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「銀座生まれの大島紬」の“織り上げ式”を行いました。

2017年8月12日は、銀座もとじにとって新しい歴史を刻む記念の日となりました。 初めて銀座の地で織り上げられた「銀座生まれの大島紬」についに鋏が入れられ、機織の糸を断ち切って反物の完成を祝う“織り上げ式”が行われました。 ご縁を賜った阿部様、織り手の清田、店主・泉二の3人の手によって鋏が入り、機から反物を下ろす。想いが一つになった瞬間でした。 夢のプロジェクト「銀座生まれの大島紬」

夢のプロジェクト「銀座生まれの大島紬」

「鋏を入れ終え、嬉しそうな阿部様の笑顔を見た時、ご縁を頂いた日から今日までのことを思い出して、なんとも言えない達成感に包まれたような夢心地でした。嬉しくて、本当に嬉しくて」 そう語るのは4月から銀座もとじの社員として働く清田。横浜出身の彼女は奄美で5年間修業した後、縁あって銀座もとじに入社しました。 奄美大島で使われている織機を銀座に運び、織り手・清田を奄美から招き入れて始まった、夢のプロジェクト「銀座生まれの大島紬」。 世界に誇る精緻な絣織りの文化と技術を絶やしたくない一心で2012年に大島紬専門店「銀座もとじ大島紬」を開店させた当初より、店主・泉二は、いつか銀座に機を置き、一本の糸から大島紬が出来上がっていくその感動的な工程をご覧いただきたいと願ってきました。 「銀座生まれの大島紬」の第1作は、伝統の白龍郷柄。奄美大島に自生する蘇鉄の葉とハブの背模様を図案化した古典柄で、大きめの柄行きが華やぎを感じさせるデザインです。 機にかかったこの布に阿部様が目を留めてくださったのは、夏の日陽射しを感じる6月半ば、全長13メートルのうち半分ほどを織り進んだ頃でした。品良く女性らしさが漂う白龍郷の柄の雰囲気をお気に召していただき、何より「銀座生まれの大島紬」という、夢の詰まった反物を身に纏うことに心惹かれたと仰います。 ご自宅に戻られてご主人様に相談したところ、「またとない機会だね、これほどの思い出になることはないよ」と強く背中を押してくださったそうです。当然ながら機にかかっているのは一反のみ。他の方から声がかかっていたらどうしようと、逸る気持ちで弊店にお電話をくださいました。 これは内輪のお話にはなるのですが、阿部様からのお電話をいただいた直後、銀座もとじ全店に、歓喜の一報が轟きました。 「銀座生まれの大島紬、ご縁をいただきました!」 スタッフ皆が仕事の手をとめ、笑顔、歓声、拍手、思わず万歳をする者も。もちろん、誰よりも喜びの大きかったのは織り手・清田です。いつかお召しいただく「誰かのために」織り進めていた大島紬は、この日を境に「阿部様の顔を思い浮かべて」心を込める大島紬に変わりました。 笑顔の織り上げ式、涙のお見送り

笑顔の織り上げ式、涙のお見送り

織り終わり、通常は織り手が行う機から反物を切り離す“織り上げ式”を阿部様に行っていただくことになり出来上がりのご連絡をすると、その翌日にご夫妻でお越し下さることとなりました。 朝いちばんにご来店くださり、機にかかった反物を前にされた阿部様からは「本当に切っていいの…?」そんな緊張とワクワクが伝わってくるようでした。嬉しそうに照れながら反物を眺める奥様、その一瞬一瞬を逃さないようにとカメラを向けるご主人様、幸せに満ち溢れている瞬間でした。 完成した反物はこれから奄美へ里帰りし、検査を終えて銀座に戻ってからお仕立てとなります。奥様からは「早く着たい」と期待いっぱいの言葉を頂き、仕上がりが待ち遠しい思いです。 ご主人様からは「作り手とお客様が顔を合わせて繋がるなんて、今まであり得なかった」と嬉しいお言葉を頂きました。銀座もとじが目指した夢が一つ叶った瞬間でした。 阿部様ご夫妻がお帰りになる後ろ姿を見送りながら、「ありがとうございます、ありがとうございます」何度も何度も頭を下げながら、清田は溢れる涙をこらえることが出来ません。奄美から送りだしてくれた親方や、締機、染めの仲間の喜ぶ顔も浮かんできました。 織り上げ式を終え、織り手・清田は振り返ります。 「奄美では、お客様の顔が見えない中で織りをしていました。大島紬は分業制なので、自分は織り手として一つの工程を担当している感覚、極端に言えば“歯車の一つ”という考えでいたかもしれません。でも今、こうしてお客様と直接お会いして、お客様の笑顔を思い浮かべて機に向かうということを経験して、初めて『作り手』になれたように思います」 お客様には作り手の存在をより近くに感じていただき、作り手もお客様を思いながら一枚の布に心を込める。銀座もとじが一貫して目指している「顔が見えるもの作り」は、一枚の着物がもたらす幸福をより広く、深くしてくれるのでしょう。
(左から:織り子・清田、二代目・啓太、店主・泉二、阿部様ご夫妻)
(左から:織り子・清田、二代目・啓太、店主・泉二、阿部様ご夫妻)

「感無量、その言葉に尽きる」

銀座もとじ大島紬店をオープンしたのがちょうど5年前の2012年。 大島紬の産地、奄美大島は店主の泉二の出身地でもあります。そして、泉二を着物の世界へと誘ったのも父の形見の大島紬でした。 故郷へ帰るたびに、また一人、また一人と作り手がいなくなっていく話を耳にします。2010年には豪雨により、奄美は壊滅的な被害を受けました。役場前の道路は水没、泥田は土砂で埋まり、水漏れにより機も使えなくなり…。大島紬の生産を辞めてしまう人もいたほどです。そんな状況の中で、後継者不足にも悩んでいたこともあり、「このままでは大島紬が途絶えてしまう。もし無くなってしまったら、再興するまでには莫大な時間と費用がかかる…。こんな素晴らしい織物がなくなってしまうのを何とかしたい。そう強く思った。(泉二)」強い不安を抱きながらも、故郷へ恩返しするにはどうしたらいいか、自分に出来ることは何か、悩みに悩んだ末、「銀座の地から、銀座の路面店から奄美を、そして大島紬を発信していける場所をつくりたい」そんな想いからオープンしたのが、ここ、銀座もとじ大島紬店でした。 それから5年の月日が流れ、店舗内には機があり、日々織り手の清田が機を織っている。そしてお客様にご縁を頂けている。 出来上がった「銀座生まれの大島紬」に鋏を入れた瞬間は泉二にとっても忘れられない日となりました。「38年かけてようやくここまで来た。まさに感無量、その言葉に尽きる(泉二)」。 はじまったばかりの「銀座生まれの大島紬」。第1作は白龍郷でしたが、第2作、第3作品はどんな柄が機にかかるかお楽しみに。大島紬の機織りをご覧になりに、そして織り手・清田に会いに、ぜひお店にいらしてください。

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