※最終更新:2024年6月
店主 泉二啓太(以後 啓): 芭蕉布は今、特に注目されているように思います。戦後に芭蕉布の復興と発展に尽力された、人間国宝・平良敏子さんが2022年に101歳でご逝去されました。現在、喜如嘉の芭蕉布の工房は義娘の平良美恵子さんが中心となって盛り立てていらっしゃいます。
工房で芭蕉の糸績みをする平良敏子さん
会長 泉二弘明(以後 弘):逝去される少し前の6月に、平良敏子さんの仕事の集大成となる展示会が開催されて、会場の大倉集古館には日本中から大勢の芭蕉布ファンが駆けつけました。その成功を見届けられて、きっと笑顔で天国へ旅立たれたのではないでしょうか。
啓:私は産地の喜如嘉でしかお目にかかったことがないのですが、90歳を超えてなお現役で、工房の隅で黙々と糸を績んでいる姿が印象的でした。
糸績みをする平良敏子さんと銀座もとじ 泉二弘明
弘:静かで寡黙な方でしたね。工房を訪問するといつも糸績みや糸染めをされていました。随分前にぎゃらりートークにお越しいただいたこともありますが、やはり言葉は少なくて、強い信念で言葉よりも行動で示される方だったと思います。
啓:戦争で芭蕉畑が焼き尽くされて、焼け野原となった畑を耕し、糸1本を作るところから芭蕉布を復興されました。1974年には「喜如嘉の芭蕉布」という産地として、重要無形文化財指定を受けています。民藝運動の柳宗悦もその美しさを讃えていた芭蕉布を、今こうして私たちが手にできるのは、平良敏子さんと、平良さんを支えてこられた工房の皆さんのおかげです。
工房裏手にある糸芭蕉畑
糸芭蕉畑の動画
弘:平良さんは、個人ではなく常に工房、喜如嘉という産地全体、良い布が作られる仕組み・体制作りを重視されていましたね。今は義娘の平良美恵子さんが工房を引き継いで奔走されています。芭蕉布はとにかく仕事が多いですから。
啓:糸芭蕉を育てるところからですからね。産地の織物は、糸については工房外の方へ依頼したり仕入れたりすることが多いのですが、この喜如嘉の芭蕉布では糸芭蕉を育て、糸作り、糸染め、織りまで全て工房内でされています。
糸芭蕉は約3年育てたこのくらいの太さが収穫に良い頃。畑には1年ものから3年ものまで混在している。
弘:平良美恵子さんもよく「織りは最後のご褒美みたいなもの」と仰っています。着物一枚に約200本分の糸芭蕉が必要ですから、畑仕事から始まる糸作りがどれだけ大変かよくわかります。
啓:喜如嘉の芭蕉布の名古屋帯は、車輪梅や琉球藍で伝統柄を染めたものと、色鮮やかな「煮綛(ニーガシ―)」があります。また角帯は与論島の「菊さん」の工房のものです。
弘:糸そのものの魅力を味わえるのが与論島の芭蕉布の魅力です。男性も夏は角帯を自然布素材にするだけで、一つ上の装いを演出いただけますよ。
《2024年夏》必見の芭蕉布
会長 泉二弘明が選ぶ必見の一反
与論島の芭蕉布
八寸名古屋帯「無地」
私は「菊さん」の帯を選びました。20年以上前に与論島で芭蕉布を作っている「菊千代」さんとの出会いがあり、糸そのものが大変美しかったので無地で織っていただいたところ大変好評で、今も素材を味わえる作品を毎年届けていただいています。今はそのご家族が工房を引き継がれ、一年で着尺1点、帯や角帯も数点ほどですが「織り上がったので送ります」という電話を毎年楽しみにしています。
店主 泉二啓太が選ぶ必見の一反
喜如嘉の芭蕉布
着尺「井桁」
今夏は着尺が一反だけ入荷しています。着尺は糸の細さがより求められるので、一反分の糸を揃えるのは容易なことではありません。大変貴重な一点です。糸芭蕉の自然の色を生かしたナチュラルな色合いで、男女どちらにもお召しいただける柄です。芭蕉布は張り感があるので、袖だけでなく体中に風が吹き抜けて大変涼しいですよ。
芭蕉布に関する読み物
《2015年》ありがたき當然の美 - 喜如嘉の芭蕉布|和織物語
《2015年》喜如嘉の芭蕉布 平良美恵子さんのぎゃらりートークを開催しました
《2012年》「信念で育む喜如嘉の芭蕉布」平良敏子と芭蕉布織物工房展|和織物語
《2012年》喜如嘉の芭蕉布織物工房より、平良美恵子さんをお招きしてぎゃらりートークを開催しました