決戦の日にふさわしい澄み切った青空の日、2008年5月17日。ふたりの作家による 真剣勝負が繰り広げられた今回の展示会「十番勝負 -伝心-」について、その制作秘話を語っていただくもとじ倶楽部が開催されました。
その作家とは、京都・西陣の機屋「織楽浅野」の浅野裕尚氏と、東京・早稲田の染色家 仁平幸春氏。当店でも高い支持を受けている人気のふたりが真剣勝負に挑みました。

この企画は、実は一晩のうちに急速的に決まりました。2007年10月、当時ぎゃらりー泉にて展示会を開催させていただいていた仁平さんと店主 泉二(もとじ)が、話を進めるうちにこの企画の話となり、「おもしろい! 」「やってみよう! 」と意気投合。それが夜8時頃。それからすぐに仁平さんは浅野さんへ電話をし、この機会を逃しては実現ができなくなりそうだ、と感じた浅野さんは またすぐに泉二へ電話をいれ、どんどんと話がまとまっていきました。それが夜の11時頃。ちょうどその頃仁平さんも泉二へ電話をしていたそうで、話し中でつながらないことをとてももどかしく感じていたといいます。こうして、大人の男性3人が夜中、互いに電話しあい、興奮の中話し合い、そして次の日の朝、浅野さんは京都から東京まで飛んできて、3人が頭をつき合わせて、この企画を実現させることに決まったのでした。
方法は、まず先にお互いが決められた数の作品を作り、持ち寄って、お互いに預け、持ち帰り、それに合わせて作品を制作する、というものです。当初「十番勝負」という名の元、コーディネートも10セットで話を進めていましたが、ふたりの想いがつのり、結果20セット、計40作品を制作することになりました。

本当にこのきものと帯は合うのかどうか、手元で重ね、いろいろな場所で見て、触れて、練りに練る。向こうも真剣に問うのだから、こちらも失礼なものは返せない。合わせるだけではつまらない、でも自我の塊では実際に着ていただけるコーディネートにならない。素材、色、すべてに目を見開いて望む作品づくりは、本当に大変ででも最高の楽しい経験だったそうです。
今回はそれぞれ220作品ずつ、提案作品10点、返答作品10点を作っていただきましたが、どのような想いで創作されたのでしょう。 提案作品について、浅野さんは「これを出すと困るだろうなというもの、織楽浅野のベーシックスタイルのもの、そして今の自分が作りたいと感じているもの」仁平さんは「いつも大切に取り組んでいる素材の関係性が問えるもの、得意としているもの、驚かせるもの」。この提案の際には、作品のみでなく、作品名と説明文を付けて渡しています。そして返答作品については、浅野さんは「質感を大切にした。その組み合わせは “唯一”ではないけれどメッセージを込めた。」 仁平さんは「作品名と説明文があることで自分の視野が広がった。テキストがあると限られてしまう気がするが、その逆で、自分が感じられなかったような視点が相手のテキストにあった。」。

でも一方、「いろいろな視点が見えすぎてしまって、先に作ったものなどあきらめがつかず困った。」どんどん新しいアイデアが広がってしまったそう。「作家はアイデアはいっぱいある。その中でベストは何か、を探すのが大変であり、創作のおもしろみです。」真剣に練り上げられた答え。いくつも浮かぶ中から最後に選んだひとつの答え。ふたりが挑んだ勝負の行方はいかに。


一色で織り上げた帯は遠目で無地のようであるのに、近づくとわずかな光の中でインドの宮殿装飾のような意匠が浮かび上がる。そして通常では見えない(見えてはいけない)とされているたれ先の裏や太鼓の裏に、柄を織り上げる。ストイックな世界感です。


単調さを感じる縞を大胆にゆらすことで、規則性の中に不規則を込める。水が流れるさまと、柳がゆれるさま、二つのイメージで表現しています。
8ヶ月にわたる制作期間中、ふたりは密にメールや電話でやり取りをされていたそうです。 作品の素材や技法の問いかけはもちろんのこと、共通の趣味である料理やカメラの話や 自身のホームページで掲載されているブログをお互いに見て、進行状況をちらりと確認し、ほっとしたり、あせったり。 話題は多岐にわたり交流を深められたそうです。


浅野さんは「美はモノとモノが織り成す綾にあり」、仁平さんは「モノとモノの関係性」に興味があります。この一致が、今回の作品づくりにおいて進みやすかった点だそうです。
