刺繍が誘う華やぎの空間 – 人間国宝・福田喜重の世界|和織物語

刺繍が誘う華やぎの空間 - 人間国宝・福田喜重の世界|和織物語

日本刺繍の起源は西暦500年頃にインドからシルクロードを渡って伝えられた「繍仏」にあるといわれている。繍仏とは文字通り仏像を刺繍によって表現する技法。推古天皇の時代、日本でも繍仏が広く作られるようになった。日本最古の繍仏とされる飛鳥時代七世紀の「天寿国曼荼羅繍帳」は、奈良県の中宮寺に保管されている。文献上の初見は日本書紀の「飛鳥寺に安置する銅・繍の丈六の仏像をそれぞれ造らせる」という記載である。針と糸で布に想いを込める刺繍は、昭和の初め頃まで、例えば子供の無事成長を願う魔除け「背守り」として子供の着物の背に施されるなど、呪術的な力の宿るものと見做されてきた。

そのように人間の祈りや精神世界とつながる一方、平安時代の貴族の衣服、雅楽の衣装、桃山時代の芸能装束、江戸時代の小袖や打掛、寺社装飾、また嫁入り道具としての刺繍の掛袱紗など、刺繍は布を高貴で華やかなものへと高める役割を果たし、染織品を特別なものにする最終手段として重用された。

歴史の中で培われた刺繍の技術は、明治から昭和初期にかけて、写実的な絵画の如き表現の素材としても用いられ、海外からの高い評価を得ている。現代では、福田喜重のような刺繍作家の表現として、また広く現代美術作家の表現手法の一つとして刺繍に取り組む例も見られるようになった。

福田喜重は、1997年、刺繍の技法において初の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された作家である。作家にとって刺繍を核に表現するということは、どのような意味を持つのであろうか。

刺繍への道

福田喜重は1932年、京都市中京区の刺繍職人の家に生まれた。旧制中学で機械工学を学び、ゼロ戦の機関砲の玉の製造などに取り組んでいたが、終戦後の1948年、15歳で父・福田喜三郎のもと、刺繍の修業を始めている。

作家に拠れば、刺繍が好きかどうか、などと選んでいる余裕のない時代であった。 「嫌な仕事だからこそ、シンプルに考えるようになりました。下手なことをすると仕事が自分を笑います。いつも反省です」(註1)。

駐留軍の衣服にドラゴンの模様を刺繍するなど、生きていくためにどのような注文も受けた。配給の一方で闇市が横行していたが、食糧難と同時に「文化に対する飢え」「文化的な栄養失調」も人々の間にあったと作家は回想する。人はパンのみにて生きるのではない。あらゆる注文に対し、限られた材料を工夫して応える事も染織、刺繍の役割であった。「女性が幸せになる着物を作りたい」という、現在の作家の願いは、そうした経験も経てのことである。

厳しい時代における修業のスタートではあったが、京都には豊かな人材がおり、学びの機会がある。少年時代は後に日本画家となる上村淳之と遊び、先駆的な個人作家で型絵染の重要無形文化財保持者・稲垣稔次郎や、ろう染作家で京都市立美術大学の教授を務めた小合友之助、友禅の重要無形文化財保持者・森口華弘らの教えも受けた。

例えば、稲垣稔次郎には「自分の作品を一週間眺めてみて、大丈夫だと思ったら出品しなさい」と助言された。小合友之助にそのことを話すと、「一週間も自分の作品を眺めてたら、どうしたって嫌になるでしょう」と言われた。考え方は一つではない。とりわけ京都は個性やこだわりの坩堝である。そうした状況を客観視する福田のたとえが面白い。「キャノンとニコンはどちらも有名なメーカーですけど、キャノンはシャープで、ニコンはほんわかしたレンズです」。稲垣のキレのある型の線がキャノンだとすれば、小合の大らかなろう染めの風景はニコンということになるのだろうか。森口華弘には、目の前で何か描いてみるよう言われ、描きはじめるや「もうええ」と止められた。描いたものではなく、筆の持ち方をチェックされたのである。

日本伝統工芸展を舞台に

1971年に福田工芸染繍研究所を創設した作家は、5年後の1976年には第23回日本伝統工芸展に初入選。1978年第25回展では《刺繍訪問着 雪月花》で、さらに1980年第27回展では《刺繍訪問着 生々去来》で、二度の日本工芸会奨励賞を受賞している。

作家に拠れば「生々去来」は横山大観の作品《生々流転》からヒントを得た造語によるタイトルである。ブルーグレーの地に、白、金、ブルー、ピンク、薄紫の刺繍の線が、着物のフォルムやサイズを越えてダイナミックな動勢を示す(註2)。
「生々流転」とはすべての物は絶えず生まれては変化し、移り変わっていくことの意味である。「生々去来」はさしずめ、行きつ戻りつしながら変化していくということであろうか。「流れるもの、変化するものに想像力をかきたてられる」という福田喜重の気迫が伝わってくる。「精神的に、平面的なものでなく立体的なものを作りたい」という福田の意図にも大いに頷ける。

刺繍で表現する醍醐味

刺繍は、具象的であれ幾何学的な模様であれ、色糸の「点」と「線」、およびそれが生み出す「面」で模様を構築する世界。その原理は印象派の絵画にも似ている。作家は点と線を巧みに使い分けて植物や鳥、自然のモチーフを、時に具象性を生かし、あるいは抽象的、幾何学的に意匠化し、効果的に配していく。糸の種類、撚りや太さが違っても模様の姿かたちは変わっていく。一つの単位となる模様が着物という空間の中でリズミカルに繰り返されることも美しい。

日本の刺繍針は国際的にみても短く、24ミリあるいは26ミリほどの長さである。福田いわく「これ以上短かったら指で持てないくらいの長さ」である。福田自身の手も存外に小さい。しかし、短い針は作業スピードを上げることができる。一日一万回針を刺すことができる所以だ。

刺繍で作る模様には、長繊維の絹糸独特の光沢と立体感がある。金属、樹脂 漆、ガラス、ダイヤモンドなど素材にはそれぞれ独自の光沢があるが、絹の色糸でしか表すことのできない光の反射、糸のテンションによる輝きがある。刺繍は、絹の美しさを最も密度高く生かす表現といってもよいだろう。

例えば、スケッチを基に簡略化し、デフォルメした飛ぶ鳥の輪郭線に、僅かな抑揚を線の集積で築く。筆で描けば一本の線だが、刺繍では幾重もの短い線の集積が一本の線を形成する。そこには〝ものの形を糸で発想する〟という刺繍作家独特の思考がある。図案や下図を制作している段階で既に、作家の眼には刺繍の線が見えていることが、図案の端のメモ書きなどからうかがわれるのである。

先染めと後染めの融合 ― 一貫制作から生まれる刺繍と地色のハーモニー

刺繍は単独で作品が成り立つ訳ではない。作家は常に着物の形や地色が創りだす空間との関係の中で刺繍を行う。背景となる地色のグラデーションや暈しと、前に出る立体的な刺繍の色や形とが最善の関係を築いたとき、着物はこの上なく豊かな装飾的空間を形成する。分業の発達した京都には地染め(引き染め)の職人もいるが、必ずしも福田の希望通りの色に地染めされてくるとは限らない。

しかし、地色のイメージが異なったものになると、刺繍の模様が充分に生かされないことがある。刺繍が核となるからこそ、全体に気を配りたい。付け足しやサービスの刺繍ではなく、必須であり、それ自体が核となって全体を築き上げる刺繍である。一つの単位となる模様が、着物という空間の中で絶妙な間合いと共に繰り返される際も、厳選された地色や、適切な位置での暈しなどの美しさがあって初めて生き生きとした世界になる。

この空間構築の為に、福田は自分の代から、着物の地染めを含め制作を一貫して仕上げることのできる工房を持った。現在20名ほどの弟子や息子らがそれぞれの役割を担う。「30人いたら楽かもしれないが、目の届く数で制作したい」ための最大人数である。それは後進を育てる使命を負った人間国宝の姿勢でもある。

生地の地染めを自身の工房で手掛けることで、刺繍糸という「先染め」と、白生地の引き染めという「後染め」がしっかりと融合した世界を築き上げることができるのである。

布に舞う刺繍と箔

今回の展覧会では、銀座もとじがプロデュースしたプラチナボーイの白生地を用いた帯「菱羊歯」が登場する。プラチナボーイは雄の蚕のみの糸を使って織り上げた極上の布。雄の蚕がつむぎだす極細の絹糸は、蚕の持つ栄養とエネルギーのすべてが凝縮され、生地に艶やかな風合いを生むと同時に、腰があり皺になりにくいという着用時の長所ももたらす。今回の帯にみる模様「菱羊歯」は、羊歯の葉を金や緑で変化に富んだ立体的な模様とし、菱形の中に纏めたもの。羊歯を菱形に纏める意匠は先駆的な陶芸の個人作家・富本憲吉の模様がよく知られているが、福田は富本のような連続模様ではなく、帯の幅と地色の空間を生かし、浮かすように間を取りながら、内容の異なる菱形模様を組み合わせている。

会場には他にも、いかにも京都の作家らしい福田喜重の雅な着物、帯が揃う。優美な曲線を描く梅の花は、雄しべの先の丸い刺繍が愛らしく、金箔と相俟って柔らかな早春を告げる。松ぼっくりは、個々の実に茶だけでなく緑を加えて立体的に刺繍され、周囲の松葉の緑と呼応する。松の枝先五つをほぼ六角形に収めた「松寿」の意匠は、グリーンの濃淡や金、白が巧みに配された楽しげな吉祥模様である。柳の葉は僅かに先が曲り、金やグリーンの濃淡がまさに銀座の柳を揺らす軽やかな風を表現している。さらに、細やかな金箔・銀箔が布一面にあでやかに舞う様子は、地染めの繊細な濃淡があってこその世界である。

いずれも生地のしなやかな光沢を反映した地色の穏やかで幻想的な階調と、独自の輝きを放つ箔や刺繍との関係が、恰も音楽を奏でるように、モダンな空間を生み出している。

福田喜重を着るということは、模様が舞うような、あるいは今そこに日本の四季を見出すことのできるような、華やいだ空間をまとうことである。身につける女性だけでなく、その姿を見つめる周囲の人々もまた幸福感を味わうことのできる作品世界である。

福田喜重作 訪問着「光雪」
福田喜重作 訪問着「光雪」

註1 筆者による福田喜重へのインタビュー、2014年9月2日、於京都北区・福田喜重工房。以下、文章中の作家の言葉はこれによる。
註2 《刺繍訪問着 生々去来》は現在東京国立近代美術館が所蔵。この作品は度々展示・貸出されてきたため表側はかなり退色しているが、可能なら作り直しておきたいと作家は言う。

執筆者: 外舘和子