奄美大島で織られた「芭蕉布」、そして「紬」の登場

奄美大島で織られた「芭蕉布」、そして「紬」の登場|大島紬の歴史を辿る

~江戸時代初期・中期~ 奄美大島で織られた「芭蕉布」、そして「紬」の登場

江戸時代初期、当時、琉球王朝に属していた奄美大島に、薩摩の大名家 島津軍が1609年3月7日に上陸します。奄美大島から、さらに徳之島、沖永良部島へと、奄美諸島を南下しながら次々と攻め入り、ついには3月27日、琉球に上陸して首里城を占領します。薩摩藩の圧倒的な軍事力を前になすすべなく、奄美諸島含む琉球全土は、薩摩藩の藩政下におかれました。
西暦1637年には、薩摩藩の統治下において、「貢納布制度」が敷かれます。

薩摩軍による奄美・琉球の侵攻経路
薩摩軍による奄美・琉球の侵攻経路

昔から芭蕉が豊富な亜熱帯であった奄美大島では、藩主に献上する御召ものとしてだけでなく、「芭蕉布」が、特産品である黒糖とともに租税として徴収されることになります。

竜郷町安木屋場(あんきゃば) 芭蕉の群生地
竜郷町安木屋場(あんきゃば) 芭蕉の群生地
皮肉なことに、薩摩藩による徴税の管理のもと、献上品として織られるようになったことで琉球の島々において「芭蕉布」は発展していきます。

「実芭蕉(みばしょう)」といえばバナナの木のことを差すのですが、「芭蕉布」は「糸芭蕉(いとばしょう)」の木の繊維を用いて織られた布です。

糸芭蕉の木の幹から採れる長い繊維を細く裂き、結びつないだ糸を用いて織られたしなやかで涼やかな自然布が「芭蕉布」です。奄美諸島を含む琉球全土において、島民の日常の暮らしの中でも広く用いられていました。

この後、「芭蕉布」が盛んだった奄美大島に、「紬」が登場します。

芭蕉布でつくられる着尺
芭蕉布でつくられる着尺
写真左:経糸を腰で吊って張力を調整しながら、体を使って織る原始的な織機。
経糸を腰で吊って張力を調整しながら、体を使って織る原始的な織機。
江戸時代中期、1720年(享保5年)には、薩摩藩が、奄美の島民に「紬着用禁止令」を出したという史実(大島政典録)が残っており、このことから江戸時代中頃には「紬」が一般に普及していたと考えられています。

この当時は、真綿(玉繭などの繭を煮て引き伸ばし、綿状にした物)から紡いだ手紬糸が地機(写真左)で織られ、「柄」は、無地、縞、格子などの簡単な平織りが主流でした。

「染色」は、古来から行われていた藍や椎(しい)、テーチ木(車輪梅)などの葉や実、樹皮、根など様々な植物による草木染めでした。

※現在の大島紬の”泥染め”として知られる「泥土」と「テーチ木(車輪梅)」による染色技法が一般化したのは明治中頃と考えられています。

テーチ木(車輪梅)
テーチ木(車輪梅)

江戸時代には、奄美大島のみならず、日本全土において各地で「紬」が織られており、古いものでは室町時代から伝わる「紬」もありました。そのような中で、奄美大島においても普及していた「紬」が、果たしてどのような特徴を得て、「大島紬」として全国に知れ渡っていくことになるのでしょうか・・・。

続きは次号をお楽しみに。