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泥大島・藍大島・色大島・白大島。実は多彩な大島紬の種類をご紹介|知るを楽しむ

泥大島・藍大島・色大島・白大島。実は多彩な大島紬の種類をご紹介

"世界三大織物"に数えられるほどの精緻な絣模様と、優美な光沢感、そして軽やかな着心地が魅力の大島紬。主に奄美大島で生産されている絹織物のひとつで、特に"泥染め"という世界的にも珍しい染色方法で染められているのが特長です。そのため、"大島紬=泥染め"というイメージを持っている方も多いのではないでしょうか?けれども、実は大島紬には泥染めだけでなく、色大島や藍大島、白大島など多彩なバリエーションがあるのです。
今回は、そんな大島紬の歴史や種類をご紹介します。

大島紬の歴史

まずは大島紬の歴史を振り返ってみましょう。 もともと奄美大島で紬が作られ始めたのは、神代の頃と言われています。

そのころ神のように崇められていた「阿麻弥姑」が、毎日珍絹で頭を覆っていたのを見た島の女性達が、その人を慕い少しでも近づきたいと願って「珍絹や珍首」を使用したのが起源とされています。 (“大島紬盛衰の歴史~文献を紐解き神代の時代から現代まで~|和織物語”)

"大島紬"が生まれたのは江戸時代。当時は絹糸ではなく真綿紬糸を使用していたので現在よりもふっくらとした風合いで、柄の種類も無地、縞、格子などのシンプルな平織りのみだったようです。当時は薩摩藩下に置かれており、大島紬は黒糖と共に将軍家への献上品となり、藩財政を支える重要な資金源になっていました。

泥大島・藍大島・色大島・白大島。実は多彩な大島紬の種類をご紹介
「南島雑話」より 左:地機で布を織る絵 / 右:絣文様 二重ダスキ、東ダスキ、ツブツクワのタスキなど

幕末、奄美大島に流された薩摩藩士 名越左源太(なごやさげんた)が、5年間過ごした島での見聞録をまとめた名著「南島雑話(なんとうざつわ)」には、「紬を上とし、木綿、苧麻、芭蕉布など、島婦これを織る」と記されています。絣、縞、格子などの紋様が地機で織られている絵図が描かれています。(『初期の「大島紬」と泥染の発見』より)

大島紬が一般に広まるようになったのは明治時代以降のこと。技術革新によって品質が高まり、1890年(明治23年)に開催された第3回内国勧業博覧会に出品され、一躍脚光を浴びます。その後、戦時中に一時下火になるも、戦後1975年(昭和50年)に、国の伝統的工芸品に指定されたことが後押しになり、大島紬は全国的なブームとなりました。

大島紬の染色

大島紬の泥染めはある"偶然"の出来事から始まった?

大島紬にはいくつかの種類がありますが、その代表格となるのが泥染め。シャリンバイ(テーチ木)という植物から煮出した染料に浸けて干した絹糸を、鉄分豊富な泥田で染めるというものです。余談ですが、このシャリンバイは乾燥や排気ガスに強いため街路樹として植えられることもあり、1968年には老化した柳に代わってシャリンバイが銀座の街路樹に使われていたそうです。

この泥染めの始まりについては諸説ありますが、1720年(享保5年)に、薩摩藩が奄美の島民に「紬着用禁止令」を発令していた際、薩摩藩の役人の目を逃れるために、島民が慌てて泥田に紬を隠したことが発端と言われています。この泥で染めることによって、大島紬特有の光沢感と深い色合い、そして親子三代続くといわれる堅牢さを出すことができます。

泥だけじゃない!色大島や白大島など種類豊富な大島紬

大島紬には、泥染め以外にも大きく分けて藍大島、色大島、白大島があります。色大島と白大島は、戦後に誕生した比較的新しいものです。

◉藍大島紬

泥大島・藍大島・色大島・白大島。実は多彩な大島紬の種類をご紹介
泥染めの地糸に、藍で染めた絣糸を使用したもの(植物藍を用いたものは「正藍大島」とも呼ばれています)。藍ならではの凛とした美しさを感じられる大島紬です。
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◉色大島紬

泥大島・藍大島・色大島・白大島。実は多彩な大島紬の種類をご紹介
絣糸や地糸を化学染料で染色。色味によってトラディショナルからトレンドまで多彩な装いを楽しめます。
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◉白大島紬

泥大島・藍大島・色大島・白大島。実は多彩な大島紬の種類をご紹介
白の糸に絣模様を入れたり、先染めした絹糸を用いて白生地に織り出した大島紬。春夏の装いにもふさわしい軽やかな印象に。
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このように、大島紬と一口に言ってもその種類はさまざま。好みや季節に応じて、多彩なテイストを楽しむことができます。また、色だけでなく柄の種類も豊富。奄美の風土や歴史を反映した龍郷柄・秋名柄・西郷柄などがあります。
【龍郷柄・秋名柄・西郷柄】柄名の由来とは?>

“つながり”を築く大島紬

1000年以上もの時間をかけて奄美の自然と人々によって育まれてきた大島紬。泥大島や色大島をはじめとする多彩な色柄を生み出しながら進化を重ね、今なお日本はもちろん世界を代表する織物であり続けています。

そんな大島紬を、奄美では大切な人に贈る習慣があったのだそうです。 例えば、昔は家で織工をしていた女性も非常に多かったため、娘の嫁入り道具として持たせたり、嫁入りの結納返しとして妻が夫に男性用の紬を贈ったりしたといいます。

奄美大島の魅力に惹かれて移住した、南海日日新聞の松井輝美氏は次のように語ります。

奄美大島では、庶民の間で日常的に踊る文化が栄え、老若男女、等しく輪になって踊る、といった風習が今に受け継がれています。踊りを通じて、分け隔てのない『つながり』というものが大切にされてきました。 ( Vol.7 「奄美大島の民族性」 より)

奄美の人々にとって大島紬は、“つながり”を結んだり深めたりするためのバトンのような役割があったのかもしれません。

現在、私たちはさまざまな社会の変化によって“つながり”が多様化する一方、リアルな結びつきを体感しにくいことがあります。だからこそ、"つながり"を大切にする奄美の人々の想いが詰まった大島紬を受け継ぎ、着継いでいくことは、人と人、人とモノとの"つながり"を再認識する良い機会になるのではないでしょうか。

「知るを楽しむ」コラム一覧

【参考】
・大島紬盛衰の歴史~文献を紐解き神代の時代から現代まで~|和織物語
・初期の「大島紬」と泥染の発見 – 銀座もとじオンラインショップ
・「大島紬」の成長期・変動期~大島紬の多様化の時代へ
・高級絣織物へと変化する「大島紬」~全国的に人気を博する~
・銀座通りがカツラ並木に 2020年に向け景観整備
・紬の島、奄美大島を訪ねて|歌舞伎美人
・白泥染め大島紬の誕生・特徴について
・島の伝統工芸を次世代につなぐ挑戦~大島紬の未来を見つめる織元「興紬商店」
・Vol.7 「奄美大島の民族性」 – 銀座もとじオンラインショップ

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