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山岸幸一~天の恵みを受けて「寒染紅花」~|和織物語(2013年公開)

※こちらは2013年に公開した記事です。

最上川の源流の麓、冬は雪で一面覆われ極寒の銀世界となるその自然の中で、植物と蚕と自然流水とに囲まれて物づくりをする。糸をつむぎ、寒中に紅花で染めた糸を夜通し水に浸け、素手で洗い、最後には雪の積もる野外に出て自ら川に入り糸を染め上げる。使いやすく素材を変えるのではなく、素材そのものの特徴に合わせていく事がもの本来の本当の輝きを作りだせると言う山岸さん。 15年前、ふと目にした寒染紅花の紬を見てそのあまりの美しさに目を奪われ「ひと目惚れ」した店主の泉二。山岸さんの工房がある山形県赤崩(あかくずれ)へ通い、行くたびに山岸さんの物づくりの姿勢に思いは深まり、やっと心が通じ合ったのが5年後。「ものづくりへ懸ける二人の思い」は、紅花寒染からプラチナボーイの染織へとつながっていきました。 物言わぬものに真正面から目と心で向き合い、その変化を全身で感じ取り、一番いい時期に機を逃さず手をかける。時間とは無縁の生活から生み出される作品は、山岸さんの心を継いで得も言われぬ輝きと煌きを見せる……

体験から手仕事に徹した山岸幸一さん

山岸幸一作 うすはた 山岸幸一作 うすはた
山岸さんは織物業を営む家の次男坊に生まれ、染織の専門コースがあった工業高校へ進学、卒業後は家業に従事しました。何台もの動力織機を沢山の社員と共に動かす仕事にやりがいを持っていたものの、数年過ぎる頃には、「生きている人間が身に纏まとうものを無機質な動力織機で織っていていいのか? 」という思いがむくむくと湧きあがり、仕事を終えた深夜に木製の高機を操り、素材の特徴を出来るだけ保って織物を作ることにチャレンジしていきました。
夜毎一人、無心に糸に向き合って織り上げた反物は、ふんわりとした風合いに仕上がり、軽く皺になりにくく、皺も元に戻りやすいなど、動力織機で作ったものとは大きな差が生まれていました。また米沢の宝物殿には上杉家の武将たちが着用した植物染料で染めた着物が400年余りの歳月を経てもなお、昨日染めたように輝きを放って保存されていました。 その趣のある色艶に更に魅せられた山岸さんは安定した実家の仕事を離れ、草木染と手仕事の道に突き進みます。 山崎青樹(せいじゅ)氏に師事し、草木染の根本を追求し、「植物本来の色が出せる場所を求めて30カ所以上探し歩き「アルカリを帯びた自然流水」「澄んだ風と空気」「太陽の輝き」が揃った現在の赤崩の地に辿り着きました。 手仕事の意味を求めて歩き続ける山岸さんの人生が始まったのです。

山岸さんの寒染

山岸さんの代表的な染めは「紅花寒染(かんぞめ)」です。 その工程は次の通りです。

■紅花から紅餅へ 〈盛夏〉

紅花は花がほころぶ7月に、紅の色素が一番入っている箇所を花弁ごと摘み取ります。素手でなければ傷めずに摘むことが難しい花なので、朝露を含んで棘がまだ寝ている朝4時から7時までの間に摘みます。その後、薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)から湧き出る水源からの自然流水で花びらを洗う「花洗い」、水気を切って樽の中に入れ、素足で満遍なく踏む「花踏み」を行います。踏んだ後は、花びらを搾ってゴザの上に広げ、日陰で干しながら、何度も何度も水を吹きかけ切り返していく「花蒸(はなむし)」です。これで、花びらが徐々に黄色からオレンジそして赤に発酵していきます。夕方4時頃、その花を臼に入れ杵で搗(つ)く「花搗き」をし、それを丸めて煎餅状にして、天日でしっかり干し、乾燥させて「紅餅」を作ります。
紅花から紅餅へ 紅花から紅餅へ
これだけの工程をかけて、生花3キロの紅花から紅餅になるのはたった208グラムです。

■生繭での真綿糸つくり

紅餅を作る一方で糸作りも始めます。1反の着尺を織るために必要な糸は、約1.5キロの真綿です。山岸さんは糸の艶を最大限に活かす為、生繭(なままゆ)を使います。お蚕さんを生きたまま冷蔵保存し、糸を採る時に集中的に灰汁で繭を煮て、真綿にしていきます。その後、清水(せいすい)の中でさなぎと最後の脱皮した殻を取り除き、ひとつひとつ指で割いて水の中で広げます。
生繭での真綿糸つくり 生繭での真綿糸つくり
繭30個を重ねてやっと1枚の原綿(げんめん)になり、この原綿から巧みに手指を使い、中が真空状のふっくらとした柔らかい手紡ぎ糸を仕上げていきます。織物は良質の清水によって出来上がるものなのです。

■寒染 〈真冬・1月~2月〉

寒の入りと共にいよいよ「冷やし染め」が開始されます。前夜、真夏に作った紅餅500グラムを木桶に入れ体温程度のお湯を注ぎます。木桶を使うのは熱の冷め具合が緩やかで紅色素への刺激も少なく、抽出がゆっくりじっくりと進むためです。木桶の中で、丁寧にゆっくりと紅餅を崩し、お湯をくぐらせてほぐします。次にあかざ灰を入れてゆっくりかき回し、そのまま3時間木桶の中で寝かせておきます。この時お湯が急激に冷めないように木桶の周りを厚めの布でしっかり包み込み、徐々に温度が下がるよう細心の注意を払います。3時間置いた後、包んでいた布を取り、桶の蓋を開け、糊を抜いた麻袋に紅花を入れて丁寧にゆっくり絞ります。この作業を午後6時から3時間ごとに午後9時過ぎ、午前0時過ぎ、午前3時過ぎと計4回行います。
寒染 寒染
午前4時、気温が零下を示し、すべての生きとし生けるものが寝静まり、動きが止まった早朝にいよいよ「紅花染」が開始されます。寒中の一番冷えるこの時間が空気も水も全てが澄んでいて雑菌がなく、山岸さんの心も無になり染めに集中出来る時間なのだそうです。 まず、紅花の絞り汁に奈良の月ヶ瀬(つきがせ)村の「烏梅(うばい)」を少量ずつ加えていきます。染液が綺麗な紅色に変化したところで自分の舌で酸味を充分に確認し、新しい糸を取り出しゆっくり 染液に浸けて行きます。充分に糸に染液が染み込むとゆっくり引き上げ、空気にあて、糸を繰り、満遍なく糸に空気を含ませた後、また染液に浸し糸を繰る。これを何度か繰り返していくと、染めに使っていた染液からすべて紅色が抜け、液が真水のようになります。そして紅色に染まった糸を米酢に浸け、その後流水で糸をさらすことにより、色が透明感を増していきます。 前年や前々年に紅花で染めた糸もこの染めの間に取り出し、一緒に紅花の染液に浸けて染め重ねます。こうやって寒中に繰り返し染められた糸は、色の幼い1年生、少し紅色の深みを帯びた2年生、糸にふくらみさえ感じるようなしっとりとした落ち着きと深みのある紅色の3年生になります。

■最上川の源流からの流水で洗う

「みちのくの染めは厳しい自然条件の中で行われるため『冴えた色が出る』」と言われています。 屋外は根雪がカチカチに凍り、その上に新雪が真っ白に積もった状態。太陽の光を浴びて新雪がキラキラと輝き、時折、木々から落ちてくる雪はまるでスターダスト。しかし寒さは並大抵ではありません。どんなに厚着をしても1分も経たないうちに足先から感覚が無くなります。 そんな中、山岸さんは、腿まである長靴を履いてためらいもなく小川に入り、染色した糸を大切に愛おしそうにひと束ずつ素手で流水にさらして何度も何度も流します。小川の水は刺すように冷たく、凍傷になるほどの過酷な条件の下で30分もかけて糸を小川で泳がせると、糸はどんどん澄んだ色に発色して行き、驚くほど綺麗になっていくのです。 紅色に染め上げられた糸は、雪の照り返しに包まれなんとも言えない輝きと人を包み込むような優しい発色を見せてくれます。

プラチナボーイと向き合った5年

山岸幸一作 八寸名古屋帯 山岸幸一作 八寸名古屋帯
プラチナボーイが最初に山岸さんの手に渡ったのは今から5年前の平成18年6月19日の生の春繭14.6キロでした。1日8時間半、時間との勝負で孵化する前の蚕を3人がかりで延べ1ヵ月かけ、繭から2.7キロの原綿を作りました。次の年の春繭は奇しくも同じ日の6月19日に14・8キロ届き、同じような作業工程を経て1ヵ月後には、2.3キロの原綿となりました。2年間で合計約30キロの生繭から原綿に出来上がったのは5キロでした。
毎晩静けさの中で糸を紡ぎ続けているとプラチナボーイの特徴が鮮明に手に伝わり見えて来たそうです。出来るだけセリシンを残して作る山岸さんの糸には必ず毛羽がありそれが豊かな表情となります。山岸さんによるとプラチナボーイの毛羽は綺麗に同一方向を向いて揃っているので、光の反射がはっきりし、艶が一層増すうえに、引きも強く、切れにくいという糸自体が持つ特徴がはっきり出ていたそうです。 その分、他の紬糸と比べると糸の表情が硬質で、きりっとして鋭角的、輝きは華やかで上品、山岸さんの言葉を借りると「舞台上のタカラジェンヌ」だったそうです。 40綛ほど作ると約1反分の糸になり、この年の寒の入りから数回に分けて草木染の代表の5色、「紅染」「紫根染」「くろ染」 「藍染」「臭木染」に染め付けられました。そして次の年の冬が来るまでゆったり寝かされ、丸3年をかけて染め上げられました。染めた後は、それらをどう組み合わせて織物に表現していくかが課題になります。山岸さんは常に「お召しになる人が美しく、優しく、健やかになるにはどうしたらいいか」を考え、機や道具の癖を知り、糸の素材を活かして織り上げることを考えて制作していきました。 繭を託してからちょうど5年後の今年、山岸さんの思いを込めたプラチナボーイの織物が、初めて私達の目の前に届きました。それぞれに違った表情があり、落ち着いた煌きがあります。

「ほんものを作る」ということ

文明が発達するに従い、織物は合成染料と動力織機で均一に早く大量に作る事が求められ、結果、糸からはセリシンが取り除かれました。 そんな中、山岸さんは体験から「自然の素材感を活かした人の心に訴えるものづくりに徹していく事が自分の進むべき道だ」と思ったのです。長年、草木と向かい合って染めを行っていくと、自然の摂理が人間にとってどんなに重要かを学びました。
山岸幸一作 八寸名古屋帯 山岸幸一作 八寸名古屋帯
そして「生あるものはできる限りその生を活かしながらもっともふさわしい状態に仕上げていく事が大切だ」と気付いたのです。 自分で蚕を育てようと思ったのは、風合いの良い糸を探し求めたが、なかなか自分の思いが叶う糸に出会えなかったからでした。植物の育ってきた状況を知り、蚕の生育過程を知り、それらの性質を詳しく知る。出来る限り最良の状態の時期に糸を紡ぎ、植物を採取し、寒の入りから染めに入る。 「ほんものを作るということは、素材の良し悪しに加え、染めをするときの時間的そして精神的な余裕が必要だ」と山岸さんは言います。

着る人に寄り添い引き立たせる織物へ

山岸さんの織物は糸を染めた後も、織り上げた後も、しばらくの間手元でゆっくり寝かされます。 織り上がった着物地や帯地が、機から降りて落ち着きを取り戻していくのを待つのです。静寂の中で染められた糸たちは、染めや織りで研ぎ澄まされた鋭さを徐々に解き放ち、それぞれの色が柔らかく包みあい、活かしあうように調和していきます。糸自体が熟成されていくのを待つのです。 こうやって育てられた織物は、今度は身につける人に寄り添い輝きます。 同じ作り手たちが「ぜひ見せて欲しい」と参考にしたがる山岸さんの糸作り。 そして、同じプロの作り手たちが「1枚は欲しい」と言う草木染の織物。 プロも惚れるものづくりをする山岸さんは、「織物は、着る人を引き立ててこそです」と言い無心に誠実に黙々と作ります。どんなに時が経っても、便利になっても、ものづくりに対するスタイルを変えず、自然の中で植物や蚕に真っ直ぐ向き合って語りかけながら作り上げる。その徹底した姿勢は、出会って15年経った今もなにひとつ変わりません。 山岸スタイルで5年の歳月をかけて作り上げたプラチナボーイの紅花寒染。 歳月を惜しまず、労力を惜しまず、自分の時間を惜しまずに作り上げられた素晴らしい織物たちをぜひご覧ください。

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