久米島紬・桃原禎子さん|泉二の一口対談

第14回:桃原 禎子さん (久米島紬)

<桃原 禎子 プロフィール>

久米島生まれ。母親が紬を織っていた関係で学生時代から織りや染の手伝いを始め、その後、結婚。子育ての傍ら沖縄県工芸指導所に入所し久米島紬作りを本格的に学びました。1980年に検査員、1989年に指導員となり1994年には伝統工芸士に認定されました。今も紬の里ユイマール館で後継者育成指導員を務めています。

ゆうな染め

泉二:

こんにちは。先月と先々月は雑誌の取材で本当にお世話になりました。と言いながらまた来てしまいました(笑)

桃原:

距離にしたら遠いのにこれで近々何回目になりますか。

泉二:

既に4回目ですねえ。出身地の奄美大島に行かず、ついこちらに来てしまいます。勿論、桃原さんに会いにですよ!

桃原 禎子さん

桃原:

またまたお上手を。どうしても「ゆうな染」を作って欲しいからいらしているんでしょう(笑)。でもありがとうございます、泉二さんから色々伺うと次の創作意欲がかき立てられるんでこちらもありがたいです。

泉二:

ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです。いよいよ、2月25日から「和織」店で「ゆうな染の久米島紬」展が始まります。2年がかりでお願いしていた今回の「ゆうな染め」の特集ですが、勿論、桃原さんを中心に作っていただいているんですが、進行具合は如何ですか?

桃原:

全然駄目・・・なんて嘘です(笑)。とりあえず順調に進んでいますよ。といっても「ゆうな染め」はなかなか難しいんでね。ぽんぽんとは作れないですね。でも結構、綺麗なものが仕上がってきていると思います。お客さんが喜んでくださるといいなと思っています。

泉二:

ありがたいですね。先日見せていただいた「ゆうな染め」と「琉球藍」の出会いで出来た久米島紬も凄く良かったですね。

桃原:

そうでしたね。あれは涼やかでありながら存在感があって良かったです。「ゆうな染め」の独特のグレー、銀ネズ色とも言われますが、あの色は私も大好きです。やさしさと柔らかさがあってとっても上品ですよね。

泉二:

そうですね。伝統的な泥染めにもその深みと良さが十分にありますが、『都会の街並みに合う久米島紬』と考えると、ゆうな染めがふさわしいかなあと思いました。お客様も「2枚目の久米島紬なら是非ゆうな染が欲しい」と言ってくださいますしね。それで桃原さんに無理を言ってお願いしているんですけど。今は、明るい草木染めも増えているので、その代表格として「ゆうな染め」の久米島紬をもっとたくさんの人に知ってもらいたいと思っています。

果敢にチャレンジ

桃原:

産地でも若い人たちが、泥染め以外の草木染めに果敢に挑戦しています。絣の模様も伝統的なものだけではなく、現代風にアレンジしたりしてね。作り手のセンスが活きていて良い物が出来上がって来ています。でもいつも試行錯誤の繰り返しですよ。

泉二:

たしかに久米島紬は『進化している』と言う印象を受けますね。重要無形文化財に指定されてもあぐらをかいていない。作り手人一人が本当に工夫している。桃原さんはじめ指導者の方々もとても熱心で積極的ですよね。

桃原:

そうですね。なんかひとところに安住しているのが皆嫌いなんですよ。どんどん新しいものにチャレンジする。でもこれは基礎が出来ていて初めて出来ることなので、私達指導員は、新しく染織に入ってくる人には“基礎を叩き込む”を守っています。

泉二:

さすがです。「ユイマール館」が出来てどんどん後進の指導に力が注がれていますね。

桃原:

そうですね。3年前に泉二さんのお店に頼んで『これからの久米島紬を考える会』って言うのを開いていただいた際、銀座と言う地でお買い物をする着物好きのお客様と沢山お話が出来たのが私達指導員にとって本当に良いきっかけとなりました。沢山刺激を受けましたし、自分達が良いと思っていたことがあまり良くなかったり、逆に不安に思っていたことがとっても評判良かったりで色んなことが確認できて自信にも繋がりました。
その翌年の3月には『久米島三人展』を開いて頂いてその中の1人に選んでいただいて和織店に呼んでいただき、また直接お客様からの声も聞けて「こんなのが着たい」と伺えたので凄く色んなイメージがわいて次の図案作りに役立ちました。だから自分自身の感性も磨いてもらったような気がします。

泉二:

そうおしゃって頂けると嬉しいです。小売店でも産地の役に立てると思うこちらも励みになりますね。

久米島の作り手はいつも活き活き

泉二:

それにしても毎回来ると思いますが、久米島の皆さんはいつも明るくてすごく楽しそうに仕事をしていますね。こういう仕事風景っていいなっていつも思います。私にとっても励みになりますよ。

桃原:

ありがとうございます。多分、久米島紬は自分で織るものは、自分で図案をつくり、草木を採り、染料を作り、糸をくくり、染めるとトータルで出来るから自分の考えが活かせる、個性が出せる点が励みになってやりがいに繋がるんじゃないでしょうか。

桃原 禎子さん対談

またそう言いながらも、すべて個人主義で仕事をしているのでなく、すべての工程で、皆が協力し合うから「一人じゃない」っていうところも心強い点なんだと思います。「手伝う」って言う言い方が正しいでしょうかね。この紬会館の名前「ユイマール」もここの言葉で『助け合う』という意味なんですよ。ひとつの織物を仕上げるまでに「助け合う」、その気持ちから自然に前向きになるのかもしれません。

泉二:

なるほど、そういう意味だったのですか。こちらの建物の名称『ユイマール館』の由来も良くわかりました。

桃原:

ユイマール館は1992年に建てられました。今は、久米島出身以外の人でも研修を受けられます。柴又出身の人もいますよ。

泉二:

柴又から! よっぽど久米島紬に惚れこんだのですね。

重要無形文化財になって

泉二:

重要無形文化財に指定されて、本当におめでとうございます。皆さんの力の結晶から生まれた認定ですよね。それこそ「ユイマール」の賜物ですね。

桃原:

そうですね。1人じゃ出来ないことをみんなで頑張ったから出来たんだと思います。これからも「ユイマール」精神で頑張りたいと思います。

泉二:

重要無形文化財指定を受けて、さらに指導を受けたいと応募する人が増えているのではないですか。

桃原:

そうですね。おかげさまで、たくさんの若い人たちも応募してきて学んでいます。今回の指定の件でより一層注目されているので、なお更、驕らず手を抜かず、大量生産をせず、今までのスタンスでしっかり作っていきたいと思います。ひとりひとりの責任が重いですからね、そこを自覚して頑張らなくては、と思っています。

泉二:

前向きですね。本当に久米島の皆さんの活躍は今後も楽しみです。これからもよろしくお願いいたします。

[対談日:2005/02/11 筆:荒井博子]