アイルランド出身の銀座もとじスタッフ、マクノルティ・マークによる記事です。
特に記載がない限り、すべての写真はオリジナルです。
海を越える織り手たち―アイルランドへの旅
Weavers to the Sea - A Journey to Ireland
数ヶ月前、京都・西陣織「織楽浅野」の浅野宏樹さんが銀座へお越しくださり、銀座もとじ店主・泉二啓太、そしてアイルランド出身の私と三人でお話する機会がありました。
浅野さんは近年、男性用の角帯のモチーフとしてケルト文様を研究しており、その複雑に絡み合ったモチーフが、細く連続した角帯の形状にとても合うのではないかと感じていました。
この会話をきっかけに、「いつか本場の地で文様の源流に触れ、アイルランドの芸術や工芸を自分たちの目で見てみたい」という、より大きな構想が生まれました。
この計画を結城紬の老舗問屋「奥順」の奥澤頼之さんに伝えると、スタッフの安藤さんとともに「ぜひ参加したい」と即座に賛同。こうして私たち5人がダブリンに集い、アイルランドへの旅が始まりました。
日本とアイルランドの文化的なつながりは決して多くはありませんが、日本の方々にもなじみのある接点はいくつかあります。
たとえば、世界的なミュージシャンであるボノやエンヤ、日本では「フィッシャーマンセーター」としても知られるお洒落なアランニット、銀座の名店にも並ぶアイリッシュウイスキー、そしてギネスビールは外せない存在でしょう。
歴史を振り返ると、両国を結ぶ人物もいます。19世紀後半に日本に暮らし、西洋における日本文化受容の先駆けとなった作家、ラフカディオ・ハーン。そして、明治期日本の近代化に大きく寄与し、銀座と奄美大島での仕事が今も語り継がれるアイルランド人建築家トーマス・ウォーターズ。こうした人びとの存在が二つの国を繋ぎ文化の交流が図られてきました。
店主の泉二にとっては約20年ぶりのアイルランドへの旅。浅野さん、奥澤さん、安藤さんにとっては、はじめて訪れるアイルランドでした。私自身にとっても、この旅はアイルランドを新たな視点から見つめ直す機会となり、期待は大きくふくらんでいました。
日本でアイルランド文化に直接触れられる機会はそう多くはありません。
その世界に仲間とともに踏み出すことは、きっと忘れがたい「何か」の始まりになる——そんな予感を抱きながらの出発でした。
1日目 – ダブリン
Trinity College, Parliment Square By David Kernan
私たちの旅は、トリニティ・カレッジの正門前、鐘楼の下から始まりました。足を止め、ゆったりと広がる中庭と、それを取り囲む建物の建築様式をしばし眺めます。なかでも私たちが強く心を動かされたのは、この場所がまとっている「時間の深さ」でした。トリニティ・カレッジは1592年創設。周囲の建物の多くも、何世紀もの時を重ねてきたものです。そこからアイルランド国立美術館へと向かい、アイルランドの芸術遺産を物語るコレクションの数々を鑑賞しました。
特に心を奪われたのは、ハリー・クラークによるステンドグラス。宝石のような色彩が光を受けてきらめき、まるで呼吸をしているかのような存在感でした。
また、ジョン・ラヴェリー卿の肖像画も印象的でした。アイルランドの暮らしと国際社会の気配を、優雅さと深いまなざしで描き出しています。静かな展示室を歩きながら、コネマラの農家の素朴な日常から、この国を長く支配してきた英国紳士階級の肖像にいたるまで、アイルランドの視覚文化の豊かさを肌で感じるひとときとなりました。

William John Leech (1881-1968), A Convent Garden, Brittany, c.1913. Photo © National Gallery of Ireland.
そこから国立考古学博物館へ足を運び、アイルランドの深い歴史に触れました。
なかでも圧倒されたのが、かねてより書籍で目にしていたタラ・ブローチです。実物を前にすると、思わず息を呑むほどの存在感。驚くほど小さな作品でありながら、細部に至るまで精妙で、微細な文様のひとつひとつが、まるで顕微鏡で覗き込んだかのような精度で彫り込まれていました。
そのすぐ隣には、初期青銅器時代の黄金の装身具が並び、さらに驚かされます。薄く打ち出された半月形の飾りや、複雑な模様を刻んだ腕輪など、すべてが手仕事によるもの。
三千年以上も前の職人たちが、これほどまでに高度な技術を持ち、丹念に作り上げていたことを思うと、胸が熱くなるような感慨を覚えました。

幅わずか7cmほどの小さな作品でありながら、驚くほど精巧な金線細工や象嵌が施された7世紀アイルランドの名品――タラ・ブローチ。その細工の細やかさには、誰もが思わず目を奪われます。
(写真:Wikipedia)
夕刻、私たちは再びトリニティ・カレッジへ向かい、ケルズの書を見学しました。これは1000年以上前、羊皮紙(ベラム)に天然の顔料で描かれた福音書の写本です。色は今も驚くほど鮮やかに残り、保存状態もきわめて良好。壊れやすいため、展示は1日1ページずつめくられていきます。
その日私たちが目にしたのは、比較的シンプルなページではありましたが、それでも青の鮮烈さや、鉄インクが生み出す深みには強く心を打たれました。
Extraction from The Book of Kells. Picture; Wikipedia
その後、私たちはトリニティ図書館を代表する空間、ロング・ルームへ入りました。
高くのびる樽型ヴォールトの天井、深い色の木材でつくられた書架、そして両脇に並ぶ大理石の胸像――。
この空間には、荘厳さと時の流れが重なり合うような独特の気配が漂っていました。
歴史的な蔵書の多くは、旧図書館の再整備工事に伴い、保存のためごく最近「移設」されたばかりで、棚は驚くほど静かに、そして広々と空いていました。
奥へ進むと、ルーク・ジェラムによる巨大彫刻《Gaia(ガイア)》が展示されており、身廊には直径7メートルの地球のレプリカがゆったりと浮かんでいました。光をまといながら回るその姿は、まるで別世界の入り口のような存在感でした。
さらに、従来の男性作家や哲学者の胸像に加え、新たに女性文学者6名――その一人には劇作家レディ・グレゴリーも含まれています――の胸像が設置されました。
この歴史あるホールに、より包括的で多様な物語が刻まれ始めていることを感じさせる瞬間でした。
2日目 –ニューグレンジ、クロンマクノイズ、ゴールウェイ
Newgrange, Clonmacnoise, and Galway
初日は市内のさまざまな美術館や博物館を巡り、そのまま次の目的地へと向かいました。この日は驚くほどの快晴。アイルランドでは一日中青空が続くのは珍しく、恵まれた一日でした。8月上旬ということもあり日が長く、朝は早くから明るく、夕日は9時を過ぎてようやく沈んでいきます。澄んだ空の下、時間の感覚までもゆったりと広がるような一日のスタートでした。
旅の最初の目的地は、ニューグレンジでした。
約5000年前、新石器時代に築かれた巨大な通路墳墓で、冬至の日の出の光が一直線に通路を抜け、墓室の奥深くまで差し込むことで知られています。
世界最古級の建造物のひとつとされ、現在はユネスコ世界遺産にも登録されています。
太陽と共に生きていた古代の人びとの祈りや知恵が、その場の空気に静かに息づいているようでした。
Left: One of the 97 Kerbstones Right: Entrance to the Tomb
その後、さらに車で2時間ほど走り、クロンマクノイズへ向かいました。
6世紀に聖キアランによって開かれたこの地は、かつてアイルランドにおける学問と信仰の中心地として栄えた場所です。
現在も、円塔や石造りの教会、精緻な彫刻が施されたハイクロス(高十字)が残されており、この島における初期キリスト教の姿を鮮やかに伝えています。
さらに西へと進むにつれ、景色はいっそうドラマチックになっていきました。
この一帯は数百万年前の氷河によって平らになり、わずかな表土だけが残された土地だといいます。木々はほとんど見られず、大きな岩や玉石が地面から突き出すように点在し、曲がりくねった道沿いには石垣が続き、荒々しくも独特の美しさをたたえています。
やがて日が沈むころ、私たちはゴールウェイに到着。
温かな料理と、伝統音楽のセッションを楽しみながら、一日の締めくくりを過ごしました。
3日目 –イニス・メイン、アラン諸島
Inis Meáin, the Aran Islands
翌朝、私たちはフェリーに乗り、約1時間半の航路で2つの島を経由しました。最初の寄港地はイニス・メイン、次がイニス・オイル。イニス・メインで下船した乗客はほんの数名ほどで、島に足を踏み入れると、一日中ほとんど自分たちだけで島を歩いているような静けさに包まれました。
小さな港から緩やかに傾斜する島を見上げると、何千キロにも及ぶという石垣が縦横に走り、独特の景観をつくり出しています。何世紀にもわたり、この島の人々は自然環境に巧みに適応してきました。岩を砕いてつくった石垣は、畑の境界であると同時に防風壁でもあり、海岸から運んだ砂や海藻を重ねることで、わずかな土壌を少しずつ育んできたのです。
こうした長い時間の積み重ねによって、この厳しい土地にもジャガイモやニンジン、タマネギが根づき、羊や牛などの家畜を育てることができました。燃料となる泥炭や木が乏しかったため、島民は昔から本土との間で農産物を交易して暮らしてきたといいます。
現在のイニス・メインは、パブが1軒、商店が1軒、教会がひとつだけという、静かで温かいつながりが残る小さなコミュニティです。
最初に訪れたのは、イニス・メイン・ニット工場でした。
島で最大の雇用先であり、アイルランドのニットウェアの長い伝統を今に伝える場所です。
現在、純粋な手編みの職人はごくわずかとなり、多くのセーターは機械で編み立てたのち、仕上げを手作業で整えています。アイルランド産のウールは風土ゆえにやや粗さがあるため、より柔らかく、贅沢な着心地を求める製品には輸入糸が用いられることも少なくありません。
伝統的なアラン模様と、現代的なスタイルを組み合わせたデザインのセーターは、ここから世界中へと送り出されています。

左:イニス・メイン・ニット工場のロゴ
右:ナズリトゥムに覆われた岩棚。その向こうには、この土地特有の石垣の風景が広がっています。
次に訪れたのは、劇作家ジョン・ミリントン・シングがかつて逗留していた、伝統的な小さな石造りの家「ティーチ・シング」。
かつては茅葺き屋根だったという白壁の家はていねいに復元されており、暖炉のそばには手づくりの籐かごが置かれ、木の留め具には、伝統的な赤いスカートとクロワ(手織りのウールでつくられ、帯のように腰に巻く布)が掛けられていました。キャビネットには陶器が並び、ある水差しには芸者のような人物が、別の皿にはおなじみの「柳」模様が描かれていて、ジャポニスムの影響が、こんな遠い土地にまで届いていたことを改めて感じさせてくれました。

左 - 柳模様のサービングディッシュが付いた同様のサイドボード。
Photo from courtesey of National Museum of Ireland
右 - ティーチ・シングの白塗りの壁
道を挟んだ向かいには、1939年に建てられた Séipéal Mhuire Gan Smál(セイペール・ムイール・ガン・スモール/無原罪の聖母教会)が佇んでいました。低くひらけた土地の上に、その石造りの壁だけがすっと立ち上がり、ひときわ存在感を放っています。
内部の身廊には、ハリー・クラーク・スタジオによるステンドグラスがはめ込まれ、光を受けて輝いていました。東側の窓には聖母子像が、側面の窓にはさまざまな聖人たちの姿が描かれています。十字架の道行きの説明に至るまでアイルランド語で刻まれており、この小さな島がいかに強い文化的アイデンティティを守り続けてきたかを静かに物語っていました。

左と右: セイパール・ムイレ・ガン・スマールとハリー・クラークの窓
その後、私たちは紀元前1千年紀頃に築かれたという、大きな楕円形の石造りの砦 Dún Chonchúir(ドゥン・チョンクーイル)へ向かいました。幾千年もの歳月を経てもなおそびえ立つ分厚い石積みの壁は、この小さな島で営まれてきた人の暮らしの「続いてきた時間」を、静かに物語っているようでした。
最後に、大西洋の波が岩に打ち寄せる崖沿いの道をハイキングしました。日が傾き始めたころ、地元の方に港まで車で送り届けてもらい、再びフェリーで本土へ。海を渡り、コネマラの曲がりくねった道を抜けてドニゴールへ向かう道中、山並みの向こうにはベンブルベンの頂に最後の光が差し込み、再び始まる小さな船旅に、穏やかな余韻を添えてくれました。
4日目 – ドニゴール、アーダラ・ツイード、ジャイアンツ・コーズウェイ
Donegal, Ardara Tweed, and the Giant’s Causeway
私たちの旅は、町の中心が「ダイヤモンド」と呼ばれる小さな町、ドニゴールへと続きました。そこからさらに北へ向かい、アイルランド・ツイードの産地として知られる町アーダラへ。
ここで、最も著名なツイードメーカーのひとつである Molloy & Sons(モロイ&サンズ) を訪ねました。工房では、キーラン・モロイ氏が案内役を務めてくださり、この地域に息づくツイード織りの長い歴史から、現代のファッションシーンにおけるツイードの位置づけに至るまで、丁寧にお話を聞かせてくださいました。
左:モロイツイードの歴史に関する文章とニューヨークのオフィスの写真。右:糸のサンプル
ここではまず、ツイードならではの個性を形づくる要素について教えていただきました。たとえば、ヘリンボーンや平織りといった伝統的な組織の違い、そして無地の糸に表情と奥行きを与える「ネップ」(色糸の粒)の効果などです。
ニットウェアと同様に、アイルランド産のウールは、その風合いゆえに高級スーツ地としてはやや粗く感じられることも多いため、モロイ&サンズ社ではヨーロッパ各地から取り寄せた上質なウールも積極的に用いています。そうして、土地の歴史を受け継ぎながらも、国際水準のクオリティを備えたテキスタイルを生み出しているのです。
アーダラを後にし、私たちはさらに北へ向かい、ベルファストを目指しました。ちょうど国境を越えたあたりでタイヤがパンクしてしまい、旅は一時中断に。修理業者の到着を、草の茂る土手に腰を下ろして待つことになりましたが、その目の前には、ビネベナ特別自然美観地域の雄大な景色が広がっていました。切り立った断崖と、どこまでも続く大地のパノラマを、思いがけずゆっくりと堪能する時間となりました。
この日の最後の目的地は、世界的に知られる「ジャイアンツ・コーズウェイ」。およそ5000万〜6000万年前の火山活動によって形成されたとされ、約4万本もの玄武岩の柱が折り重なるように連なるユネスコ世界遺産です。
印象的な六角形の柱は、数えきれないほどの伝説を生み、その中でも有名なのが「巨人フィン・マックールが、スコットランドへ渡るために海の上に築いた道だ」という物語。
この不思議な造形の中に立っていると、アイルランドの人々の文化的想像力の中で、地質学的な現象と神話の物語がいかに自然に絡み合ってきたのかが、肌で感じられるようでした。

左:ジャイアンツ・コーズウェイ。右:ヒースの花が咲き誇る。小さな花がアイルランドの丘陵地帯に紫がかった霞を広げている。
5日目 – ダブリン
私たちは、こうした風景や旅のなかで目にした数々のものが、自分たちのものづくりにどのように結びついていくのか、少しずつ思いを巡らせるようになりました。
たとえば、ドニゴール・ツイードに見られるネップ糸の不規則な表情は、結城紬の世界にどのように取り入れられるだろうか。イニス・メアイン島で目にした苔やヒースの繊細なグリーンは、西陣の織りの中でどのように再解釈できるだろうか。
そんな問いを胸に、風景と布のあいだに、新たな線を引き始めていました。
銀座もとじでは、近い将来、この旅の中で生まれた問いかけをかたちにした新作を発表していく予定です。西陣織の「織楽浅野」による帯と、結城紬の産地問屋「奥順」による着物。いずれも、アイルランドで見て、触れて、心に残った風景や色を手がかりに、日本の織物へと遡る軌跡をたどった作品です。アイルランドで出会った世界を新たな着物へと昇華させ、二つの土地の記憶をそっと内包した一枚としてお届けできることを、私たち自身も楽しみにしています。
「織楽浅野」について
1980年、「織を楽しむ」をコンセプトに誕生した西陣織ブランド〈織楽浅野〉。
前身である「浅野織屋」から数えて、2024年に創業100周年を迎えました。
洗練されたデザインと、装いに取り入れやすい優れた使い心地で、織楽浅野の帯は長く愛され続けています。
社内でも「(コーディネートに)困ったときの織楽浅野さん」という言葉が生まれるほど、スタッフの愛用率も高いブランドです。一本の帯が装いの表情をさりげなく、しかし確かに変えてくれます。紬には洗練を、やわらかな着物にはモダンな空気を、そして古典柄の着物にはどこか懐かしい趣を。現代の街並みにも自然になじみながら、着物の魅力を引き立てる——織楽浅野の帯には、そんな唯一無二の力が宿っています。

「奥順」について
1907年、茨城県結城市で創業した〈奥順株式会社〉は、ユネスコ無形文化遺産にも登録された絹織物・結城紬を牽引するリーディングカンパニーです。伝統的な技法を守り、手紡ぎの真綿糸を伝統的な織機で製織する、すべての工程を自社で一貫管理しています。
本場結城紬の技と精神を守り続けながら、近年では伝統と革新を融合させた新たなものづくりにも挑戦。より手に取りやすい価格帯の製品開発にも力を注いでいます。
また「つむぎの館」の運営をはじめとして文化発信にも積極的に取り組み、結城紬という日本を代表する伝統工芸を、未来の世代へと受け継ぐ活動を続けています。

名古屋帯
袋帯
紬・綿・自然布
小紋・江戸小紋
訪問着・付下げ・色無地ほか
浴衣・半巾帯
羽織・コート
肌着
小物
履物
書籍
長襦袢
小物
帯
お召
小紋・江戸小紋
紬・綿・自然布
袴
長襦袢
浴衣
羽織・コート
額裏
肌着
履物
紋付
書籍