2011年10月20日(木)〜23日(日)まで、銀座もとじにて『釜我敏子 〜ひたむきな命の躍動を着物に託す〜』展を開催させていただきました。銀座もとじでの初個展です。
10月22日(土)には、釜我敏子さんをお迎えして、ぎゃらりートークを開催させていただきました。
型絵染めとの運命の出会い
釜我敏子作 「さわぐるみ」
昭和13年福岡県生まれ。普通科の高校を卒業後、就職。1年半後には退職し、花嫁修業へ。 「そういう時代だったんです。特にものづくりをしていた、というわけでもありませんでした。
花嫁修業時代というのは、皆さんお稽古事をするんですね。それで私も母の勧めでロウケツ染を習ったんです。 それが初めての“ものづくり”との出会いでした。」 2年後には先生の助手をするまでになりましたが、手伝いに終わるだけでは物足りなくなっていきます。
昭和43年、佐賀の美術館で運命的な出会いがありました。 木版摺更紗の第一人者、故・鈴田照次さんの作品「もくまお」に衝撃を受けたのです。 「九州でこんなものができる方がいるのか!と感動したんです。当時、やはり京都や東京など中央に有名作家はいるような気がしていて。 でも鈴田照次さんの存在を知り、それからはもう無我夢中でした。」 すぐに鈴田照次さんが非常勤講師をされていた佐賀大学へ向かいましたが、残念ながら弟子も聴講性も受け入れていません。 それでも何とか技術を学びたいと駆けずり回り、やっと、鈴田照次さんの授業を受けた卒業生に数回、型絵染を習うことができました。 それから佐賀大学名誉教授の故・城秀男さんにデッサンを学び、他で石膏デザインを習いながら、形をとらえる力を身に付けたといいます。
32歳の時、第5回西部伝統工芸展へ初めて出展、見事入選を果たします。 「この時、美術評論家の河北倫明さんに『中央に通用する作家が生まれた』と評価いただいたのが本当に嬉しくて。 この言葉があったから、作家の道へ進んだのだと思います。これがなかったら、今の私はありません。 一番下の賞だったけれど、これまで頂いた賞の中でも一番印象に残っています。」 その後、西部伝統工芸展へは連続7回入選しました。
松原家での修業
入選を重ねていた釜我さん。それでも“独学”的な部分が多いと感じ、もっと技術を向上したいと考えていたそう。 そんな時、日本工芸会の研究会へ参加。偶然にもくじ引きで隣になったのは、長板中形の人間国宝・松原定吉さんの長男、松原利男さんでした。しかも2日間ある研修の内、両日が隣席という偶然。釜我さんは大先生への申し出の緊張を振り払い 意を決して言いました。
釜我敏子作 「福寿草」
「型染を教えてください! 」利男さんは快く受け入れてくれました。
それからは福岡と東京の行き来が始まります。2週間、東京の松原工房で学び、福岡で半年練習をして、また東京への繰り返し。 早速工房へ伺った釜我さん。「今まで通りやってみて」と言われ糊付けをしてみた釜我さんは、利男さんから 「えっ? こんなやり方でよくこれまでやってきましたね」と笑われてしまったそう。 釜我さんが一番驚いたのは糊付けの際の“ヘラの使い方”。松原さんの手首の返し方が大変美しかったそう。 福岡に帰ってからは、テレビを見ている時も、暇さえあればヘラを返す動きを練習したと言います。 松原家の皆さんはいつも温かく迎え、包み隠さず教えてくださり、釜我さんは型付けや糊置きを一から学び直し、 技術を身につけて行きました。
背中を押してくれた母
釜我敏子さん 工房にて
福岡と東京を行き来していた頃、釜我さんは専業主婦。仕事と家事の両立が求められました。 そんな時、「私に任せなさい」と東京滞在時の留守宅をサポートしてくれたのは、母でした。 娘の夢に共感し、励まし、工房を構えることにも協力し、いつも釜我さんの背中を押してくれたのも、母でした。
その母の想いを胸に「早く一人前になりたい。中央で認められたい。」と作品作りに努め、 昭和51年第23回日本伝統工芸展へ初出展、見事入選することができました。 日本伝統工芸展へ4回連続入選すると、日本工芸会の正会員として認められます。 「必ず連続入選したい!」その想いでものづくりへ臨んだ矢先、母の病がわかります。 母の看病とものづくりの両立の中、「母が安心する娘になる、母へ恩返しするんだ! 」 制作への想いはさらに高まり、作品づくりに励みました。 昭和52年第24回日本伝統工芸展に作品「ねむの花」を出展し、2度目の入選を果たしました。 この入選の知らせが来てしばらくして、母は他界しました。 早くに夫を亡くし、女手ひとつで4人の子供を育てた母でした。 「銀座もとじさんでの今回の個展の始まりが10月20日、この日は母の命日なんです。なんて偶然かと。 母が応援してくれている気がします。」
釜我敏子さんの型絵染めのものづくり
ねむの花、福寿草、小歯朶、さわぐるみ、あざみ。釜我さんが題材とする花草は、土や草の香りがするものばかり。 切り花で美しく飾られるものよりも、土からにょきっと育つ、野の花や樹、葉に心が打たれるといいます。
釜我敏子作 「小歯朶紋」
野や山に出かけてスケッチをする。「細かい点よりも、それがどういう雰囲気で咲いているのかを大切に心に留めて家に帰ります。 全体的な雰囲気を一瞬で捉えることが大事なんですね。」 自宅に帰ってからは、机上でそれをデザイン化。土からにょきっと伸びる動きのある植生の様子を表現するので、釜我さんの作品には美しいリズムが生まれます。 作品はとても彩り豊かな釜我さんですが、この時のデザイン画は墨色で描くモノクロの世界なのだそう。 「色を挿してしまうと、色にまどわされて本当の形が見えなくなるから。ここでは形に集中します。」 デザインが出来ると、今度は水彩絵の具で全体の色の流れを大きく、すっと描いていきます。ここでも、細かな部分よりも 全体の雰囲気を大切に捉えます。よし、と思えば次は型彫りへ。 釜我さんの色挿しは、大きく型で色を置いていくのではなく、型で色を付けない部分に防染糊を置いて、その間を 刷毛で刷り込むようにして色を付けていく技法。着物なら12m以上、帯なら4m近くの生地をひとつひとつ、 釜我さんの温かなお人柄と想いが色と一緒に染め込まれていきます。
釜我敏子さん
一瞬で花草が持つ楽しさや、自然が作り出すリズムに魅了されてしまう釜我敏子さんの型絵染め作品。 色彩と柄の動きとのバランスも本当に見事。会場は釜我さんの作品に包まれましたが、どなたもが、 その明るい美しさに歓声をあげてくださいました。 ずっと身につけていたくなる着物。身につける度にうきうきする帯。
時々そっと、箪笥の中をのぞきたくなる、そんなときめきのある着物や帯。 「装いはトゲトゲではなく、人様が見てすっと見えるものがいいですよね。」 と仰る釜我さん。そのやわらかな笑顔は作品そのものです。
(文/写真:伊崎智子)