2012年1月19日(木)〜22日(日)まで、銀座もとじにて『藤山千春展』を開催させていただきました。銀座もとじでの初個展です。

吉野間道との出会い
今年、織りを始められて50年の節目を迎えられる藤山千春さん。 吉野間道=藤山千春さんと言われるほど、吉野間道は藤山さんの代表的な技法。まずは出会いのきっかけについてお伺いしました。
東京都品川区大井町。藤山さんは東京のど真ん中で育ちました。 でもお母様は八丈島の隣の青ヶ島の出身。その兄弟が八丈島へ渡り、黄八丈の機織に従事していたことから、幼い頃よりそこで織りに触れていたといいます。
「当時は「吉野間道が好き」とかそういうことではなく、柳先生の下でその時、勉強できることが「吉野間道」だったということです。ひたすら「吉野間道」を学び、織り続けました。修行が終了した後も、仕事がない時代。でも柳先生の作品は新宿で必ず買い上げてくれるところがあって。それで私も必死に織って、引き取っていただき、生きていくことができたんです。」

生まれ育った品川区の自宅を工房に、草木に包まれたものづくり
それからずっと、一度も機を降りずに織り続けて、今年で50年。ご結婚され、お嬢様が二人お生まれになった後、育児中もずっと機に座ったままだったそう。そのわけは?「機におんぶ紐を引っかける方法を見つけてね。子供を背負ったまま機を織り続けることができたの。

その工房を訪れると、一番に驚くのは庭いっぱいに育てられたたくさんの植物たち。茜、臭木、矢車附子などをはじめ、そして藍甕も。「私が使っている草木染めの染料となる草や木を育てているんです。実際には、庭先程度では染料として使う量は育たないものもありますが、工房を訪れてくださった方にご説明ができるようにしています。」


「鬼胡桃」は9月に山梨県の山中湖周辺で採取するのが恒例に。「臭木」は八丈島の親戚一同が12月に、一番熟れた時期の実を、鳥が食べるのと競争しながら採取して送ってくれるのだそう。(「臭木(クサギ)」はこのような字を書きますが、9月にジャスミンのような青臭いけれどとてもきれいな香りがするそうです)
左カラムのコンテンツそして驚きは「藍甕」があること。これにはちょっとした秘話があります。35年前頃、藤山さんは自分で藍を建てたいと思いつきました。でも当時は藍甕が一つ10万円。資金がありません。柳先生へ相談したところ「ドカンで良い」と言われたそう。そこで藤山さんは近くの店でドカンを二つ購入。

大切な手紙

最後に、藤山さんはある大切な手紙を読んでくださいました。柳先生が、卒業する時に、生徒たち一人一人に渡したという手紙です。『ある時は己を堅く持ち、またある時は己を振り捨てて自由になりなさい。仕事においてはものにとらわれぬことが大切です。』「頂いた時はよくわからなくて、大切なもの入れにずっとしまっていたんです。でもその意味が数年前にすっとわかるようになって。今とても大切に思います。」