- 1.必見!催事期間中は非売品のお軸、飾り匣、額装を特別展示
- 2.祇園祭「山鉾の胴掛け」とは?
- 3.樹田紅陽さんのこれまでの道のり
- 4.切畑健先生との関係について(『和織物語』著者)
- 5.技法解説 − この作品にはこの繍い技法
- 6.樹田紅陽さんの言葉
1.必見!催事期間中は非売品のお軸、飾り匣、額装を特別展示
個展に先立ち、スタッフが工房へ訪問させていただきました。京都市上京区、西陣にほど近い町家の一画にある工房には、藤の刺繍をほどこしたお軸や煌々と輝く飾り匣などの造形作品が並び、神聖な空気に包まれていました。ぎゃらりートークや作品解説では工房でのものづくりについてお話を伺います。また23 日(金)〜25(日)の催事期間中は、ご来店の皆様に非売品のお軸、飾り匣、額装の実物をご覧いただく予定です。ぜひお楽しみに。2.祇園祭「山鉾の胴掛け」とは?
樹田紅陽さんは、京都・祇園祭の保昌山の胴掛類の復元という大業を果たされたことでも知られています。祇園祭といえば山鉾巡行。山鉾はそれぞれに豪華な装飾が施されており、まさに「動く美術館」と呼ばれるにふさわしい絢爛さです。中でも保昌山の山鉾は円山応挙の原画を踏まえた名品といわれ、その前掛、左右の胴掛、後掛は四面のすべてが刺繍で表現されています。
※写真はイメージです。
3.樹田紅陽さんのこれまでの道のり
「和織物語」でもご紹介のように、樹田紅陽さん(本名:樹田次男さん)は1948年、祖父の初世・樹田紅陽(樹田国太郎)さんが始められた繍業を営む家に生まれました。その後家業をお父様が引き継がれましたが、樹田さんが大学在学中に病に倒れ半身不随に。その後、お父様作の繍衝立、美村元一氏の作品との出会いをきっかけに本格的に刺繍の道へ入ることを決意され、美村元一氏、さらに間所素基氏に師事。1988年、三世・樹田紅陽を襲名されました。東大寺や国立京都迎賓館などの文化財修復を手がけられる一方で、素繍いによる帯や着物、芸術性の高い造形作品を制作されています。
4.切畑健先生との関係について(『和織物語』著者)
今回の「和織物語」は特別に、京都国立博物館名誉館員の切畑健先生に執筆いただきました。博物館の図録などに寄稿される切畑先生が、異例ながら一小売店のために執筆してくださったことに感謝の念が堪えません。切畑先生は、樹田紅陽さんの京都市立芸術大学の先輩にあたり、京都国立博物館に学芸員として勤務されていた頃よりずっと樹田さんの仕事を見守ってこられました。当時、京都国立博物館には祇園祭の重要な祭具一式が寄託されており、保昌山の胴掛類の新調の際、復元された刺繍を初めて目にしたときの感動を、「繍作品の向こうに、原画の本質を見据えているのである。応挙という芸術家と対峙する樹田がいるのである」と述べられています。(『季刊銀花2008年夏 第154号』文化出版局 より)樹田紅陽さんの初個展(2000年)の際も挨拶文を寄せられるなど、長きにわたって深い信頼の絆で結ばれていらっしゃいます。
5.技法解説 − この作品にはこの繍い技法
京繍の歴史は平安遷都からの1200年を遡ります。一本の糸と無数の色が綾なす刺繍は、平安貴族の十二単から室町時代の能装束、安土・桃山時代の小袖へと絢爛な衣装を彩ってきました。繍の技法は約50種。今回の個展でも、多様な繍技を組み合わせて制作くださっています。その一部の技法をご紹介します。
(左)組ぬい、ぬいきり、駒ぬい
「組ぬい」は組紐を組むように左右から交互に繍っていく技法で、江戸時代に腰巻(高級武家女性の夏の正装)や袱紗に使われていました。(右)菅ぬい、切押え、駒ぬい
布目の緯糸の谷に糸を沿わせて繍う「菅ぬい」は、唐撚り糸、諸撚り糸など、糸の太さや撚りを変えることで妙味が生まれます。明治時代の写生調刺繍の影響を受けた技法です。
(左)天鵞絨ぬい
布上に針金をのせて巻ぬいをし、その上辺を切って毛羽立たせる技法。江戸時代の祇園祭の幕にも用いられています。(右)まついぬい、菅ぬい、割付ぬい、十字ぬい
細い曲線にはまついぬい、面の表現には十字ぬい。四種の繍いを組み合わせることで空間性をもたらしています。