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2009年 泰明小学校 「柳染め課外授業」~柳染めの勉強~

今日は銀座の柳についての勉強会です。 泰明小学校の講堂に、総勢60人あまりの生徒たちが集まりました。 まずは銀座の柳の歴史からです。 銀座と柳については明治時代にさかのぼります。明治7年、欧米並みの並木を植栽しようと、桜や松、楓の3種が銀座通りの四辻に植えられました。しかし、もともと海で埋立地である銀座は土中に水分が多く、それらは枯れてしまったそうです。そこで水栽培も可能な柳が選ばれました。当時、柳は街路樹に選ばれるような樹木ではなかったのですが、 それが却って新鮮にうつり、「銀座の柳」として定着したそうです。明治17年には、銀座の街路樹はほとんど柳になりました。 しかし、それから紆余曲折があったのです。
泰明小の校舎
大正に入ると、車道を拡張するための柳の撤去や、関東大震災による銀座の消失。昭和7年には再度、4丁目三越前の交差点に柳が植えられるものの、東京大空襲のため銀座が消失。柳も8丁目の40本を残して消失してしまい、戦後の食糧難のため柳から畑に作り直されもしたそうです。昭和43年には銀座通り整備のため203本の柳が日野にある建設省街路樹苗圃に移植。
それが昭和59年に「目黒に残る銀座の柳」と新聞に取り上げられたことから、「銀座の柳」の復活活動が開始されました。当時、現存はたったの3本、しかも2本はすでに移植できる状態ではありませんでした。ふところ枝を50本もらい、さらにそれを150本に切り分けて「挿し木」にし、幸いにもそのうち86本を根付かせることができました。70センチに成長したところで2世柳として3本を御門通りに植樹したのです。
昭和61年には中央区の木として柳が選ばれ、翌年、昭和61年11月20日に、泰明小学校の入り口に2世柳が植樹されました。平成9年にはその2世柳からなんと3世柳ができたので、職員室前に新たに植えられました。そして平成10年に、泰明小学校での「柳染め課外授業」が始められたのです。
泰明小の校庭
銀座もとじで柳染めをはじめたきっかけは、店主泉二が各地の草木染めに触れているうちに、ふと銀座の柳でも染められないかな、と思ったこと。毎年、中央区が銀座の柳を刈り込んで処分するという話を聞いて、それだったらと役所にお願いして、いただけることになりました。
色見本
次に実際の柳染めについての説明です。 「柳の命、すべてが染料に流れでています。植物だから、今年の色は今年しか出ない。世界にひとつしかないものを作るんですよ。」昨年染めた実物のハンカチを取り出して見てもらい、好きな色をイメージ。染められるのは4種類、カラーチャートを配るとみんなじっと見つめだしました。
どんな柄にしようかな?どんな色に染めようかな?想像しているときの表情って、見ているだけでもわくわくします。
授業が終わった後もとても熱心で、見本を取り囲んで「何色がかわいいかな?」「この柄はどうやって作ればいい?」などいつまでも話題がつきません。自分好みのものを作りたい!という意思をしっかりと持った生徒たち。どんな作品ができるのでしょう。楽しみで待ちきれません。
染色の授業風景

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