めによる加飾が施されるようになります。それは従来の“織模様”から“染模様”へ移行していく兆しであり、その動向の中で伝統的な技術を結集し、多彩な模様表現を可能にする技法として誕生したのが辻が花であると考察しています。

また、それは同時に、貴族文化から武家文化への変化を象徴するものだったとも捉えられるでしょう。戦国大名たちが群雄割拠した動乱の時代に艶やかに花開き、儚く消えていったミステリアスな辻が花。ぜひこの機会に、謎のヴェールに包まれながらも見事に復活を遂げ、現代を優美に生きる辻が花の魅力に触れてみてはいかがでしょうか?

【参考資料】
・『徳川家康の服飾』福島雅子(中央公論美術出版)
・『染織の美』切畑健(京都書院)
・『「辻が花」の研究—「ことば」と技法をめぐる形態資料学的研究』小山弓弦葉
・文化遺産オンライン


絞り染・辻が花
小倉淳史 喜寿記念展

小倉淳史 喜寿記念展

絞りはたいそう古くから日本に伝わり世界に広がりをもつ染め物で、表現の可能性を現在まだ大きく持っています。
この度の個展は 77歳の区切りとして開かせて頂きます。辻が花を中心とし、辻が花から発展した絞り染め作品を発表いたします。新しい色、形の表現をご覧頂きたく存じます。
私はこの先、何度もの個展開催は難しいと感じています。今回、是非皆さまにお目にかかり直接お話ししたく、会場にてお待ち申し上げます。

小倉淳史

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催事詳細

会期:2024年3月8日(金) ~10日(日)
場所:銀座もとじ 和染、男のきもの、オンラインショップ

ぎゃらりートーク

日時:3月9日 (土)10 ~11時
場所:銀座もとじ 和染
定員:30名(無料・要予約)

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作品解説

日時:3月10日 (日)14~14時半
場所:銀座もとじ 和染
定員:10名(無料・要予約)

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