五代田畑喜八さん|泉二の一口対談

第32回:五代 田畑喜八さん

五代 田畑喜八さん

<五代 田畑喜八さんプロフィール>

1935年 京都府生まれ
1959年 早稲田大学第一文学部美術専修卒業
1961年 京都市立美術大学日本画科終了
同年   田畑染織美術研究所入所
1971年 株式会社田畑染織美術研究所設立
1995年 五代田畑喜八襲名 代表取締役社長就任
2000年 伝統工芸品産業功労者褒賞
2006年 旭日双光章 受章

泉二:

この度は初の当店での個展、本当にありがとうございます。和織物語の作成までに注文のプラチナボーイの作品を仕上げていただき、色々とご無理を申しあげました。ありがとうございました。

田畑:

いえいえ、こちらこそ呼んで頂いてありがとうございます。久しぶりに「茶屋辻」の重たい重たい仕事を注文頂いて、ほんまに充実した日を過ごしました。

泉二:

出来上がって来たお着物や帯を見て本当に素晴らしいと感動しました。これから数点上がる予定ですよね。こちらこそお引き受けいただいて本当にありがたいです。

考えに相通じるものが

泉二:

昨年の弊社の30周年記念展の折に制作のご依頼に伺ってから早1年余り。お目に掛かる度に、田畑先生が体育会系の方で、お考えも通じるところが有って私もおこがましいのですがものすごく身近に感じていました。今日までおよそ1年かけての個展催事に向けての制作、本当にありがとうございました。

左:五代 田畑喜八さん 右:店主 泉二
左:五代 田畑喜八さん 右:店主 泉二

田畑:

いえいえこちらこそありがとうございました。それにしても、お互いに本当に体育会系ですよね。私は柔道ですけどね。泉二さんは元ランナーだったとか。泉二さんは好きで始めたスポーツでしょ。私は無理やり放り込まれたもんですからね。

でも負けず嫌いが祟って頑張ってしまいました。武道で鍛えている田畑家は、代々声がデカイもんでね。先日も勉強兼取材でいらしたスタッフさんが話を聞きながら「叱られてるみたい」と笑っていました。それと泉二社長が居るみたいだって。

泉二:

取材に伺ったスタッフが戻ってくるなり「京都に泉二社長が居た」と言うので詳しく話を聞いたら考えている事に相通じるものがあって本当に嬉しくなりました。

田畑:

自分達でしっかり「種を蒔いてそして耕すことが大切」と言う所ですね。

泉二:

はい。私も常にスタッフには「お客様にどれだけ感動を持って帰っていただいたか」「喜んでいただけたか」が大切だと話しています。私はこの仕事を始めた時からお客様のカルテを作り、お話しした事やお誕生日や趣味など会話で得た内容はそのカルテに全部書き込むようにしました。その後ご縁を持たせていただいたものはすべて写真に撮り一緒に保管しました。そうすると、数年ぶりにご来店いただいてもカルテを確認すればお客様の事もしっかり思いだす事が出来ますし、お求めいただいていたものも分かりますから、お客様の色々な相談にものれます。また新しい商品が入って来たら前にお求めいただいた物とコーディネイトでお勧めも出来る。そうやって積み重ねていく事が信用を築き、一人ひとりのお客様とのご縁を大切にする事だと思っているからです。

田畑:

それは凄いですね。やろうと思ってもそこまで出来る人は少ないと思いますよ。 私の家にはカルテではありませんが、代々の喜八が作った図案が残っていてそれに「どこそこの姫様御用達」「好みの色は何、素材はなに」とか記載してあってね。 それは貴重な資料です。

泉二:

こうやって積み上げて来た30年なので、今のスタッフ一人一人にも徹底してカルテの作成をするよう指導しています。 あとは商品に関して「自分の目で見て、耳で聞いて、手で触れて、納得したもの」を「自分の言葉でお客様にご紹介をする」事ですね。そうしないと、自分自身が自信を持ってお勧めする事が出来ませんから。

田畑:

そうですね。それが一番大切だと思います。我が家にも最初に足を運んでいただいて実際の仕事を見ていただいて、その後ご注文いただき、それからも数回お越しいただいた中で少しずつこうやってご依頼がありましたものね。

泉二:

言葉にしてしまうとおこがましいのですが、そうやって自分で伺えば、作り手の姿も見えますし、物づくりの姿勢も分かります。そして、こちらの意見も述べますし、作り手のお話しも伺います。双方の会話が成り立って合意のもと、商品作りが進むと、良いものが出来ると思うんですよ。そして最後は、信頼して制作をお願いしたからには「作り手への感謝」=「販売すること」だと思うので、しっかり販売できるよう努めます。

景茶屋辻帯
景茶屋辻帯

スタッフが工房の見学もさせていただきますし、作ってくださる作家さんのお話も伺います。自分達で資料を作って勉強会もします。

田畑:

そやから私の所にもスタッフさんが来はったんですね。ノート持ってカメラ持ってえらい頑張ってはりましたわ。

泉二:

お仕事のお邪魔をしてしまってすみません。

田畑:

いやいや、そんなことありません。私も実はね、一度だけ「染屋を続けていてもあかんのやないか」と本気で考えた時がありましてね。で、自分で着物の「長所」「短所」を上げていったんですわ。それこそ何日も何日も考えましてな。で、結果、自分の分析では「着物の長所」が勝った。お召しになっただけでこんなにも普段とガラッと雰囲気も心持ちも見た目も変わるものは、無いと思ったんですよ。だから続けようと思ったんですね。 逆でしたら私は「五代」を継いでも辞めていたと思います。で、続けるには、呉服業界全体もしっかりせなあかんと思うてね。でも私一人が「物申す! 」と太鼓叩いていてもどうしようもない。このままでは京都の染屋も技術もいつかなくなりますわ。なので、私ら職人仕事している人達もみな、筋の通った先を見据えた仕事を大事にしていかんとならんと思うてます。

自分が伝統を守り惚れるものを作る

泉二:

田畑家の家訓の一つ「華の主」と言う表現は綺麗な実のある言葉ですね。

五代 田畑喜八さん
五代 田畑喜八さん

田畑:

そうでっしゃろ。私も好きな言葉ですし、仕事するときにいつも心の底においています。それとね、もっとすごいもんがありましてね。言い方が悪いから口に出しては言えませんけど(笑)。要するに「着た人(注文主)が感動して涙してビックリして腰抜かすくらいの物を作れ」っていう事なんです。お召しになる人を最高に演出して綺麗に見せて輝かせろ、そして作る自分を主張するな! 作り手はあくまで黒子に徹しろと。だから我が家では「50、60歳は洟垂れ小僧」なんですわ。私も洟垂れからやっと洟が垂れない小僧になったくらいですわな(笑)。

泉二:

私も着る人が主役にならないお着物は薦めたらいけないと思っています。

田畑:

我が家は「半歩先へ行け」と言う家訓もあるんです。人より半歩先を見ろということですな。一般で言うと私の年齢は既に「後期高齢者」になるらしいのですが、そんな自覚はありません。習慣にしているのは、百貨店に行ったら必ず化粧品売り場へ行くことです。自分が化粧するのとは違いますよ。見るんです。今の状況を。「白髪のおじいさんがなにしてはるんや? 」と言う目で見られますけど、自分の目で「どんな色が売れているのか、どんな化粧をみながしているのか」見て歩くんです。昔と比べたらお化粧の仕方も色使いも髪の色も髪型も違っていますから、着物だけ昔のまま作っていても駄目だと思うんです。伝統は伝統として守りますが、今の人に似合う物も作らんと着ていただけませんからね。泉二社長が我が家を目に留めてくださったのもそう言う相通じるものがあったんじゃないでしょうか。

泉二:

そうですね。伝統は大切ですが、それだけではなくやっぱりお客様に支持してもらわないとお客様がどんどん離れてしまいます。皆が着たいと思う物、自分が惚れこむものをご紹介していかないといけないと。先生が仰る通り、時代と共に街並みも変わっていますよね。昔は道路は土で、木造の家屋があり、着物姿も溢れていてそう言う自然の中に着物がありましたが、今はアスファルトとコンクリートに囲まれた街並みで周りの人は殆どが洋服。その中でお召しになっていても、周りの景色、人の集った雰囲気にも溶け込み、マッチしている着物でないと着る側は「悪目立ちしているようで着心地が悪い」。今は「引き算の美学」が着物にも求められていると思います。

田畑:

そうですね。そう言うのが大事ですよね。私が今回作った「茶屋辻」も藍の濃淡で見た目はシンプルですが、染はものすごく緻密です。その上で全体のバランスを見てどれだけ白地を残すか、どれだけ空間を作るか、これも引き算の美学ですね。

田畑家コレクションの色見本帳

泉二:

田畑先生の所には数え切れないほどの色見本帳がありますね。1ページ1ページに物凄い量の色見本の生地が貼ってあってビックリしました。

田畑さんの色見本帳
田畑さんの色見本帳

田畑:

あれは、二代喜八の作ったものも一部ありますが、ほぼ三代喜八が染め出して作っていた着物の染め生地を纏めて行ったもんなんです。三代から四代と続いてきて、沢山揃ってきたものを私が整理しました。皆さんから見たら、なんだかスクラップ帳にベタベタと布が貼ってあってそんなに綺麗なコレクションにはなっていないんですけどね。私から見たら宝物なんです。一枚一枚、代々の喜八が染めた色が残っているからホンマに貴重ですわ。今見ていると「ようこんな色出しはったな」って感心するものが沢山有りますよ。

泉二:

本当にすごい量ですね。一冊見せていただきましたが、ものすごい量の生地が貼ってあって、宝の山ですね。

田畑:

そうですね。それに今では殆ど見ない色も有りますよ。私はね、近頃いろんな物の表現が横文字になっていくでしょう。あれ、あかんと思うてます。色の表現もみな一様にブルーとかレッドとか言いまっしゃろ。あれはね、良くないと思ってます。本来、赤には「朱から紅」まで日本には沢山の色があります。ブルーだって青みかがったもの、赤みがかったもの。黒だって色んな黒がありますわ。そう言うのを表現するにはやはり和名を使って欲しいですね。日本には古来から色々な色があってそれが和名でちゃんと表記されていたんですよ。

泉二:

そうですね。吉岡幸雄先生の「日本の色辞典」という本がありますけど、あれを開いたら今の人が知らない色の呼び名がいっぱいありますからね。 そういわれれば、昔、僕たちが子供の頃使っていた色鉛筆には和名がひらがなで書いてありました。

田畑:

そうでっしゃろ。今は無いですからね。だから表現が単一的になって、微妙な色の違いが表現できない。と言う事はその微妙な色の違いがわかる人も減っているという事なんです。言葉が無くなることイコールその道具とか様式がなくなることなんです。

泉二:

そうですね。そういえば、先生と同じ事を仰っている方がいらっしゃいました。私も同感です。

田畑:

こういう部分は伝統をちゃんと守って日本の色を大事にしていきたいですわ。

日々勉強・・その熱い思いを持ち続けて

泉二:

先生が「日々勉強で終わりは無い。死ぬまで勉強」と仰ったのを聞いて私も同感だと思いました。「お客様にご縁を頂いて嬉しかった」と思ったら、その感謝の気持ちをどれだけ熱く持ち続けて行けるかが大事だと思うんです。その気持ちを持ち続けていれば、自分が出来る事をしようと行動を起こします。それは着物の勉強だったり、着付けの勉強だったり、悉皆の勉強だったり、商品の勉強だったり。それの繰り返しがお客様への信用を築き上げていくことになると。この仕事は勉強の連続でゴールは無い。

田畑:

そうです、おっしゃるとおりです。だから取材に来たスタッフさん達が「京都に泉二社長が居た」っていわはったんですわ。私は今も毎年「正倉院展」には必ず足を運びますよ。若いときから見ていますが、歳を経て見ると色んな物の感じ方が変わって来るんです。自分がその時その時で感じ取るものが変わって行く。それが成長なんだと思うんですね。そしてね、昔の人が作ったものを見ていると感動して涙が出てくるんですわ。

プラチナボーイ訪問着「段取風景文」の一部
プラチナボーイ訪問着「段取風景文」の一部

歳とって涙もろくなったのと違いますよ。心に響く何かがそこに必ずあるんです。で、それが強く自分を鼓舞してくれるんです。「お前何やっているんだ」「良く足元を見てみろ」「頑張らなくてどうする」と言われているような気がして。更にやる気につながります。

泉二:

素晴らしいですね。先生は年齢を感じさせないですよ。そういう部分が精神と肉体に繋がっているんでしょうね。

田畑:

私は座り仕事が多いので普段は絶対に歩きますわ。京都市内は自転車で回りますし、駅や公共施設では絶対に階段。あとは水風呂と朝の梅干とお茶かな。

泉二:

すごいですね。私も足腰は強いですが、ついついエスカレーターとかエレベーターとか使っていますね。今後は先生を見習います。

田畑:

あはは。ま、話がそれちゃいましたが、「正倉院展」とか美術館に行ったらいろいろと良い物を沢山見て、そして必ずそこからエッセンスを取りだして、自分でデザインをしていきます。 出来上がったら暫く客観視して「良い」と思ったら染めに進みます。そうやって作っていくと自然に自分が惚れこんで惚れこんで行きますよ。 やっぱり惚れこまないと良いものは作れませんね。

泉二:

そうですね。今回作っていただいたものは全て先生の気持ちが伝わるものばかり。本当に「惚れこんで作ってくださったんだ」と分ります。私どもでは初個展になりますが、私達も頑張りますのでどうぞ宜しくお願いします。

田畑:

こちらこそ和織物語も作っていただき「ぎゃらりートーク」の時間も取っていただいたので、後は仕掛っている仕事を仕上げて。出来る限りのことはさせてもらいます。お店にも6月25日(土)と26日(日)はほぼ終日居させてもらいますから、銀座もとじのお客様にお目にかかれるのをとても楽しみにしています。 こちらこそどうぞ宜しくお願いします。

[対談日:2011/05/06 筆:荒井博子]