視覚の冒険―森口邦彦の錯視的抽象の友禅| 和織物語

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※こちらの「和織物語」は9月30日までの期間限定コンテンツです。10月1日以降は一部文章を除き非公開となります。

著者:外舘和子(多摩美術大学教授)

 友禅作家・森口邦彦について語ろうとする時、その父・森口こう(1909 – 2008)の存在を引き合いに出すことは自然なことであろう。父子二代にわたり、友禅の重要無形文化財保持者として染織界を牽引してきたという稀有な役割はもとより、「具象」の華弘に対する「抽象」の邦彦、あるいは自然の形象を華やかに謳い上げる華弘と、幾何学形態にクールに徹する邦彦という対比は、両者を端的に説明し易い図式である。
 しかし今回、およそ50年、華弘の側で友禅の仕事をしてきた森口邦彦の作品を改めて振り返ると、そうした図式を越えて、この作家の作品世界の本質や、昭和・平成・令和を歩んできた意義が浮かび上がってくる。
 私はかつて学芸員時代、最初に扱った友禅が森口華弘の着物であり、後に森口邦彦の作品を展示する機会を得たが、2人の作品の違いと、同時に両者に通底するものが、今回、森口邦彦論を記す中で、自ずと明らかになっていくものと思われるのである。

京都に生まれて

 森口邦彦は、1941年、京都市の二条に父華弘、母智恵のもと3人兄妹の次男として生まれた。家業は長男が継ぐものといった保守的な考えはそもそも森口家にはなかったのであろう。兄は建築を学び、設計管理の仕事をしている。華弘は邦彦が生まれる2年前に友禅師・三代中川そんのもとから独立し、蒔糊の技法を研究していた。既に江戸時代の友禅に蒔糊と思われる作例が東京国立博物館の収蔵品に見られるが、これを本格的に復活させ研究し、広く普及させたことは華弘の功績の一つである。さらに1939年には、華弘は業界の悉皆屋の配下を離れ、染色作家として本格的なスタートを切っている。染織産業としての充実故に「作家」という位置を確立することが困難であった京都の染織界で、華弘の姿勢は明らかに歴史を切り拓くものであった。
 「華弘は私の父ではありません。近代友禅の父なのです」(註1)という邦彦の言葉は、父に対する敬意だけでなく、染織史を俯瞰した際の紛れもない事実を含んでいる。邦彦が物心ついた頃には既に、父華弘が今日的な友禅作家としての歩みを始めていたというタイミングも重要であろう。分業製作から個人作家の実材表現の誕生へという過渡期を森口家は体現しているのである。
 少年期の作家は、大らかな父のもとで伸び伸びと育ったようだ。作家によれば「最初の表現手段は写真」である。16歳で父から中古のドイツ製カメラ「ローライコード」を与えられ写真を撮った。それは自身も若き日にガラス乾板写真に熱中した華弘自身の夢を息子に託したいというような父の思いもあったであろう。また同時に森口邦彦の“人間の視覚”に対する最初の興味を育んだことも考えられる。レンズを通してみる世界は、肉眼で見る世界とはまた違った世界が見出せるからである。

前衛の京都で

京都は歴史を代表する日本画家たちが集中する地域である。森口邦彦は思春期を迎えるころには絵画を志すようになり、堂本印象の指導のもと、同志社高校時代には、本格的な絹本に描く日本画も学んでいる。この頃絵画を学んだ東丘社塾生・市川よう(1929 -)の感覚が、森口邦彦の前衛的な抽象表現の要素を育む最初の役割を果たした可能性もある。自らの作品を「可変絵画」と呼んだ市川洋の世界はまさに図形を知的に分析していくような作風であり、市川もまた後の森口同様、1966年に渡仏した作家である。
 折しも1940年代末から60年代の関西では、日本の本格的な前衛のうねりが生じていた。具体美術協会が1954年に発足、その代表的な作家・白髪一雄(1924 – 2008)は呉服屋の出身である。さらに1963年には京都で染色集団「無限大」が誕生し、位相学的な抽象の世界を探究するようになった。「無限大」は、メンバーの証言によると、1963年に他界した型絵染の人間国宝で京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)の教員であった稲垣としろうの遺志を発展的に継ごうとしたものだという。新しいものを求める動き、とりわけ染色の世界に、グラフィックデザインの世界とも交錯する抽象的な表現を模索するムーブメントが沸き起こっていた。それが稲垣のような王道の型染と地続きであることも、いかにも京都らしい。いかに前衛を謳い、過去を否定しようとも、厳然として染色や日本美術の濃厚な歴史が京都に存在していたことも押さえておかねばならないのである。

絵画を目指して ― フランスで学んだオプティカル・アート

絵画を志して京都市立美大の日本画科に進んだ森口邦彦は、上村しょうこう、榊原ほう、秋野そんら錚々たる画家たちに学んでいる。森口は当時、美大の中でもアメリカのポップ・アートの流行を感じながら、それに馴染めずにいたが、京都市美術館でフランス美術の展覧会を見てコローらの絵画に惹かれ、渡仏を決意する。美大の授業の傍ら関西日仏学館でフランス語を学び、1963年22歳でパリ国立高等装飾美術学校に入学した。同校は基礎教育が充実しており、森口は石膏デッサンのほか50センチ前後の人体の塑造なども行い、それは現在の友禅の仕事で、女性の身体と模様の関係を考える際に生きているという。

1960年代のフランスは、ポップ・アート旋風に対抗するかのようにオップ・アート(オプティカル・アート)が注目されていた。ヴィクトル・ヴァザルリ(1906 – 1997)やブリジット・ライリー(1931 -)らに代表される錯視効果を利用した抽象芸術である。作家自身、ブリジット・ライリーは好きな画家の一人であるという。森口も学校の課題で黒と白の線と面の構成のみによって、花弁のような形を背景から浮かび上がらせる習作を制作している(右図)。

森口は優秀な成績でパリの学校を卒業後、そのままフランスでグラフィックデザイナーとして活動するつもりでいたが、フランスに残るために保証人を依頼した画家・バルテュス(1908 – 2001)に、日本文化の素晴らしさを説かれ、また父の跡を継ぐことを薦められて、1966年に帰国する。奇しくも渡仏のきっかけとなった絵画はコローのような具象の風景画家であり、帰国を促したのもヨーロッパ具象絵画の正統なる継承者バルテュスであった。具象の美しさに対して素直に美を見出す森口の感性は、父譲りであろう。

森口邦彦作 友禅訪問着 「六ッ割七宝花文」
※第38回日本伝統工芸近畿展 出品作品(平成21年)

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会 期 : 2019年9月20日(金)〜22日(日)
場 所 : 銀座もとじ 和染

ぎゃらりートーク

日 程 :
9月21日(土)【開催終了】
人間国宝・森口邦彦氏と多摩美術大学教授・外舘和子先生をお迎えし、作品やものづくりについてお話を伺います。
9月22日(日)【開催終了】
森口邦彦氏の友禅作品の根底に潜む「響き合う創造」、ものづくりに対する姿勢を伺います。
時 間 : 10:00〜11:00
場 所 : 銀座もとじ 和染
会 費 : 無料
定 員 : 各40名様(要予約・先着順)
電話でのお申し込み : 03-3535-3888

作家在廊

9月20日(金) 15:00〜18:00
9月21日(土) 11:00〜18:00
9月22日(日) 11:00〜15:00

もりぐちくにひこ 年譜

1941年 京都市生まれ
1963年 京都市立美術大学日本画科卒業、フランス政府給費留学生として渡仏
1966年 パリ国立高等装飾美術学校卒業
1967年 父・森口華弘のもとで友禅に従事し始める
1969年 第6回日本染織展にて文化庁長官賞
     第16回日本伝統工芸展にてNHK会長賞
1988年 フランス政府 レジョン・ドヌール芸術文芸 シュヴァリエ章受章
2001年 紫綬褒章受章
2007年 重要無形文化財「友禅」保持者に認定
2009年 「森口華弘・邦彦展-父子人間国宝―」
     (滋賀県立近代美術館・読売新聞東京本社)
2013年 旭日中綬章受賞
2016年「森口邦彦-隠された秩序」展(パリ日本文化会館)

だてかずプロフィール

 1964年東京都生まれ。美術館学芸員を経て現在、多摩美術大学教授、工芸評論家、工芸史家。また英国テート・セント・アイブスを皮切りに、海外巡回展『手仕事のかたち』、米国スミス・カレッジ、独フランクフルト工芸美術館など、国内外の美術館、大学等で展覧会監修、図録執筆、講演を行う。著書に『中村勝馬と東京友禅の系譜』(染織と生活社)など。毎日新聞(奇数月第2土曜朝刊)に「工芸の地平から」連載中。