左から会長・泉二弘明、中野史朗さん、店主・泉二啓太
「和更紗 中野史朗展」ぎゃらりートークを開催しました
中野史朗さんが語る、“現代の和更紗”への歩み
5月16日(土)、開催中の「和更紗 中野史朗展」にて、ぎゃらりートークを開催いたしました。会場には多くのお客様にお越しいただき、中野史朗さんご本人より、和更紗の制作背景や、ものづくりへの思いについて貴重なお話を伺いました。

冒頭では、2019年に銀座もとじ「ぎゃらりー泉」にて開催された初個展以来、7年ぶりとなる今回の個展開催について触れられました。
初個展後、中野さんは輪島へ移住し、「10年かけて理想のものづくりを追求したい」という思いのもと制作を続けてこられました。しかしその道のりの中で能登半島地震に見舞われ、工房も大きな被害を受けました。延期となっていた展覧会が、こうして開催できたこと自体が「奇跡のよう」と語られ、会場にも特別な空気が流れていました。
中野さんは、もともと建築設計の仕事に携わっていました。しかし、CAD化が進む中で、手で描く感覚との違和感を覚え、「時代が変わってもなくならない世界に身を置きたい」と考えるようになったといいます。そこで惹かれたのが、手仕事の世界でした。
22歳の頃には、富山県井波の欄間彫刻の職人を志し、何度も弟子入りを願い出たものの叶わず。その後も諦めきれず模索を続ける中で、東京都の江戸更紗・江戸小紋の工房募集に応募し、染色の世界へ入ることとなりました。
工房では12年間、ひたすら染め続ける日々を送り、職人としての基礎を徹底的に培われたそうです。
その後、中野さんにとって大きな転機となったのが、伊勢型紙 突彫師・内田勲氏との出会いでした。更紗の型紙について深く知りたいという思いから伊勢へ向かい、偶然のご縁で内田氏と出会います。当時、和更紗の型紙を彫る職人はほとんど残っておらず、「更紗を染めている人がまだいるのか」と驚かれたというエピソードも語られました。
さらに内田氏の紹介で出会ったのが、江戸小紋の名工・藍田正雄氏でした。藍田氏は中野さんの仕事に大きな期待を寄せ、「本物の職人になりたいなら独立しなさい」と何度も背中を押していたといいます。
トークでは、実際の型紙や指示書も披露されました。特に会場を驚かせたのが、22枚型による作品制作。
色ごとに型紙を分解し、それぞれ細かな指示を書き込んでいく工程は、気の遠くなるような作業です。更紗は「摺り込み」で染めるため、一般的な型染とは異なり、“紗張り”ができません。そのため、型紙そのものに高度な知識と経験が必要になるのだそうです。

また、染色に使用する「丸刷毛」についても紹介されました。鹿の胸毛を用い、数年かけて育てながら使う道具であり、細かな線を染めるためには刷毛そのものも“育てる”必要があると語られました。

作品づくりについて、中野さんは「昔の復刻ではなく、“現代の更紗”を作りたい」と語ります。古い更紗の文様を研究しながらも、現代の感性に合う色使いや構成へと再構築していく。その背景には、建築やヨーロッパの壁画・タイル装飾などから受けた影響もあるそうです。
今回、プラチナボーイの生地に染めていただいた作品についても紹介がありました。絹の質感や光沢感に驚いたという中野さんは、「生地の美しさをどう活かすか」を考えながら配色や柄を決めていったと語りました。
輪島の工房が大きな被害を受け、「開催できるのか分からない」状況の中、それでも諦めず、2年越しで実現した今回の個展。藍田正雄氏との思い出とともに店主が涙ながらに語る姿に、中野さんも静かに頷き、会場のお客様もまた、その思いに耳を傾けていました。
和更紗という極めて手間と時間を要する染色技法に向き合いながら、現代に生きる新しい表現を模索し続ける中野史朗さん。その静かな情熱と探究心、そして受け継がれてきた人の思いに、多くのお客様が深く引き込まれるぎゃらりートークとなりました。
ご来店いただきました皆様、誠にありがとうございました。
東京新聞朝刊にて取材内容が掲載されました
2026年5月14日(木)の東京新聞朝刊にて取材いただきました。
名古屋帯
袋帯
紬・綿・自然布
小紋・江戸小紋
訪問着・付下げ・色無地ほか
浴衣・半巾帯
羽織・コート
肌着
小物
履物
書籍
長襦袢
小物
帯
お召
小紋・江戸小紋
紬・綿・自然布
袴
長襦袢
浴衣
羽織・コート
額裏
肌着
履物
紋付
書籍