染織作家・鈴木節「海からの贈りもの」|和織物語

染織作家・鈴木節「海からの贈りもの」|和織物語

海から生まれてくる微量の宝石を
一つ一つ丹念に取り出してコツコツと染める……
様々な困難を乗り越えて取り出された染液はごくわずか……
その貴重な染料で染められた糸は、なんとも言えない上品な色を作り出す
「貝紫」
この言葉の響きに魅了される人はどれほど居るだろうか
永遠の憧れ……
それに取り付かれた1人の作家が鈴木節さん

伊勢神宮の目と鼻の先に工房を構え、伊勢、志摩の海の贈りものを作品に仕上げる。アカニシ貝だけで染め出し織り出された無地は上品で神々しい……
見るだけで心が豊かになり、言葉で表現しつくせない至極の世界を見せる。染めるだけで何年と言う歳月が流れたことであろう……
日光に当たっても決して色褪せない鈴木節さんの「貝紫」。その素晴らしい藤色の世界を是非ご覧ください。

鈴木 節さんって?

子供の頃から絵が好きでそれが高じて女子美術短期大学へ進学、卒業。その後日本橋の服地問屋に就職して色出しの仕事を担当していました。 ある日、宗廣力三(むなひろリきぞう)先生のツイード風の着物に出会い、そのデザインの斬新さ新鮮さに猛烈に憧れて着物と織りの世界に身を投じました。女子美で一通りの織り方は習っていたので織る事は出来るものの、それだけでは飽き足らず、「深く知識を得たい」という衝動に突き上げられ、矢も盾も堪らず、すぐに弟子入り先をさがしました。

そこで出会ったのが、長野県飯田の広瀬守良(ひろせもりよし)先生でした。しかし、修業することの了解は取れたものの生活費の目処が立ちません。慌てて実家に出かけ「お母さん生活費が足りないから援助して! 」と頼んだ所、「何を甘えているの! これ以上は一銭たりとも絶対に援助できません!! 」とぴしゃりと断られました。「考えていても仕方がない! やるしかない! 」と、すぐに就職先を探し文化出版局ミセスで写植(しゃしょく)の仕事を1年間続けました。無駄遣いは一切せず生活費を貯め、念願の修業生活を1年後に始めたのです。

が、修業と言っても手取り足取り教えてくれるわけではありません。作業場で行われる日々の仕事を見て盗むことが勉強でした。作業を手伝いながらそのやり方をノートにまとめ、周りの人に色々聞きながら理解を深める。慣れてくると作業場に落ちていた糸くずを拾ってはノートに貼り付け、「何で染めたもの」「植物染料の調合はこんな感じ」と周りに聞きながら覚えていきました。

その後、結婚を機に東京から伊勢に移り、宗廣先生にお会いすることができ、先生から「100反は無心で織りなさい。」と言うアドバイスを貰いました。これをいつも心に留めて織り続け、気が付くと既4400は下らないほど織り上げていました。

貝紫の無地はアカニシ貝がなんと……トン!

貝紫の紫は、日本では一般的に2種類の貝が使われています。
鈴木さんはアカニシ貝のパープル腺を取り出すことから始めます。伊勢湾の漁師さんに頼んで5月~7月にアカニシ貝がかかるとそれをすべて買い取ります。その日のうちに自宅の庭で、軍手をはめ、ブロックをまな板代わりにして金槌片手に貝を割って身を取り出します。その取り出した身を台所で水洗いし、今度はかみそりでパープル腺を取り出します。ひとつの貝から採れるパープル腺は、赤ちゃんの鼻水程度。ほんの少ししか採れない染料を大切に小皿に取り、またひとつまたひとつと貝の身をかみそりでそいでいきます。貝が大きいからといってパープル腺が多いとは限りません。10キロのアカニシ貝から採れるパープル腺はお刺身の醤油小皿に5分の1程度です。生の貝だけでも充分に生臭い匂いがしますが、このパープル腺はそれ以上に悪臭でちょっと近寄るのをためらいたくなるほどでした。小皿に貯めた後は、すぐにサランラップをかけその上からビニール袋で包み専用の冷凍庫に入れます。

鈴木 節作 『貝紫の無地紬』
こうやって小皿に貯め続けたパープル腺は、一定量になるとビーカーに入れソーダ灰を使い発酵させて、藍を建てる方法で染めます。以前は、直接貝のパープル腺を糸にこすり付けて太陽に当て、紫に染めていましたが、糸自体が液の粘着質で硬くなってしまうこと、不純物が混ざるため茶味掛かった色合いになること、匂いが残るため毎日水洗いを3ヶ月は繰り返さなければならないことなどから、糸にも負担がかかっていました。今の方法を取るようになってからは、出来上がる糸量は少量ですが、匂いのない澄んだ透明感のある藤色の世界が作れるようになったのです。

今回展示される唯一の「無地の貝紫染めの着尺」は、鈴木さんの「夢の結晶」です。使った貝は1トン近くに及び、ご本人も「私には二度と作れない作品です。」と仰っています。

作品つくりでのこだわりと特徴は?

1. 貝紫で染め織ること

ここ数年伊勢のアカニシ貝を集めて染め重ねた糸で織っています。染料自体が少ないので、その中で「濃・中・淡」の色に糸を染め分けることが自分の挑戦です

2. づらし絣

余り多くの色を使わず草木染めの濃淡などで表現しています。草木染めはひとつの植物からその色を頂くという自然に対する思いが入って心が安まります。

3. 斜子(ななこ)織

斜子織は光によって表情が変わること。艶のある地風になることが特色です。糸も通常より少し細くして経糸は70羽1400本でひと織りひと織り心を込めて大切に織り上げています。

今回特に力を入れている作品

『貝紫の無地紬』と『経絣の着物』です。

4年の歳月を掛けて作り上げた貝紫の無地紬は、アカニシ貝の量を考えただけで気が遠くなりそうな二度と作れない着尺です。無地は、経糸・緯糸の両方が共に均等に染め上がった糸をそろえなければ織った時にムラになってしまいます。それだけの貝を集め、パープル腺を採り、染めを考えると、「今後、同じものを作って欲しい」といわれても絶対に「不可能」と答えざるを得ない作品です。

鈴木 節作 『経絣の着物』

藤棚の下を想像させる柔らかな藤色は、太陽の下にいても絶対に色褪せない充分な染めを施しています。経絣の着物は、「藤の花」のイメージで作られています。絣糸を貝紫で染める事に挑戦されました。経糸、緯糸を括って準備することは、無地の糸を作ることと違って別の緊張があります。白地が多いので色が入らないことに苦労したそうです。

いつも大事にしているモットーは

一日の生活の中で、いつでもスケッチブックを持ち歩き、デザインが浮かべばどんな小さなことでも、何処でも思い付いた事を総べて描いておくことです。これがデザインの原型になります。

1. 「銀座の街並みに合う女性を美しくする着物」をつくること

大学生の時まで東京にいたので銀座の街は身近な存在でした。作品を作る時は「銀座の街で着たら」をいつも頭において作っているそうです。その上で、「現代のこの生活様式のなかでいきいきと過ごしている女性が美しく見え、似合う着物」を作りたいと考えています。

2. 「海のイメージ」「山々のイメージ」「木々のイメージ」を織りの世界に表現すること

20年連れ添ったご主人が余命半年と分かった時、沈む心を癒してくれたのは伊勢の山々に見える自然の木々でした。どんな辛いことがあっても病院から帰る道で見上げる自然は大らかに潔く隆々と佇んでいました。それを見て「自然は凄いなあ」とつくづく思い、自分の仕事はこの自然、すなわち、「海からの贈りもの、山の草木、木々の命」にすべて支えられているのだと気づいたそうです。この仕事があったからこそ乗り越えられた人生の試練。それ以後、木々や山々のイメージをデザインすることが増えました。

鈴木節さんからのメッセージ

鈴木節さん 作品
「銀座もとじで展示会をしてみないか」と言う話しを貰って一年。原材料がなかなか手に入らない中でどれほどのものが作れるのか不安でした。1人息子も成人し就職したので、ひとり黙々と染めと織りに没頭してきました。貝紫を染め始めて早10年ですが、5月~7月の限られた期間で、漁師さんの網に偶然引っかかったという条件が重ならないと採れないアカニシ貝を、ひとりで割りパープル腺を取り出すことは、女性の仕事としては体力的になかなか続きません。

正直に言えば「染める作業」はイコール「戦い」でした。そのような状況で、「貝紫で作品を作るのは、あと5年が限界かなと言う思い」が常に頭をよぎっています。 そんな中、少しずつ貯めた糸でやっと作品を作り上げ、銀座という地で展示できる事はとても嬉しいものです。ぜひ多くの人に『伊勢の貝紫の色鮮やかな世界』まさしく『海からの贈りもの』をご覧いただけると嬉しいです。

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