
江戸時代に生まれた「吉野間道」を現代の街並みに似合うセンスで織り続けている、 作家・藤山千春さん。
※「吉野間道」・・・寛永の三大名妓吉野太夫に京の豪商が贈ったと言われる、 名物裂の一種です。柳悦孝氏(柳宗悦氏の甥)らが復元し、 藤山千春さんは悦孝氏の一番弟子として師事し、完成度の高い作品を作り続けています。

”生”の状態で手に入った時にはその時に染める。 藤山さんの工房には一年中、さまざまな染料が急に届くそうです。 「花の枝を伐ったからとか、石榴の実が落ちたからとか、お知り合いが届けてくれるんです。 そういう時は予定していた作業を止めて、“生”の草木染めをします。 そうやって自然の動きに合わせて楽しんでいます。どうしてもすぐにできなかったり、 余った分は冷凍や乾燥保存しておくんですよ。」 時には遠出をして材料を採りに行くことも。 「毎年の恒例行事になっているのが“胡桃”拾い。9月になると山梨県の山中湖に出掛けて、落ちた実を集めてきます。 トンカチでひとつひとつ砕くのですが、胡桃は堅いので毎年1本トンカチが駄目になってしまうほど。 結構大変なんですけど、とてもいい色が出るんです。大好きな色です。」
藤山千春さんが使っている草木染め材料たち












藍甕もあります
藤山さんの工房には、なんと藍甕もあるんです。 工房を構えた当時、藍の産地・徳島から藍甕を取り寄せるだけで十数万かかる時代。 お金がなかった藤山さんは、それでも自分で藍を建てたくて、柳悦孝先生へ相談したところ 「それじゃあドカンを買ったらいい。」と言われたそう。 そこで藤山さんは地面を掘り始めることに。「近所の小学生が一人手伝ってくれましてね。 二人で無心に掘りましたよ。中に自分が入り、土をバケツで上げる作業の繰り返し。 ドカン1つは直径40cm、深さ1m。これを2つ分。掘れた後は 土の穴に砂利を敷き詰めて、コンクリートを入れてドカンを土の中に埋めてね。

初挑戦! 〜プラチナボーイ/銀座の柳染め/角帯〜

柳染めも一度他の糸で試してね。とてもいい糸と色が作り出せたと思っています。」 また今回は藤山さんも初めてとなる【角帯】の制作もお願いしました。 柄付けは店主・泉二が藤山さんの工房で帯を巻いてみて、締めた時に柄が表に出るように相談して決めたもの。 「男性ものを手掛けている泉二さんとの出会いが今回制作のきっかけとなりました。新しい素材や染料、 種類に挑戦できることはやっぱり楽しいし、とっても嬉しいです。」
大事な手紙
最後に藤山さんは「ちょっと聞いてほしいものがあるんです」と仰ってある手紙を取り出しました。 美術大学の卒業の際、先生であった柳悦孝さんから贈られた手紙です。 「頂いた時はチンプンカンプンでよくわからなかったのですが、最近やっと理解できるようになったんです。」 そう言って読んでくださった手紙。藤山さんが心に留めた文章の部分。
『ある時は己を堅く持ち、またある時は己を振り捨てて自由になれ。仕事においてはものにとらわれぬことが大事です。』
藤山さんはその部分を何度も繰り返し読んでくださいました。「ものごとにとらわれず、目の前の大きな状況を見て仕事をする。 はじめからあまり自分の考えを持たない。本当に美しいものが出来るのは、自分の経験や技術だけではなく、 偶然との出会いによって生まれるもの。

今日と明日、同じ染料で染めても決して同じ色には染まらない。それが草木染めの魅力でもあり難しいところ。 でもそれによって生まれる“偶然の美”がある。藤山さんはそれを心から楽しみ、作品に活かし続けています。
番外編 〜臭木染め体験〜
トーク終了後、今回は藤山千春さんが良く使用する草木染料『臭木(クサギ)』染め をお客様に体験していただきました。何度も染め重ねていると吸い込まれそうなほどきれいなブルーに。 銀座の店舗の前は人でいっぱいになりました。