前田豊成さん&永江明夫さん~銀座の柳染めを語る~|泉二の一口対談

第20回:前田豊成さん & 永江明夫さん~銀座の柳染めを語る

「銀座の柳染め」の出発点は

店主泉二

泉二:

今年は銀座もとじも創業25周年と言う記念の節目を迎えます。「銀座もとじ」がそして私が、呉服店として四半世紀生きてきた中で、今改めて自分自身を問い直し、これからどういう道を進んでいけばいいのか? を考えてみようと思いました。

「原点」に還って自分をそして「銀座もとじ」と言う店を考えてみる。その視点に立ったとき「銀座の柳染め」と言うものが凄く大きく自分の生き様や店の中核を占めていると思ったんです。 で、今年は「柳染め」だけを切り出して展示会をしてみようと思いました。

前田:

もう四半世紀ですか。早いですね。いつも前進を続けている泉二社長には頭が下がります。「銀座の柳染め」は取り組んで何年くらいになりますか?

前田豊成さん

泉二:

う~ん。10年になりますね。息子が小学生の時からですから。そう思うと泰明小学校での地域研究の柳染め課外授業も8年くらいになりますか。

永江:

「柳染め」を始められたきっかけはなんでしたっけ?

泉二:

1丁目に店舗を持ったのがきっかけでしたね。店舗のあった通りは「柳通り」とも呼ばれていて道路の両側に柳がず~っと植わっていたんです。最初は周りを見る余裕は全く無かったんですけど、あるときふと見上げたら柳が風にそよいでいた。 その柔らかさと風に吹かれながらも自分自身の存在をそこはかとなく知らしめているしなやかさにとっても元気付けられてね。それから柳をよく見つめるようになったんです。

永江:

そうですか。柳には生命力もありますしね。見た目ははかなげだけど芯の強さを持っていますよね。

銀座の柳

泉二:

そうなんですよ。雨にも風にも台風にも夏の猛暑にも冬の寒さにも負けない。

しっかりと根付いてどんな環境になろうとも春になると芽吹いてきれいな若芽をだす。いつしか見ているうちに涙が出てきましてね。そんなに頑張っている柳なのに初夏になる頃には、道を歩く人の邪魔になるという理由からばさばさと剪定されてしまう。 でも柳はめげないんですよ。次の年もちゃんと芽吹く。ほんの2ヶ月も無い新芽の命なのに真摯に芽吹く。これは何とかしたいと思いましてね。

前田:

柳の命を何とかして残したいっていつも言っていましたよね。

泉二:

そうなんです。形は変わっても良いからその命を何かの形で残していけないかってね。私は奄美大島の出身で奄美には「大島紬」と言う立派な染織がある。どこにでもその土地特有の染織があるのが当たり前だと思っていたのだけれど、東京に来て改めて気付いたのです。「東京友禅」とか「江戸小紋」とか「黄八丈」とかはあるけれど「銀座の先染めの染織」は無かったんですよ。何でも揃う東京なのに。それで「銀座の柳」で「染めが出来ないか」と考えました。

実際の「柳染め」が出来るには

前田:

試行錯誤が何年もありましたね。「柳」は色が出難くて難儀しました。

泉二:

そうだったねえ。これは作り手の人の協力が無かったら成し得なかった事ですね。 私一人の力では挫折していたかもしれない。だから作り手にはいつも感謝ですよ。

永江さん
永江さん

永江:

いやいや、作り手も大変だったけれど、作り続けられたのは泉二さんが「良いものが出来るまで私が責任を持ちます。だからやるだけのことはやってください。」って熱心に作り手を説得されたからだすよ。それに、「それなりの責任を持ってくれた」から続けられたんですよ。「作ってください。お願いします」じゃあ、絶対に良いものは作れない。

前田:

そうですね。鹿児島で大島紬を作っている田畑さんや益田さんも言っていましたが、「失敗してもちゃんと泉二さんが面倒を見てくれた。商品にならなくてもその努力の過程を評価してくれた。だから出来た」って常々感謝しているもの。私もその点は本当に感謝している。

泉二:

いやいや。そんな風に言っていただくと恐縮します。ただね、新しいものを作り出す時って絶対にリスクはある。そのリスクを作り手に転嫁していたんでは絶対に良いものは作れないし、新しいことは出来ないって自分が痛いほど知っているのでね。

永江:

その理解が新しいものづくりの成功を導くんだよね。

25周年を記念してのものづくりは「完成度への挑戦」がキーワード

前田:

今年はどんな風に考えているんですか? ってわかっている私が、改めて質問するのも変だけど(笑)

泉二:

「銀座の柳」という限られた資源でつくるものだから量は作れない。それがまた良いところでもあるけど。今年は敢えてその色出しの難しい柳に「明るめの色」を期待したいです。「着物にはあまり色柄の流行は無い」って言われていますが、やっぱり多少の流行はあるんですよ。今、世の中がちょっと明るい兆しを見せてきて着物の消費者も「明るめの色」を好んで着るようになってきた。一方で「グレー系」や「ベージュ系」「茶系」が精一杯だった「銀座の柳染め」も作り手さん達が柳の扱いに慣れてきたことから、どの時期の柳はどういう色目が出るとか色々と解読してくれて、新しい挑戦をしてくれるようになった。なので今年の「柳染め」はより難しいとされて来た「柳染めの明るい色」をお願いしています。「銀座の柳染め」も「完成度」を求めていますよ。

永江:

泉二さんはチャレンジャーだからねえ。 それに前からずっとだけど、必ず品質にもこだわる。糸ひとつ妥協を許さないからね。作る方も大変だね。

前田:

そうですねえ。数年前に「大島紬の原点に還る。真綿の大島紬を作る」って言われたときには度肝を抜かれました。最初は織子さんが嫌がってね。でも、これも妥協を許さずに、やってのけてしまった。泉二さんの熱意に産地も動かされ、織子さんも動かされた。凄いパワーですよね。

泉二:

近頃は糸にもちょっとこだわっているんですよ。産地も指定して繭から買い付けることも始めて見ようなかなんてね。

永江:

今回の柳染めも産地ごとの特色を出しながら「銀座の柳染め」の特徴も出してもらう。糸の品質もこだわって織にも細心の注意を払ってね。やりますね。泉二さん。

泉二:

10年一区切りの「銀座の柳染め」ですからね。やっぱり「完成度への挑戦」がキーワードですね。

産地的にはどのあたりが?

永江:

産地的にはどの辺りまでお願いしているのかな?

泉二:

永江さんの綿薩摩でしょ。それから前田さんや益田さん、田畑さんの大島紬。結城紬もお願いしていますよ。結城紬の中には手紡ぎの真綿糸を「銀座の柳」で染めて地機で織るというのも考えています。後は、白鷹紬。塩沢紬。などなど・・・東京の草木染め作家さん達にも色々とお願いしていますし。その他の地域の草木染め作家さんにも春の柳と夏に剪定される柳と2度お送りしてお願いしています。

柳染め

何でもかんでもと言うのではなくて、やはり作家さんや作り手さん達と信頼が出来ていて安心してお願いできる人達にですけれどね。

前田:

作り手の私達も色々と見えてきているから、泉二さんの要望に応えようとやっぱり頑張りますよね。我々の手で東京の草木染めが出来あがったら嬉しいですからね。

泉二:

ありがとうございます。そう言って一生懸命頑張ってくれる産地の人たちが居るから出来ることです。本当に心から感謝しています。

これからの「銀座の柳染め」に期待すること

永江:

これからの「銀座の柳染め」には「継続と研鑽」を期待しますね。私も作り手のひとりではあるけれど、この歳になっても絶対に「妥協は許さない」って自分に課しています。だから泉二さんにもこれからもこれを継続していくために作り手と共に泉二さんも「研鑽」をしてほしい。柳が持っているやわらかさとしなやかさ、そして力のある生命力を反物だけでなく作り手にも与えていってほしいと思います。

泉二:

ありがとうございます。そうですね。私自身の出発点が「柳の生命力を生かしたい」でしたから、そこはいつまでも忘れずに居たいです。そして作り手の人たちにも柳の底力を感じ取って元気に頑張って欲しいと願っています。その為の私自身の努力は惜しまないつもりですから。

前田:

作り手と泉二さんと一体化してやっていくのがこの「銀座の柳染め」だと思うのでどちらがコケても良いものは作れないと思っています。これからも二人三脚で頑張っていきましょうね。

泉二:

はい! ありがとうございます。「柳」は縁起も良いものとされていますし、「長寿」のお祝いにも用いられるものです。それに私は素材からこだわるから、消費者の方にも安心して身につけてもらえると信じています。消費者の方々に「柳の“寿”」を纏っていただいて、もっともっと健康で幸せになってほしいと言う願いが「銀座の柳染め」にはあります。だからそれももう一度消費者の方々に理解してもらいたいと思っています。

永江:

そうだねえ。「長寿のお祝い」に柳のお箸が出るものね。私も「柳染め」を続ける限り長生きしなくては。

泉二:

そうですよ。これからも沢山チャレンジしてくださいね。これからも「銀座もとじ」は銀座の特徴を活かしながら前進していきます。皆さんのご協力が無くては出来ないことですからこれからもよろしくお願いします。今日はお忙しいなかお集まりいただき本当にありがとうございました。「銀座の柳染め」を成功させるべく頑張ります。

[対談日:2006/01/17 筆:荒井博子]