2014年5月15日(木)〜18日(日)まで、銀座もとじにて開催した『憧れの宮古上布展』。 5月18日(日)には新里玲子さんをお迎えし、ぎゃらりートークを開催しました。1948年宮古島生まれ。当時、島で生まれた若者の合言葉は兎にも角にも『目指せ東京』だったそう。

宮古上布作家 新里玲子さんのぎゃらりートークを開催
そんな時ふと帰った宮古島で「宮古にも織物があるよ〜」と言われて、行ってみたのが当時最高の紺絣の宮古上布技術者 下地恵康(しもじけいこう)さんの工房でした。 「織ってみようかなぁ」とつぶやくと、「(当時はスチュワーデスで格好が明るかったので)派手な身なりの人がやる仕事ではないよ〜」 と言われて「そうですか〜」と帰ってきたそう。

新里玲子作 帯作品

新里玲子作 帯作品
工房で働いて3年経つ頃、新里さんはひとつの疑問に出会います。 「宮古上布の紺上布は、宮古島のにおいがしない」と思い始めたそう。紺一色の、重い紺上布のイメージは、新里さんにとって、 宮古島のイメージとは違うように感じられたと言います。 そんな時、古い資料で見つけたのが、琉球王国時代に織られていた赤や黄などの明るい多彩に大きな格子や縞などの伸びやかな絣の上布でした。
糸は人生の縮図
宮古では布よりも糸の話題で話が弾むと言います。 独立して糸がばーっと集まってきた時、「すべての糸を買い取ると心に決めた」という新里さん。 「自分の作品を見て思うことがあるんです。何か伝わるなぁって。それは糸の魅力があるからなんですよね。 糸そのものの魅力というより、糸を績んだおばぁそれぞれの性格や魅力が糸に乗り移るんです。」

宮古上布の糸 太細が違う
織りには自分の生きる姿が出る

新里玲子作 帯作品
作品のデザインを作る時、その構図はありますが、実際の色糸選びは、機に糸をかけてからいろいろ糸を入れてみて 考えるそう。「経糸を機にかけて、緯糸を実際に入れてみると、イメージと全然違うことも多いんですよ。 糸はね、その隣にくる糸の色で生かされるんです。人間関係と似ているな〜と思います。 私の主人は、どちらかというと紺上布の黒光りの深い藍、私は琉球王国時代の明るく軽やかな色、だからこそ引き立つ、笑。それと同じかな〜。」
「織りには本当に性格が出ます。私は“色絣”を糸をその場でいろいろ入れてみながら、自分が好きな仕上がりを自由に好き勝手に追求して作り上げる。 でも“紺上布”はまた違う性格。端正な深い藍と白の2色のみで、あの精緻で決まった連続柄をもくもくと織っていく仕事なんですよね。 最初は『紺上布は宮古じゃない』とか自分が作るカラフルな上布を“若い感性”と言われて抵抗を感じて『私こそ琉球王国時代の古いものを 作っているんだ』と思っていたけれど、今は“否定”ではないですね。人間それぞれと同じだなぁって思っています。」 今は「新里さんのカラーは何?」と聞かれたら「何でも好き!」と答えるという新里さん。「私は可能性に満ちているなぁって 自分で思うんですよ〜」 現在、長男と長女がともに織りの世界へ。新里玲子さんの宮古上布への想いを受け継ぎ、若い作り手がものづくりに励む工房は 新里さんの太陽みたいなパワーを筆頭に、明るく前向きな活気に満ち溢れています。 今後の作品はどんな化学反応で進化し続けていかれるのか、本当に楽しみです。