「吉野間道」を現在の感性で織り続ける、草木染織作家の藤山千春さんをお迎えし、ぎゃらりートークを開催しました

草木染織作家 藤山千春さん

2014年1月16日(木)〜19日(日)まで、銀座もとじにて『色彩の情景 藤山千春展』を開催させていただきました。
藤山千春さんは、江戸時代に生まれた「吉野間道」を、現代の街並みに似合うセンスで織り続けておられます。

『吉野間道』とは、寛永の三大名妓、吉野太夫に京の豪商、灰屋紹益が贈ったと言われる、名物裂の一種、南蛮渡来の縞織物。平織の上に地厚な吉野格子を浮き縞として織り出したものです。かの名茶人、松平不昧も好んだ織物です。柳悦孝氏(柳宗悦氏の甥)らが復元し、藤山千春さんは悦孝氏の一番弟子として師事し、吉野間道を作り続けています。
作品の魅力は、なんと言ってもその色づかい。誰もがはっと息を飲み見とれる美しさ。計算しつくされた糸の重なりの配色が生み出す” 色彩の情景”。

1月18日(土)には藤山千春さんを迎え、「ぎゃらりートーク」を開催させていただきました。
銀座もとじでは3回目のぎゃらりートークとなる今回。多彩な色づかいで、常に進化し続ける藤山さんの作品。織り続けてきた50年の思いをお聞かせいただきました。
藤山千春さん

やわらかな優しい口調の中に、一本の揺るがない芯のある話し方。
“小さな工房の職人”と謙虚にご自身を紹介され、50年続けてこられた感謝の気持ちを込めてお話しさせていただきますと、藤山千春さんのお話は始まります。

織りの記憶

藤山千春さん
お母様は青ヶ島の出身で、東京に引っ越してこられました。青ヶ島は伊豆諸島の最南端に位置し、八丈島から船で約2時間半先のところにあります。

ご親戚が青ヶ島におられ、幼い頃はよく遊びに行っていたそうです。小さい頃から絵を描くことよりも、ものを作ることがお好きでした。この頃の経験が、後に織りの道へと進むきっかけになります。

藤山さんは、女子美術大学付属の高校を卒業すると、幼い頃に見た機織りができたら楽しいのではないか、との思いから、女子美術大学へ進まれます。そして大学在学中は当時学長をされていた柳悦孝氏に師事されます。

就職時になると、普通の企業に勤めるのは何だか性に合っていないような気がしていた藤山さん。お母様とも相談され、悦孝氏の工房に弟子入り。2年間住み込みで働きました。なんと押入れをベットにして、起きたらすぐ機を織り、織ったら眠る、まさに体の一部のように機と共に生活し、一日中機と向き合っていたそうです。この工房での2年間の修業は、もっとも多く大切なことを吸収し、技術的な基礎を築くことのできた、かけがえのない時期となります。

師弟の絆

藤山さんにとって、悦孝氏は尊敬する師であり、大変お慕いされていた存在だということが、お話の端々から伺えました。
悦孝氏は、ものを大変大事にする方だったそうです。道具部屋で新しい工夫ををするのが大好き。楽しそうに機道具を作っている印象が強く残っておられたと言います。また、織りの道へ進んだ藤山さんを幾度も助けることになる「悦孝氏が卒業時に藤山さんに宛てた手紙」をお持ちくださいました。茶封筒に認められた、美しく大きな筆字。その中には丁寧に蛇腹に折りたたまれた手紙が入っておりました。

『ある時は己を堅く持ち、またある時は己を振り捨てて自由になれ。仕事においてはものにとらわれぬことが大事です。』
藤山さんにとって織り人生のキーワードとなる“手紙”は、その後もたびたび姿を現します。
藤山千春さん

探し物をして、棚を端から端まで探していると、そのたびに全部引出を開けるものだから、その度に例の手紙を見つけ、読み返すことになります。
始めは何を意味するのか理解できなかった文章。次の探し物のとき、また次と、手紙と再会する度に、謎が少しずつ解けていったと言います。

若い頃の藤山さんは、経糸何本、緯糸何本、というふうに、計画通りにすべて出来上がったときが成功だと思われていたそうです。しかし、計算したと思ったほんの数センチの織りが間違っていて、その間違っていたところが素晴らしく輝いて、その瞬間すごく興奮されたといいます。そして、間違いに合わせて織り直し、非常に美しい緯吉野のぼかし織りの作品を生み出されます。

“堅くもっていた己を振り捨てた自由な”感覚は、ふとした間違いに目を向けさせてくれ、新しい発見をもたらし、また“ものにとらわれない”柔軟な感性は、新しい作品世界へと導いてくれました。長年意味を問い続けてきた悦孝氏の手紙への理解を実感を伴って得られた瞬間でした。

今も変わらずに、悦孝氏の教えを迷いなく素直に受け止め、実行していった様子に、揺るがない信頼と師弟の絆を感じさせ、その存在が藤山さんをずっと支えてこられたことが、話し方や所作に滲み出ていました。

輝き続ける吉野間道

吉野間道
この度、銀座もとじ店主・泉二弘明が懇願に懇願を重ね、吉野間道の角帯作品を作っていただきました。
柄の位置までもお願いし、お忙しい中織っていただいた作品は、やはり美しく、品のある格調高い雰囲気を纏えます。
また、お嬢様の優子さんも後継者として、今、先生とともに工房で織りをされています。
若い感性に刺激を受け、次々と新しい作品を生み出されています。
市松織りの吉野間道の大変凝ったお着物や、パレットのような様々な彩りの市松の吉野間道の帯。ペールトーンのグラデーションの帯。

様々な草木の中から、色のリズムを見極め、少しずつ変化を加えてゆくことで生まれる、美しい作品たち。
藤山さんは、プロとして織りを毎日地道にされながらも、常に少しのエッセンスを加えて楽しんで織る気持ちを持って、作品を作り続けています。

色んな織物の中で、たまたま吉野間道に出会ったという藤山千春さん。きっとそれは偶然ではなく、幼い頃の記憶や悦孝氏を始めとした様々な人との出会いが、吉野間道の道へと導かれたのではないかと思われてなりません
(左から)お嬢様の優子さん、店主 泉二、藤山千春さん