矢野まり子~息をのむ輝きに魅せられて~|和織物語

矢野まり子~息をのむ輝きに魅せられて~|和織物語

どこまでも澄んで透明感のある色、糸の艶、輝き…
織り上げた着物から醸し出される気品。
すべてがバランスを保って存在する。
着る人がまとって完成する着物、着ることに主眼をおいた着物。
時代を超えて…それこそ100年、着てもらえる着物を作りたい。
この熱い想いを心の奥に秘め、穏やかに静かに、糸を繰り、植物を採集し、染め、織り上げていく。

出雲空港から車で30分。
緑に覆われた松江市の郊外、宍道町の里山に矢野さんの工房がある。135年前に建てられたという家は石州瓦の人を包みこむような優しさを感じる建物だ。
そして家の中心に、清らかな井戸水が湧き出る。
以前住んでいた人が大切にしたであろう庭には、季節の花々が自分の咲く順を心待ちにし、時期が来ると潔く誇り高く咲き始める。
ここを借り受け、ただ一人、糸から作り、それを自ら採取した裏山の植物で染め、織り続けて来た矢野さん 季節を肌で感じ、植物の生命の音を聞き、繭の命の輝きをそのままに保ち糸にしていく。 10年間の孤独な中での物づくりは、自分の心を磨き、解き放ち、新たな命の音を聞き分ける術を与え、作品に澄んだ輝きを加えた。
物づくりをしている時には、集中力を保つため、あまり食べ物を口にしないという矢野さん。早朝から仕事に向かい自分が納得できる作品を徹底して作り続ける。
この華奢な身体にどれだけのエネルギーを蓄えているのか?
自らの命も作品に注ぎ込んでいるのではないか?
そう思ってしまうほど心をこめる。
一反の着物を糸づくりから織までたった一人で作り上げていくという気の遠くなるほどの時間を、静かに一心に過ごしていく。
蚕の命の輝きが息づく糸は、矢野さんの優しい手と出雲の澄んだ空気、清らかな水の滴でさらに輝きを増し、艶やかに気高く育っていく。
この地で工房を構えて10年、この仕事に携わって30年余り。
出雲の緑の中で、矢野さんの熱い想いを受けて作り上げられた織り物たちは、その気持ちに報いるが如く、出雲の神々の祝福を受け、またとない輝きを見せる。

銀座もとじでの初個展です。
矢野まり子さんにとっても30年の集大成の初の個展です。
見た人がみな息をのみ、ため息をつくほど輝きを放つ出雲の羽衣をぜひご覧ください。

矢野まり子さんの歩み「染め織りとの出会い」

子供の頃から物づくりをするのが大好きだった矢野さんは、アクセサリーのデザイナーを目指して武蔵野美術短期大学工芸デザイン科に進学しました。しかし実習中に金属アレルギー体質だったことが分かり、卒業を機に松江の実家に戻ります。
24歳の時、民芸の出西窯・多々納弘光・桂子夫妻の「藍染め」に出逢い、染織の道に入り、その後民芸最後の求道者、外村吉之介氏の研究所で織物を学びました。
絵羽「秋風に 銀座の柳 そよぐなり」
絵羽「秋風に 銀座の柳 そよぐなり」

見聞を広げるために渡った沖縄で、日常的に行われている手仕事の染織に触れ、心底感動。すぐに故柳悦博工房の門を叩き「絹の基礎」を学びます。
「撚糸」「絹糸作り」等をひと通り学んだ後、石垣島へ移り住み、年11回は上蔟する繭を生きたまま糸にする生繭繰糸を徹底的に学びました。上州座繰りで糸を引き、自分で撚糸機を廻し、精練、染め、織りに至る一貫作業を九年続けたのです。
その後、「生地についてもっと知りたい」と考え、服地の世界にテキスタイルデザイナーとして飛びこみます。ファッションの発信地、パリ、ミラノ、スペインで仕事をし、あらゆる繊維に触れ、様々な物づくりを見た時、自分の判断基準がいつも「石垣島で手がけて来た生繭から作った生糸にある」事が分かりました。
矢野さんはいいます。
「自分が作ってきた絹は流行に流されず、長く長く生き続ける真の物づくりなのだと気づきました。絹のしなやかで美しい光沢と艶、変わらないクオリティーを私は迷わず表現して行きたい」と。
2002年7月にこの気持ちを実現すべく「清らかな水と空気がそろった環境」を探し、今の島根県松江市宍道町の地に自分の 工房を構えました。

大切にしている事

1. 春繭が来て初めて糸づくりが始まる。

上段: 上州座繰りで糸を採る矢野さん 下段: 左/甲骨文字「素恵」 中/座繰り途中の繭 右/染め糸
上段: 上州座繰りで糸を採る矢野さん
下段: 左/甲骨文字「素恵」
中/座繰り途中の繭
右/染め糸
毎年、6月中旬から7月上旬に届く春繭で糸づくりを行います。春の蚕は気温が安定した中で育ち、栄養分をたっぷり蓄えた春の桑を食べて育つので、大変上質な糸を作ります。生きたまま届けられた繭をすぐに冷蔵保存し、糸づくりが可能な量を冷蔵庫から出しては、煮繭をして一頭ずつ丁寧に糸口を探し、糸づくりをします。

2. 染料も自分で採取して作る

植物染料の採取に一番適している時期は3月~10月です。特に3月~5月の新芽時は地中から水分や養分を一番吸い上げ、柔らかく育っているので皮も剥ぎやすく綺麗な色が出ます。出雲の春、矢野さんの工房の周りでは、樹木に寄り添うと、地下水を吸い上げている証の水の流れる音が聞こえます。染料の植物は、工房の裏山に自生するものを採取し使用します。出雲根紫(紫根)、椎、山桜、ドングリ、ヤマモモ、ソヨゴ、茜、枇杷、梅、臭木、楠、杉、矢車附子など種類も豊富。
植物は、空気中の酸素に触れると色の鮮度がどんどん下がってしまうので、採取後はどんなに疲れていようともすぐに煮出しの作業にかかります。媒染液ももちろんすべて手作り。明バン石と言う岩石から作る明バン、藁灰や椿灰で作る木灰汁、古い釘を使って作る鉄。徹底した手仕事です。染め上げた糸は必ず3か月以上置いて、糸が空気に触れ、色が落ち着くのを待ってから機にかけます。

3. 上州座繰りで糸を採る

生繭は温度差のある湯に交互に浸け、煮繭を行います。半分程度、繭にお湯が入ると解除率も上がり、座繰りで使う土鍋の中でちょうど良い具合に浮き上がるのです。ひとつの繭にひとつの糸口。素手で丁寧に見つけていき、座繰りの準備にかかります。玄関の土間で土鍋にお湯を入れ、火にかけたままの状態で作業開始。常時60度程度の温度を保ちながら糸に負担をかけないため、素手で丁寧に「投げ入れ接緒(せっちょ)」を行います。繭が届く7月上旬は出雲も真夏。火と湯を使うこの作業は汗だくで、染めの次に体力を消耗します。

4. 平織りで作る

組織織もしますが、原則、平織りで作品を作ります。それは100年を超えても着ていただけるものを作りたい、着て長持ちする物を作りたいという願いからです。経糸と緯糸の接点が一番多い平織りは丈夫で長持ち。機は筬が直角に入り、打込みが均等で裏表が出ない反物を織るために、身体にあったものを設計しそれを愛用しています。それゆえ、矢野さんの織り上げた反物は、美しいだけでなく、「裾さばきがいい」「衣ずれの音が心地よい」など評判も高いのです。

5. 伝統を踏まえながら時代を超えていくものを

矢野さんは日本の中世・近世に作られた華麗な衣装を研究し、それを基礎に工房周りの風景や草花をイメージソースにして、今の人達の好みに合うようデザイン化していきます。伝統を踏まえながら新しい感覚を入れこんだデザインは新鮮でとても上品です。

6. 作品の題名は俳句で表現

矢野さんは作った時の思いを「五七五」の俳句で表現し、題名にしています。それぞれの作品にこめた想いを、言葉をつむいで作りだす句です。「私達作り手は作ったものが誰の手に渡るのか分かりません。だからこそ、すべての命をもらって作ったこの織物に、何を表現していたのか、どういう想いをこめて作っていたのか、を伝えたいと思うのです。それをわかって楽しみながらお召しになっていただけたら嬉しいです。」
絵羽「雪どけを 待ちわびるなり 水仙の花」
絵羽「雪どけを 待ちわびるなり 水仙の花」

7. 素恵(すえ)

矢野さんの作品には甲骨文字で書かれた「素恵」と言う文字が必ず記されています。意味は、「素直にありがたく感謝する」。植物染料にも得意、不得意は一切持たず、頂いた命の色はすべて平等に大切に使っています。素材から頂いた命に心からの感謝をこめて糸を繰り、染め、織り上げる。その一念はいつも変わらずにあります。

8. 工程の最後まで自身の目で見届ける

ほとんど一人で手がけている矢野さんですが、最後の「湯のし」だけは、他人の手に任せざるを得ません。ここにたどり着くまでに多くの時間を費やし、細心の注意を払ってきていますので、最後の仕上げで失敗は許されません。自分の作品を任せるのに適した人はどこにいるのか? 矢野さん自ら「湯のし」をする所に出向き、その工程をつぶさに見て歩きました。結果、今は「結城紬の湯のし」をする廣澤さん一人に任せています。
山陰地方に工房を構えて改めて気づいたことは、同じ植物でも太陽、水、風によって全く色が違って出ること。湿度が高く、雲で直射日光がさえぎられる山陰地方で育まれた植物は、全体的に色味が柔らかく、優しくなる事が特徴です。そして、この地の恵みでもある清らかな軟水の井戸水がさらに植物に力を与え、より鮮明で柔らかく優しい色になります。これらの命の力を糧に、矢野さんは一年の歳月をかけて素材に感謝しつつ、心をこめて一反一反を仕上げていきます。

「デザインで植物の命をさらに活かす」

今の工房の庭には四季折々に花が咲き、裏山には沢山の樹木が自生しています。ここで仕事をするようになってあらためて、「自然と一体になり、五感を思う存分使って創作することが、自分が求めてきた瞬間であり蚕や植物の命を輝かすことだ」と気がつきました。
自然との触れ合いの中から湧きあがるイメージをひたすら描いて残していく。そして書きためた中から「これだ」と思うものをチョイスして、着た時のイメージを作ってさらにデザイン画にしていきます。
次に、色糸をどう使うか、具体的にデザイン画に落としこみ、全体的に構想がまとまってきたら着物全体を描いて、胸柄や前柄をどうするかなど緻密に計算していきます。その後、和紙の定規を作って糸の入れ方を決めていきます。ここで矢野さんの創作活動はほぼ終わります。織は「最後の想い」をこめる部分。心を穏やかに保ち、丁寧に織り上げていきます。

「銀座もとじとの出会いは1年半前」

絵羽「薄靄の 朝の色綾 うつす波間に」
絵羽「薄靄の 朝の色綾 うつす波間に」
泉二との出会いは一年半前の京都、広い部屋の一角に飾られていた白地の絵羽着物を泉二が見つけたのがきっかけです。遠くからは白い無地に見えた着物が、近づくにつれ色糸が微妙に配色され、魅力的に目に飛びこんできました。どれも輝いて美しく、白糸は光の反射によって真珠のように輝き、また染糸はプラチナボーイを想像させる輝きを放っていました。全体的に気品があり、力のある織物に思わず、「これは誰がつくっているの? 」と尋ねていました。

一方、矢野さんには「銀座の呉服屋さんが作品を見たいと言っているから。」と言う連絡だけ。どこの誰が来るのかもわからず、ただただ工房で待っていました。
「泉二さんが車から降りていらした時は本当にびっくりしました。今回の初個展に繋がる運命の出会いで、自分が30年の集大成を作るという新たな目標が出来た日でもありました」と矢野さんは微笑みながらいいます。
一年にわずかの量しかできないため、この一年半は銀座もとじでの個展用の物づくりに専念してきました。プラチナボーイ、柳染めの反物も各一反ずつ制作されています。

「人と自然に支えられて」

今回の初個展が決まり、店舗で数回お会いした後、出雲の工房へ取材にうかがいました。そこには、銀座でお目にかかった時のクールで硬質な印象とはまったく違う矢野さんがいました。出雲の空気、出雲の風、出雲の自然に溶け込んで微笑む矢野さんは、妖精のように優しい温かい空気を持っていました。この人は外には見せないけれど、繊細で本当はとっても温かい人なんだ。だから植物にも蚕にも愛されているのだと感じました。ひとり物づくりをしている矢野さんですが、決して孤独ではないのです。地元で矢野さんの物づくりを見てきた人が、お召しになった人が、この人の力を信じ、この人の作品の力強さを信じ、素晴らしさを心底感じて、心から支えたいと願っていました。
矢野さんはいいます。「昔は地元の目が煩わしいと思った時期もありました。でも今はありがたいです。周りが色々と察してくれるから」と。
30年余りの物作り生活。決して楽しい事ばかりではなかった。生繭が好き、絹糸が好き、物づくりが好き。
そして、今まで出会った人が与えてくれた真心にいつか報いるためにと、ひたすら信じた道を全力で走ってきた。
「いつになったらこれらの人達に恩返しができるのだろうか。」
そう思いながら今も物づくりをしている。

初個展に向けて

女性でここまで徹底した物づくりをしている人は矢野さん以外にいるだろうか。
見た目はクールビューティ。だから一瞬の出会いではこの人の本当の繊細さや優しさ、そして内に秘めた熱い想いはわからない。でも作品は正直にその人を物語る。
本当の物づくりをしている人の生き様を見せてくれる。
30年という歳月をかけ、ひたすら素材を大切にしたひとりの作家。
この人の手によって丁寧に作り上げられた作品は、本物だけが持つ存在感に満ちあふれ、長く身に着けるほどに味わいと愛着が増していく。
精魂をこめて作り上げた作品は、植物の命をさらに輝かせ矢野さんの情熱と共に活き活きと輝く。
銀座もとじでの初個展です。
泉二が惚れこんだ、この作家の渾身の作品をご覧ください。

《ぎゃらりートーク》

矢野まり子さんに、生繭繰糸から座繰り、撚糸、染織と一貫しておこなっている工程や物づくりにかける思いをお話しいただきます。
また以前、矢野さんが重陽の節句で皇室に納めた「菊の被綿(きせわた)」(9/8 の晩、菊の花の上に真綿をおおい、重陽の節句の早朝、朝露が浸みこんだその真綿で身体を拭い、邪気を払い長寿を願ったもの)をお持ちいただき、松平不昧公ゆかりの出雲のお水を使って点てたお抹茶と出雲の和菓子で一日遅れの重陽の節句を行います。ぜひご参加ください。

日時:2011年9月10日(土) 【開催終了】
定員:30名(無料・要予約)
場所:銀座もとじ 和織

重陽の節句「菊の被綿」
重陽の節句「菊の被綿」