時代ごとの帯留の変化
今回、店舗には池田重子さんの2,000展にも及ぶ帯留コレクションから、銀座もとじのために 厳選してくださった104点の帯留コレクションをお借りして展示いたしました。 <明治><大正><昭和>、3つの時代の帯留は、それぞれ大きさや趣の違うもの。その時代による特徴について、武蔵大学人文学部日本・東アジア比較文化学科教授・丸山伸彦さんにお話頂きました。
昭和の帯留
<明治>・・・海外から宝石・装飾品が輸入されてきた時代。当時の日本人たちはまだ着物を着ていた時代。それでもどうにかして身に付けたいという願望を叶える格好の場が「帯留」だった。
大正の帯留
<大正>・・・大正に入ると、時代の世相が反映し、帯留は控えめなものへ変化する。表向きは地味、でもその代わり 細部の装飾にこだわったものも多い。大正中期までは、染織に対して異素材(金属など)を合わせるということ自体におもしろさが見いだされていた。
昭和の帯留
<昭和>・・・昭和に入ると、帯留自体のサイズも控えめだった大正時代より大きなものへ戻った。意匠もきもの柄に合わせるなどの装いの遊びが見られるようになった。
丸山さん:「時代によって社会・経済環境も違い、文化・芸術にも様々な影響が見られるのは当然ですが、美しさへのエネルギーはいつの時代もさまざまな形で表現され、控えめさを要求される時代には小さな帯留の精緻な装飾に凝り、華やかさが認められる時代には大ぶりで大胆な細工が発展するなど、人々の美しさへの探究心はいつの時代も尽きることがありませんでした。」
武蔵大学人文学部日本・東アジア比較文化学科教授・丸山伸彦さん
特別な帯留たち
Q女形役者・花柳章太郎さんの帯留を手にすることになったきっかけは?
黒柳徹子さんの番組「徹子の部屋」に4回出演させていただいたのですが、その番組を花柳さんのご子息の奥様が見られていてご連絡を下さったんです。
Q他の帯留とは一線を画する大きさの舞妓さんの帯留はどうされたのですか?
舞妓のものは置屋のものなので、普通は世に出回ることはないのですが、どういうわけか集まったと京都の骨董屋から連絡が入り、駆けつけました。
店主・泉二と池田重子さんとの出会い
出会いは12年前。9年前にはもとじ倶楽部の第2回目のゲストとしてお越しいただきました。銀座の今の場所に店を構えて間もない頃です。泉二:「会うたびに胸がときめていました。お洒落だし、色っぽいし、所作がきれいで、あこがれの先生だった。
会場にご持参くださったものたち
和装美の極意とは?
「男性も、女性も、もっともっとお洒落していいのよ。小物もいっぱい集められて下さい。本当に小物1つで装いが変わります。私はきものの色数は少なく着ますけど、もっといろんな色を挿してもいいと思います。