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金工家・奥村公規、店主・泉二啓太の特別座談会

幼少の頃から刀剣に興味を持ち、15歳の頃には刀の柄(つか)を独学で作って遊んでいたという金工家 奥村公規氏。「現代の男を飾るものを創りたい」とご縁が繋がり、芸術性の高い男性向け羽織紐を制作いただき、店主 泉二啓太も「二連の兵庫鎖の羽織紐」を愛用しています。
2023年2月に銀座もとじ 男のきものにて特別座談会を開催。店主 泉二啓太が奥村公規氏の創作活動について伺いました。



泉二
今日は奥村公規さんに、ものづくりへの想いや魅力をお伺いしていければと思います。
先生は金工というジャンルで今活躍されているのですが、金工というのはどういったものか簡単に教えていただけますか。

奥村
なかなか皆様に馴染みが少ないかと思いますが、金工には「鋳金(ちゅうきん)」「鍛金(たんきん)」「彫金(ちょうきん)」という、大きく分類して3つの技法があります。
鋳金は鋳造とも呼ばれて、溶けた金属を型に流し込んで物を作る技法で、古くはお寺の鐘や銅鐸、鏡などがこの方法で作られています。
二つ目は鍛金あるいは鍛造とも呼びますが、これは板状の金属を叩いて加工して作る技法のことをいいます。
そして三つ目の彫金は、鋳造や鍛造でつくられたボディにいろいろなデコレーションを施すための技法です。
これらを理解していただくとわかりやすいのではないかと思います。

「男を飾るもの」を創りたい

泉二
奥村さんにお作りいただいている兵庫鎖(ひょうごぐさり)の羽織紐は、銀座もとじのロングセラー商品です。鎖の中央に梵字(ぼんじ・サンスクリット語で用いられる文字)を配置して、守り本尊を装うというお洒落を楽しんでいただいているのですが、僕はこの兵庫鎖を二連にした、中央の飾りのないタイプのものを先生に作っていただいて、長く愛用しています。
この兵庫鎖とはどういったものなのでしょうか。

奥村公規作羽織紐 黄八丈の着物に合わせて
奥村公規作 兵庫鎖の羽織紐を日常的に愛用している。
撮影:齋藤幹朗 写真提供:NHK出版

奥村
これはですね、かなり古い時代から伝わる技法をもとにしているんです。
江戸時代の時代劇などで出てくる刀は「打刀(うちがたな)」といって帯に挿す形ですが、それ以前の平安から鎌倉時代の刀は「太刀(たち)」といいまして、紐で腰に吊り下げていました。
その太刀に使われていた鎖が「兵庫鎖」で、国宝の「上杉太刀(うえすぎたち)」などが有名ですが、吊り下げて紐で腰に巻くわけです。これを「太刀を佩(は)く」と申します。
奈良時代、南北朝時代までの工芸では、金と銀のコンビネーションがとても流行っていました。昔の武士は非常にお洒落ですね。


出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/F-147?locale=ja


お客様
兵庫鎖を身に着ける事ができるのは身分の高い方だけですか。

奥村
そうですね。上級の武士でないとなかなか身に着ける事はできなかったと思います。主に神社への奉納品として現在に残っています。

泉二
着けた方は誇らしかったでしょうね。先生は以前に男を飾るものを創りたいというお話をしてくださったのですが、先生の中で「男を飾る」というのはどういうものでしょうか。

奥村
昔の武将はですね、戦国時代もそうなんですが、とてもおしゃれで実際残っている陣羽織なんかをみても本当に度肝を抜かれるようなデザインで素晴らしい色使い、センスが良かったんですね。
そういうものを作らせていた文化が平安時代からずっと繋がっていて、武士の時代が終わり、明治初期に、いわゆる廃刀令という帯刀してはならないというお触れが出たためにこの技術に関わっていた人たちが職を失ってしまったわけですね。
それでさあどうしようと、一生懸命当時の工人たちが考えて、結局女性の帯留め金具を作る技法にいままで刀の目貫(めぬき)という刀の柄の部分の装飾の金物をつくる技法を利用したり、時代の流れにあわせて変化していったんですね。
それで大正から昭和初期に帯留の大ブームがあったのですが、結局それは女性の為のものだったんです。
私は帯留もいくつもつくったことがありますが、なにか違和感があったんですね。自分は男なので女性のものを作っても自分の感覚でわからないんですよね。
だから自分が男だったら購入したいとか、こうだったらどうだろうと思うものをどこかで活かせないかと思ったら、たまたま銀座に男専門の着物を扱うお店があるという事を聞きつけまして・・。

泉二
沢山のコレクションをお持ちで、今日のために目貫をはじめ色々とお持ちくださっているのですよね。

目抜き
目貫 表面

目抜き
目貫 裏面

奥村
これは目貫といいまして、刀の柄、いわゆる握りの部分に施す装飾の金物になります。
いわゆる打出し、一枚の金属の板を裏から叩いて膨らませて、外側から突っついたりしながらだんだん形作っていきます。
相当の数の需要が当時ありましたので一点ものを作るのは非常に高価ですから、実は型で量産したものが出回っていました。ただそれはあまり芸術的な価値も無いので、どんどん捨てられて残ってないんですね。

泉二
それが室町から江戸時代にかけて流行したのですね。

奥村
そうです。この技術を持っている人が大勢いたんですけれど、結局刀がなくなり、技術を発揮するステージがなくなって、どうしようとみんな困ったんですよね。そして女性の帯留がまさに同じ技法で、サイズこそ違いますが活かせたわけです。

刀装具に魅せられた幼少期から武蔵野美術大学へ

泉二
先生は昔から刀装具をコレクションされていると伺いました。小学校の頃から日本刀が好きだったんですよね?

奥村
そうですね。友達3人、悪ガキがいましてね。とにかく刀が好きで近くの刀屋さんに顔を出したり、当時大田区に住んでいたのですが、父の仕事の関係でこの銀座にもちょこちょこ来ていまして、今でも残っている京橋の刀屋さんのところで仲間は刀を買ってもらいました。

泉二
先生は高校入学の時に、ご自身のお祝いとして買われたとのことですが。

奥村
友達はみんな中学祝いの時に買ってもらっていたんですけれど、私はちょっとまだ駄目だと(笑)

泉二
入学記念に刀!すごいですね(笑)

奥村
長い刀で一応拵え(こしらえ)※1がついているものが3万円くらいで買えたんですね。
父が鏨(たがね)※2を使う金属の仕事をしていたので、父のコレクションを探し出すと面白いものがあるので私も小さい頃から勝手に触って遊んでいました。
小学校の頃に刀屋さんでお小遣い貯めて鐔(つば)や目貫を買って、いろいろ分解したりして研究するんですね。それが今に繋がっているんだと思います。
※1 拵え・・・日本刀の外装のこと。「つくり」とも言う。鞘(さや)、柄(つか)、鐔(鍔)等を総称した言葉。
※2 鏨・・・金属を加工する道具。


泉二
そういった幼少期を過ごされて、将来的にも好きなことでやっていきたいという思いがあって武蔵野美術大学に入られたのですね。大学では具体的にはどういったことを学ばれていたんですか。

奥村
当時、武蔵野美術大学ではいわゆるジュエリー、宝飾品のカリキュラムがとても人気でして、有名な教授を頼って皆が学校へ入る時代でした。
私はクラシックな事が学べると期待していたのですが、望むような内容の指導は受けられず、もう独学でやっていましたね。

泉二
ジュエリーと伝統工芸品では、技法としては重なる部分があるかもしれませんが、表現方法が全く違いますよね。
この兵庫鎖の羽織紐をつけて出かけると「ずいぶんとモダンなものをされているのですね」と言われるのですが、実は伝統工芸の技法ですよというお話をすると驚かれます。

奥村
当時のものも、その時点においてはとてもモダンだったと思うんですよ。日本人は美に対する感覚が鋭くて、こういう物を作ってほしいという発想や、それを形にする技術を持つ者がいたということだと思うんですよね。

泉二
先生は武蔵野美術大学を卒業されて、ご自身で創作されながらも「七支刀(しちしとう)」の復元にも携わられたそうですね。

奥村
ある時に、伝説の七支刀をなんとか再現しようと多くの刀鍛冶がチャレンジをしたんですが、なかなかうまくいかないと。
刀は先ほど言ったように、鍛造という叩いて作る技法を用いるのが一般的なんですが、実は鋳造で溶けた鉄を型に流し込んで作ったんじゃないか、という仮説を唱えた方がいらして、じゃあそれを実験してみようと、一つのプロジェクトが出来たんですね。
そうは言ったものの、形にするのに失敗を重ねましてね。うまくいかないで途中で折れてしまう事もあったそうです。ところが最後に二振り(二本)だけうまく形ができたらしいんですね。
完成したら奈良の橿原(かしはら)考古学研究所という所で展覧会をやるのがもう決まっておりまして、これを展示しなきゃならないと。もう日にちが無くて時間が押している中で、たまたま二つできたうちの一つは完成させる人が決まっていたんですが、もう一つの方も完成させたい、誰かいないかと探していた時に、それをたまたま聞きつけた私がそこに加わらせてもらったという流れがあるんですね。

泉二
そういう経緯があったのですね。復元の作業というのは今の創作活動になにか影響を与えましたか。

奥村
日本の金工技術は古墳時代から連綿と繋がっているんですね。
刀装具というのはだいたい室町時代ぐらいが頂点だと言われていますが、平安時代にも太刀や甲冑(かっちゅう)があるわけですし、金工の歴史はもっと古いんじゃないかと、どんどん勉強すると正倉院まで遡るわけです。古い時代の技術が時代の流れの中で様々に変化しながらも今我々に伝わっているんだなと、自ずと影響を受けていると思いますね。

「男を飾る」兵庫鎖の羽織紐


泉二
奥村先生が作られる兵庫鎖は文字通り「いぶし銀」の味のある表情で、鎖を複数重ねたら面白いのでは、という話から、はじめは三連にしてみたり試行錯誤して、最終的に二重のものが完成しました。この兵庫鎖の質感、重厚感がとても着物にフィットするんですよね。色々な所で使わせていただいております。

奥村
今社長がつけているものの色を見てびっくりしました。本当に使いこんだ艶と輝きなんです。経年したような質感に近づけて仕上げてはいるんですが、実際に時間をかけて大事に使い込んだ艶と輝きはやっぱり違うんです。

泉二
重々しい独特な輝きがあり、持っている羽織紐の中で一番使っています。(笑)

奥村
いいですね。やっぱり物というのは使って育ててもらいたい。



泉二
鎖の色は、配合によって変えているんですか?

奥村
そういうものもありますが、これは純銀ですね。
彫金の技術を使っています。銀ロウ付けといって、針金の金属同士をくっつけて輪っかを作り、その輪っかを組み合わせながらこの鎖を組んでいきます。
一か所を溶接して、その輪っかを組み合わせながらやるからフレキシブルに形作ることができます。

泉二
輪っかの一つ一つを溶接するのですか?

奥村
そうです。「はんだ付け」というのはご存知だと思いますが、はんだ付けは低い温度でくっつけるために強度が弱いんですね。銀ロウは高い温度で溶接するので、一度くっついたところは取れません。

泉二
根気のいる作業の積み重ねですね。その手仕事の重みがこの重厚感をもたらしているのかもしれませんね。これからも大事に愛用させていただきます。
最後になりますが、これからチャレンジされたいものはありますか。

奥村
そうですね。これまで日本に伝わってきた素晴らしい技術をなんとか生かして、現代の人たちに喜ばれていくようなものを作っていきたいなと思います。

泉二
男を飾る、格好良い作品をこれからも楽しみにしています。
本当に30分では足りなかったですね!まだまだ伺いたいことがありますが、一旦ここでお話しは終わりということで。本日は朝早くからありがとうございました。

左:奥村公規氏 右:店主 泉二啓太

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奥村公規さんのご紹介

奥村公規氏

一枚の金属板を細やかに打ち出した
美しい立体造形と繊細な陰影。

第42回日本伝統工芸展にて文部大臣賞を受賞するなど受賞実績多数。金工家・奥村公規氏は、幼少の頃より武具に興味があり、15歳の頃には刀の柄(つか)を独学で作って遊んでいたといいます。武蔵野美術大学を卒業後に作家活動を開始し、文化財の修復・復元を通じて技法を確立。「彫金」や「鍛金」の技法により、一枚の金属板を細やかに打ち出して美しい立体造形を完成させる芸術性の高い作品を制作されています。 銀座もとじでは銀や金素材を用いた羽織紐や根付、帯留め等の和装小物をご紹介しています。鈍い光沢と存在感が装いにさりげない重厚さをもたらし、梵字をモチーフにした兵庫鎖の男性羽織紐は定番の人気作品となっています。

奥村公規さんの詳細情報

奥村公規さんが手がけられた別誂えの羽織紐

奥村公規 別誂え 羽織紐 蛾
第51回 伝統工芸日本金工展 入選作品
「オオミズアオ」
蛾の一種で英語では「Luna moth(ルナ・モス)」と呼ばれ月の女神を表す。その可愛さ、美しさからゲームのキャラクターとしても愛されている。
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