プラチナボーイ大島紬~素材と技の幸福な出会い~|和織物語

プラチナボーイ大島紬~素材と技の幸福な出会い~|和織物語

この秋、銀座もとじでは〝私好みの大島紬を誂える〟企画が、本格スタートします。

糸は、銀座もとじが自信をもってお届けする雄だけの蚕種・プラチナボーイ。手がけるのは大島紬の作り手である益田勇吉さん。白泥大島の発明者である益田さんが、プラチナの輝きをもつ糸に、きめ細やかなパウダーを纏わせて、やわらかな色のモダンな絣を作り上げます。催事に先立ち、益田勇吉さんの素晴らしい仕事を、ぜひ皆様にお伝えしたいと思います。

大島紬の誂えを可能にした益田勇吉さんの革新的な技術

益田勇吉さんは、鹿児島市で大島紬の織元、益田織物を営む。生まれ育ったのは、同じ県内ではあるが、奄美大島にほど近い喜界島だ。
「なんにもない島ですよ」と益田さんは苦笑いする。都会的な刺激はないだろう。でもそこには、広い空があり、青く透明な海や白い珊瑚礁の砂浜が広がり、ガジュマルの深い緑や色鮮やかな花々、飛び交う蝶が、色彩を添える。誰もが夢見る楽園の景色だ。

大島紬といえば、締機絣の泥染めだろう。濡れ羽色のしっとりとした風合いと精緻な絣、南国の風景と重なるエキゾチックなモチーフ。もともと島に古くからあった素朴な紬織りが、明治時代の近代化とともに大転身、積極的に新技術を取り入れて、今ある姿になった。

この新生大島紬は、本土で大いに人気を博し、生産拠点は奄美大島にとどまらず、早々と鹿児島市内に伝わったという。

しかし、熱い薩摩の気質である。鹿児島の織元たちは創意工夫を重ねて、奄美とはまた違う大島紬を編み出していく。

高校卒業後、喜界島を離れた益田さんは、少し回り道をした後、鹿児島市内の織元で働くことになる。21歳だった。

「織物の世界には、図案師の仕事があると知って、これをやってみようと思ったんです」

幼いころから絵が大好き、けれど生かす道を見つけられずにいた益田さんの、ひらめきにも似た活路だった。

幸いなことに、就職した織元は進取の精神に富んでいた。益田さんはまず染料の知識と技術の研究からスタート。というのも、鹿児島の大島紬は、明るく軽やかな白大島や色大島が主流で、化学染料の精通が求められたからだ。さらに図案の仕事も任され、もっとも重要な絣の設計図を描けるまでになる。

分業体制が定着している産地では、工程のそれぞれを専門職が携わる。だから、益田さんのように多くの工程を横断できる人は、とても珍しい。

織元時代の益田さんには、同世代の仲間がいた。三羽ガラスと呼ばれるほど気が合い、揃って探求心旺盛。彼らの辞書には不可能がない、というくらい、難題ほどファイトが湧き出た。そして次々と新しい技法を編み出した。益田さんは、そのリーダー格だった。

まず最初に手がけたのは、技は盗むもの、という古色蒼然とした職人仕事を、次々と数値化することだった。

「効率が上がるし、再現性もアップしました」

色見本、絣の設計図の整理も、資料性を高めた。特筆すべきは白大島の改良だろう。

「白大島は、モダンで人気があります。そこに泥大島の風合いを加えることができないかと、そんな注文を受けたんです」

白い泥大島。まるで禅問答の不可解さだ。大島の泥は黒いのだ。けれど、思いがけないところに突破口があった。鹿児島本土の伝統陶磁器である薩摩焼のひとつ、白薩摩に使われる白い土、カオリン。化粧品のフェイスパウダーにも使われる粒子の細かい土が、奄美の泥と同様の性質をもっていたのだ。

「この白泥を使うと、ふっくらしっとりとした風合いが生まれるし、糸色はパールみたいなマットな輝きになる。しかも絹糸の弱みである黄変も防げるんですよ」

この技術は、織元と益田さんの名前で特許を取っている。その後、益田さんは39歳で独立。遅咲きだが、技術の研鑽を積むに必要な年月だった。益田さんは引き続き研究を重ね、極上の白泥染めに行き着いた。

しかし、益田さんは白泥大島をことさら売りにはしていない。この優れた糸ありきで、もっと大きな課題に挑戦していたのだ。

「どうしたら一柄あたりのロット数を減らせるか、です」

大島紬の抱える大きな問題は、締機という効率を求めた絣づくりの宿命で、絣を締めるのに必要な糸量が十六反分必要だと考えられていた。同じ柄が十六枚できてしまうということだ。それは大島紬の繁栄を支えてきた有難い存在だったが、今や時代は小ロット多品種の流れが止まらない。着る人も、誰かと同じでは満足できず、自分だけの一枚を求めている。大島紬の量産を支えた締機が、今や足かせになっているのだ。

そこで益田さんは、不可能を可能にする精神を発動する。生き残りを賭けた挑戦だった。試行錯誤を重ねて、ついに、小ロットでも締機ができる方法を見つけ出すことになる。

ただし、文様の単純化が課題になる。複雑で精緻な絣が売りの大島紬とは逆行するし、龍郷柄など個性的な伝統絣も組み込めない。それでもなお魅力的な文様を、益田さんは作り上げた。それは、歴史ある大島紬から進化した、新たな伝統の美といえるだろう。

益田さんの革新的な技術と、銀座もとじの出会いにより、〝私好みの大島紬を誂える〟企画が実現した。

実は、銀座もとじでは、プラチナボーイの糸を早くより益田さんに託していた。小ロットだからこそ、稀少な糸を託すことが可能だったし、細く、強く、しなやかな、プラチナボーイの糸を白泥染めすることで生まれる風合いへの期待もあった。

染めてみた感想を益田さんにうかがうと、

「素晴らしい糸です。白泥で染めた時の、軽くしっとりした滑らかさは最高です。色も光沢も引き立ちますね」と手放しの褒めようだった。

ただし、ゼロからの織りの誂えはかなり難易度が高い。そのため、益田さんは手がけてきた絣のサンプル帳を用意している。

「ときめき」「ラベンダー」「白糸の滝」など、どれもモダンで着こなしやすく、シンプルかつ変化がある。これをベースにアレンジできる。少々の難題ならば、きっと益田さんはチャレンジすることをためらわない。

また、各染料で表現できる濃淡を九段階、全2680色が整然と並ぶ益田さん特製の糸色見本も心強い。膨大なデータがきっちり記録されているから、どの色も再現可能なのだ。眺めるほどに美しく、誂え心を刺激する見本帳を、益田さんはどれだけの時間をかけて作ったのだろう。

「今の時代はデザインや色が重要ですよね。技術はあって当たり前。着る人を考えた色を心がければ、見本帳があるのは大前提です」と、あくまで益田さんは職人気質だ。

白泥染めならではの優美な白さに映える、透明感ある色彩。それはハイカラな文化を育んできた銀座の街によく似合う。

さらに言えば、幸福な気持ちになれる色、ふと笑顔がこぼれる色、でもある。きっとそれは、益田さんだけが持っている色彩感覚。生まれ育った島から受け取った、最高のギフトではないだろうか。

執筆者: 外舘和子