小林敬子 – 絵絣・紬織作品~自然の息吹を大胆な構成と繊細な織に託して~|和織物語

小林敬子 - 絵絣・紬織作品~自然の息吹を大胆な構成と繊細な織に託して~|和織物語

『自然の息吹を大胆な構成と繊細な織に託して』

愛知県岡崎市在住。
近隣の野山に生息する植物を採取して絹糸を染め、岡崎の自然や風景を具象化してデザインを描きこみ、織り上げていく。その道すでに35年。真摯に染め織りに取りくむ情熱からは、新鮮さを失わないデザインが毎回生みだされる。経緯真綿糸で織りつづけてきた絵絣の紬をより神秘的に仕上げるため、経糸には一本置きに生糸を加え、緯糸も工夫して織りあげた結果、織りあがった紬は以前より光沢を増し、身にまとったときに妖しい艶が出ることとなった。何年もかけて生みだされた小林さんのこの手法は、自身が作りだす大胆な図案ときめ細かな織でさまざまな表情を見せる。多くの賞を獲得し、その作品は幾多のファンを魅了しつづけている。
「紬は草木染めによって透明感を増し、経緯の色遣いを変えることによって妖しい光沢を発する」
この言葉通りに。

今回の展示会に向かって

小林さんは、三河路で生まれ育ちました。ここは徳川家康生誕の地であり、土地柄古き良き物を大事にしつづけています。一件保守的ですが、実は凄く新しいものを意欲的に取りくむところがあり、ひとつの例をあげれば、特産である「八丁味噌」も伝統の手法を350年以上守りながら、現代人の口に合うようにさまざまな手法が凝らされているのです。小林さんの織物も『万葉の心を持って』と称されるように、土地柄を生かして草木染をし、素朴さと自然の息吹を活かしながら小林さんの感性を盛り込みます。特に生命の色「みどり」には人一倍の力を注ぎ、より透明で綺麗な色がでることから伊吹山の生葉を用いた「刈安」にこだわり続け、また十数年間守っている「藍」を駆使して澄んだ色目の作品を作り上げるところに至りました。絣のデザインについては、三河の海や山が四季折々に変化する風景をスケッチしそれを独自の感性で具象化して図案を作りあげます。絵模様は「上品でありながら大胆に」。
悲しい事件が頻発する今だからこそ、まとったときに着る人も見る人も大らかで凪いだ気分になれる独特の”ぼかしよる癒しの世界”を創りだしています。

小林さんお薦めの作品は

小林敬子さん 絵羽作品

①生命の色「みどり」による絵絣着物

銀座の柳を使った作品、春の若葉からアルカリ抽出して色を採り、梅雨時に限って糸を染めて作るという「若葉染め」。小林さん独自の10年間の研究成果をお見せします。

②草木染めによる三大赤色の着尺

小林さんは還暦を迎え、これを期に「赤」にこだわった着尺3点を制作しました。まず第1は「茜」で染めた黄色系の着尺。第2は「蘇芳」で染めたエンジ系の着尺、そして第3は「ラックダイ」で染めたピンク系の色素が強い着尺です。同じ「赤」と言っても抽出する天然の材料によって含まれる色素の違いがはっきりでています。「赤」は日本人の肌の色に合い、「魔よけ」的な意味を持ちながら、また着る人をいくつになっても可愛らしくチャーミングに見せる力があると言います。是非この機会にご自身の肌色に合う赤の着物を見つけてください。

作品にかける思い

いつも今自分が創りたい、着てみたいと思うもの、そして自分にしか作れないものを作ろうと努力しています。作品作りのキーワードは「着物だからと気がまえるのではなく、日常生活の中で何気なく身につけられるもの、気軽にまとって出かけられる着物」です。だからと言って民芸調のものを作るのではありません。現在の街並みに合い、この照明の中で着物をまとっている人が清楚で輝いて見え、そして何処に行ってもお洒落なものであること。これが作品制作にかける小林さんの想いです。

織に入ったいきさつは

ここで小林さんの生い立ちと織りとの出会いを紐といて見ます。
おばあさまがお茶に造詣が深かったので幼稚園の頃から茶道は身近なものでした。幼い頃は「お菓子」を目当てにお手伝い。実家が開業医、母親が医師で忙しかったこともあり、幼少の頃はおばあちゃん子でした。土日になると住み込みの看護婦さんたちがおばあさまからお茶を習います。そこに、ちんまりと混ざりこんでいたのが幼き日の敬子ちゃんでした。
余りに熱心に続けているので周りの勧めもあり小学生から本格的にお茶の先生に師事します。当時の夢は「お茶の先生になること」。そんな孫を可愛がりつづけたおばあさまは、せっせと孫娘のために着物を仕立て、着付け、毎日夕食の後は着物で過ごす生活になりました。

おじいさまは工芸三昧の凝り性。岡崎市の高台に別荘を持ち、雅号を定め、窯を持って、職人さんを呼んではさまざまな陶器を焼かせていました。京都から絵描さんを逗留させては、自宅にある屏風に絵を描かせたり、自分の手掛けた茶道具類に絵を描かせたりと一級品をそろえていく、美術には一見識を持った人でした。書では曽祖父が仙台藩伊達家のご祐筆ということもあり、おじいさま自身もなかなかの腕を持っていました。
小林敬子さんのものづくり

そんな中で育っていた敬子さんは、いつも祖父の花押のものにつつまれ、祖母が折りあるごとにお軸とお花を飾るという季節を敏感に感じとる環境で育っていました。
岡崎の教育大学付属小学校から中学校、そして岡崎北高校へ進学し、金城学院大学家政学部へ進学。その頃はまだ幼少のときの夢「お茶の先生になる」ことを持ちつづけていました。大学生のとき第一回の運命的な出会いをします。大学祭でキャンパスへやってきた名古屋大学の学生であったご主人と出会い、卒業してすぐに結婚へと進みました。結婚当初は『学者の妻になり、子供をもうけ、子育てをし、しっかりと温かい家庭を築く』が小林さんの新しい夢となりした。しかしご主人は研究に明け暮れる生活で帰宅もまま成らないほど忙しい。いくら完璧に家事をこなしても、日々の時間は余ります。転勤で東京に移り住んだチャンスを生かして美術館めぐりをしたり、都内近郊のお茶会に出掛けたりしていました。そんな折、銀座のある店で運命の出会い第2弾を体験します。街を歩いていて目が釘付けになった先には、「吉野間道」の帯が飾ってありました。

「これなに? なんて素敵なんだろう。なんて温もりが感じられるんだろう。」 今まで、お茶の世界で染物中心の生活だった小林さんに転機が訪れます。「ちょっとちょっとこれってどうやって作っているの? 」「私も作れるかな? 」と発想がどんどん広がっていきます。「私だって家政学部卒業だもの染めることや織ることの基礎は勉強したよね。その上で技術をマスターしたら自分でも織り上げられるかな? 」と・・普通だったら「買いましょう」で済むところですが小林さんはなぜか自分の手で作ることに興味が沸いていきました。

まず本屋さんへ直行し当時有名だった『手織の基本』を読み始めます。読み終わると今度は、どうしても教えを乞いたいという想いが募り、とうとう著者で女子美術大学の教師でもあった土肥悦子先生の自宅を探し、原宿まで訪ねていきました。さまざまなお話の後、先生からしばらく織りを教えていただくこととなりました。

小林敬子さんのものづくり
始めてみたら、なんとも面白い、そして楽しい。ドンドンドンドンのめり込んで行きました。ご主人の転勤で岡崎に戻ったのを機に、とうとう京都の龍村美術織物へも通い始めました。先代の龍村のご主人は大変こだわる人で職人気質。「なにをどうする」と教えてくれるわけでは有りませんが見て盗むことには何も言わない人でした。そこで、徹底的に絹糸の精練と草木染の修得に努めました。また地元で行われていた『東海伝統工芸展』にも作品を出展し、2回ほど入賞しました。

この頃、光栄にも鎌倉芳太郎先生をご紹介いただきましたが、お忙しい先生でしたのでなかなかお目にかかるチャンスは到来しませんでした。ご紹介から3年経ったある日ようやくそのチャンスが巡って来ました。「図々しいかなあ。でも、絶対に今まで織った着尺地のサンプルをみていただこう! 」そう決心しすぐにサンプル持参でお目に掛かりに行くと、先生は作品の出来から能登の水島繁三郎氏をご紹介くださいました。

水島先生は『見込みのある人には徹底的に教える』方でした。しかしそれにはひとつの決まりがありました。『織りを続けるには才能や素質だけでなく環境が整っていることが大切です。私も一生懸命教えるのですから、中途半端で投げ出す人にはどんなに頼まれても最初から教えません。最後までやり通すには本人のやる気にプラスして環境が必要ですよ。』と。そのため、師事する折には「ご主人と共に能登までいらっしゃい、環境は大丈夫ですか? ご主人の理解と家族の支えはありますか? 」と夫婦2人に何度も話され、週末になるとご主人の運転で2人揃って能登へ出掛ける生活が始まりました。何度と無く通ううちに旦那様からは「敬子さん、好きな仕事を存分にしなさい」と言われ、水島先生からは「もう1人で来ても良いよ。頑張れ」と許可をもらいました。それからは、3週間自宅で学習しては1週間能登に滞在するという生活を続け、必死に技術を習得していきました。

2年後、絵絣の手法で織り上げた経緯真綿紬の2点を鎌倉先生に見ていただくチャンスが到来。すると「2年で水島はここまで育てたか! 」と感激し、作品に「花みずき」「むらさき草匂う」と命名してくださいました。
日本伝統工芸展に初入選した折には、当時審査員だった現在の人間国宝、北村武資先生が小林さんの表現力を高く評価し、今後の為にと色々とアドバイスもしてくださいました。 その時から本当の意味での『独り立ち』が始まりました。

この道を続けてこられたのは

35年もこの道を続けてこられたのは、「吉野間道に出会ったときの感動が忘れられず、その初心を持ち続けられたこと」、「織りや草木染に恋をし続けられたこと」が最大の理由ですが、一方で、水島先生がおっしゃった「環境が揃っていたこと」も大きなポイントでした。子供の縁に恵まれなかったときご主人が「私たちには私たちの生き方がある。好きなことをやりなさい。自分の世界を持ちなさい」とアドバイス。これが結果として自分の背中をグイッと押してくれました。その後この道にのめり込んで周りが見えなくなった時、出品作品の制作で自分の世界にとじこもってしまった時など、常にご主人が「さてさて奥様・・健康の最大の源、大切なお食事は作らないのですか? 」と普段どおりに接して「いつもの場所」に引き戻してくれたのです。美術鑑賞や機織の修行で家をあけても「普段きちんと家事をしていれば構わないよ」と大目に見てくれました。このように、いつも元の場所に引き戻し「平常心で居ることの大切さ」をそっと教えてくれた事が、一度も機を降りることなく染織を続けて来られたことにつながったと心の底から感謝しています。

織りつけの瞬間が大好き

染めも織りも大好きですが、小林さんが一番好きな瞬間。それは機織の糸をぴんと張ったときです。
経糸がピーンと張り詰めた状態は、草木染めの糸がきらきらとして、まるで生きているかのように息づいて見えます。織り手と共にこれから始まる機織への緊張感が現れているようにさえ感じるのです。だからこそ緯色糸によって表情が変わる織りつけのこの瞬間がたまらなく好きなのです。

これからの道は感謝の道

小林敬子さん 絵羽作品
今回の展示会に当たって一言をおねがいしたところ、小林さんは笑顔で言いました。
「絵絣から始まり、経絣、そして絵の無いもの、色をテーマにした作品、熨斗目など、さまざまな人との貴重な出会いを糧に一歩一歩と歩んできました。岡崎の地は、三河湾を望む自然に恵まれた土地です。この辺りは土質が豊かなので染材料の植物も深い色を出します。生きとし生けるものから力をもらい、今までご指導くださった先生方、支えてくださった方々に感謝しつつ、自分の命のある限り、この世界に没頭し精進していきたい」と。

色々な支えが有ったからここまで辿り着くことができた小林さん。
それは恩師であり、家族であり、また作品を愛でて下さった大切な方々であり……
そしてその原料となってくれたさまざまな植物の命でした。
それらすべてに感謝しつつ……初心に返ってこれからも歩んでいきます。

「銀座もとじ」での初個展がいよいよ4月20日より開催です。
草木からもらった生命力が輝く作品は、4月の新緑や若葉と共に一層の輝きを放つでしょう。
大胆で繊細……その相反する表現が一体化した作品をぜひご覧ください。