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「色、彩、いろ」吉岡幸雄作品展|和織物語

古法の植物染め、その澄んだ深い色

 人というのは、身近に感じるものにほど多彩な名付けをするという。和の色名を知るほどに、日本人の色彩への感受性に驚かされる。瓶覗、縹色、藍、紺。ブルー系の色名は有名どころだけれど、さらに古典をひもとけば、朱華(はねず)、楝(おうち)色、麹塵(きくじん)色、秘色(ひそく)など、文字と色が即座につながらないものも多くある。
 京都に五代続く「染司よしおか」当主の吉岡幸雄氏は、そんな豊かな日本の色の染め人だ。自然から色をいただき、布や糸、和紙に色を与える。薬師寺や東大寺に伝わる天平時代の伎楽衣裳を、記念式典のためにすべて天然染料で復元するという大事業を手がけたり、
袋帯 左:繧繝模様 右:石畳模様 袋帯 左:繧繝模様 右:石畳模様
お水取り(東大寺二月堂修二会)、花会式(薬師寺)、放生会(石清水八幡宮)の飾り花に使う和紙染めを毎年欠かさず行うなど、古都の伝統行事を彩る裏方として欠くことのできない存在でもある。昨年は、江戸時代に発行された木版刷本『薄様色目』に基づき、240種類もの平安の襲の色目を和紙で再現。めくるめく王朝の色彩絵巻が多くの人を魅了した。
 植物を中心とした天然素材で色を染める。言うのはたやすいけれど、その実際は前時代的な時の流れと向き合う性根、気まぐれな自然の力に身を委ねる覚悟あってこそ。できうる限り江戸時代以前の技法に従うならば、いったいどれくらいの時間がかかるだろう。染料の中で約30分ゆっくりゆっくり布を繰った後に定着しきれない染料を水で洗い流し、今度は媒染液の中で約30分、ゆっくりゆっくり繰る。こうした作業を何度も何度も行い、無理なく染め重ねてこそ、澄んだ深い色になるのだ。媒染液とは、色を引き出し定着させるもの。「染司よしおか」では、例えば、紫根で染めるときには椿の小枝を焼いてつくる木灰を、紅花で染めるときには梅の実に煤をまぶして燻した烏梅をと、昔は当たり前に使っていて、けれど、今では入手困難な自然素材にこだわる。やすきに流れれば、美しさが損なわれるからだ。染めに使う地下水は、伏見の酒造りを支える名水。良き水もまた、京都の染めを支えてきた。
 しかし、その豊かな染めは、明治維新後に広まった化学染料に、あっという間に凌駕されてしまったのだ。

正倉院裂への憧憬

 吉岡氏は、古来の色や染めのわざ、染織品の歴史などを文章や講演で伝える語り人でもある。家業に入ったのは、40歳を過ぎたばかりのころ。跡継ぎだった弟が突如家を出てしまい、呼び戻されたという。染めを生業にするにはいささか遅いスタートだが、子どもの頃から見慣れてはいたし、父・吉岡常雄氏は、紫の色素を生み出す貝紫の研究で知られる染織学の第一人者だったから、傍らで学びながら慣れていけばいいと思ったそうだ。が、1年も経たないうちに、常雄氏が急逝してしまう。
「途方にくれたで、あのときは」
 吉岡氏は冗談めかして当時を語る。
「でもな、助ける神ありやったんや」
 工房には練達の染め職人、福田伝士氏がいた。16歳より常雄氏のもとで染めの技法を身につけた彼とは、でんちゃん、さちおさんと呼び合う、兄弟同然の仲だった。
「大丈夫、前に出る人と守っていく人がいればやっていけますで」と胸を叩いた福田氏と、以来、二人三脚で仕事を重ねてきた。
 昨年より公開されている映画『紫 色に魅了された男の夢』は、「染司よしおか」の仕事をていねいに追いかけ、今の時代にあえて天然染料で染めることの並ならぬ情熱を描き上げた上質な作品だが、その中に、胸の熱くなるシーンがあった。福田氏が毎日仕事前に飲むコーヒーのカップが何度か映される。吉岡氏が用意し、どこかしらに置くのだ。ある日、吉岡氏がそれを福田氏に手渡した。なにげないやり取りだが、二人の信頼関係そのものだったのだ。
 染めのわざは福田氏がきっちり受け持つ。百万力の味方を得た吉岡氏は本領を発揮し始める。
 吉岡氏は、幼いころから先代に連れられて博物館の美術工芸品や正倉院宝物を見続けてきた。豊富な染織資料や骨董の数々も日常にあり、眼の英才教育を受けてきたのだ。しかも、大学卒業後に立ち上げた美術出版社では、染織関係の出版物を多く手がけ、先代の仕事も編集者として取材してきた。日本各地の染や織りの現場はもとより、南米や中近東、中国西域の遺跡など、広範なフィールドを巡り、NYのメトロポリタン博物館、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館など、世界的な染織コレクションを持つアーカイブスにも通い詰めた。そんな分厚い見識をもって染めを手がければ、見える世界の豊穣はどれほどだったろう。たちまち染めの魅力に取り憑かれたという。
 実は先代は、化学染料も併用していた。化学万能の時代だったのだ。しかし、吉岡氏は、高度成長の最中、工業化による深刻な公害の現実を目にして、化学的なものに疑問を抱いていた。古法に戻ろう。そう思った。
「千年以上続くお水取りの紅花染めの紙をつくるためだけでも、仕事を続けなければという使命感もあったね」
 潔い覚悟が、後の美しくも貴重な仕事の出発点となった。中でも正倉院に残る染織品の復元。上代裂の圧倒的な技術力とデザイン性、鮮烈な色彩を今に蘇らすことの難しさに挑んだ。西陣織のモチーフにもよく見られるが、吉岡氏はそれを天然染料で再現、また近代になって広まったジャカード機以前の、空引機と呼ばれる二階建ての巨大な織り機もつくってしまった。2階で経糸を上げ下げする人と織り手が息を合わせて織る複雑、繊細な織りが可能となった。だがこれは、時間もかかるし、金銭的な負担も大きい。それを何の補助金もなしに進める胆力。
「昔の技術の素晴らしさへの畏敬の念があるし、試行錯誤して復元することで学ふこともたくさんあるんやね」
 今回の展示会では、その一端を見ることができる。

現場主義を伝えていく人

正倉院宝物写 青地狩猟紋錦袋帯 正倉院宝物写 青地狩猟紋錦袋帯
 「染司よしおか」には、先代と当代が蒐集した貴重な染織コレクションがあり、本気で学びたい人には惜しみなく見せてくれる。先代から「まず見てこい、それからしゃべるのや」という教えを叩き込まれた吉岡氏ならではの豪儀である。自ら実践し続け、また吉岡氏に教えを求める人にも、同様のアドバイスを分け隔てなくする。その言葉に鼓舞されて行動をおこす人は少なくない。銀座もとじの泉二弘明氏もそのひとりだ。出会いは15年以上前。
「初めてお目にかかったとき、現場を知ることの大切さを説かれ、産地を訪ねるようになりました」
 また、糸の力の大切さも教わった。糸の良し悪しがきものや帯の質を左右する。その上、国産絹は瀕死の状態だった。
「私なりに日本の絹糸を守り、よりよい品質のものをお客さまに届けようと思うようになったんですよ」
 そして生まれたのがプラチナボーイだ。雄の蚕から生まれる細く丈夫で艶やかな絹糸。熱い思いをもつもの同士が響き合ったのだ。時を経て、上質な国産絹プラチナボーイの生地に「染司よしおか」の伝統の染めがほどこされるという、夢のような共同作業も実現することになる。  
 自然からの色が身近になくなって、私たちの色に対する感性はずいぶん鈍り、また色名にも疎くなった。だからこそ、吉岡氏の仕事は、私たちの目や心を鮮やかにとらえて余韻を残し、自然への畏れと感謝の気持ちを呼び起こす。日本人が立ち返る場所を、色が教えてくれるのだ。
 ところで。
 昨今、染織の現場では後継者問題がとりざたされている。近年、「染司よしおか」には後継者が誕生して、周囲は安堵の溜息をついた。三女の吉岡更紗さんで、養蚕や製糸、織りの修業をした後に、工房に入った。今回、彼女が織った帯がお目見えする。古くも新しい色の魅力を、受け継ぎ伝えていく人の未来を応援したい。

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