俵屋十八代・喜多川俵二「千年の時を超えた典雅な織」|和織物語

俵屋十八代・喜多川俵二「千年の時を超えた典雅な織」|和織物語

「気品」があって「優美」。そして「繊細」……「華麗」「優雅」。
どの言葉をもってしてもこの実物を表現するには足りない。それほど素晴らしい織物がある。手にとった人が息を飲み、身に着けた人が必ずと言っていいほど「優雅で高貴な気持ちになる」「色の調和が上品で綺麗」と絶賛する『有職織物(ゆうそくおりもの)』。
この美しい織物は、室町時代から500年余り続く、西陣の唐織の織屋で受け継がれ、江戸時代に『有職織物』を専門に手掛けてきた俵屋・喜多川家によって大切に守られて来ました。
有職織物は古来中国から伝わり平安時代以降、主に皇族や貴族たちが儀式や年中行事で使い、その中で徐々に和様化され、現在では皇室、伊勢神宮というもっとも日本的な歴史を持つ世界で生き続けています。
この美しい織物を多くの人に知って楽しんでもらいたいと、限られた世界とは別の用途の形、すなわち『帯』にして一般の人々の手に届くようにしたのが、俵屋十七代当主であった故・喜多川平朗氏と当十八代俵二氏です。俵二氏は、1988年に俵屋・喜多川家を十八代目として継承し、1999年には父親に次いで『有職織物』で重要無形文化財保持者に認定されました。
その喜多川俵二氏の仕事をご紹介いたします。

「有職織物」とは

宮廷の儀式や日常の服飾に積極的に織物を取り入れていた平安貴族は遣唐使廃止で唐との交流が途絶えると、徐々に色調や文様を自分流に変え「和様化」して行きました。平安中期には女房達が独自の美を競って「唐衣裳(からぎぬもの)襲(かさね)着」を始め、これが十二単になりました。襲ね着を綺麗にするには一領(いちりょう)一領に軽さと柔らかさそして色の調和が求められます。そこで職人達が工夫を凝らした様々な技法を編み出し、これらが有職織物になりました。特に平安時代になって新しく登場した「二陪織物(ふたえおりもの)」はその代表的なもので、地織と文様織を別に作り地文様の上に上文(うわもん)と呼ばれる文様の部分だけを別糸を渡して縫取りのように浮かせて織り出します。襲ね着の一番上に着る装束のために考案された織り方で、表面が艶やかで柔らかい感じになり、殊に華やかで優雅です。有職織物は、「二陪織物(ふたえおりもの)」「綾(あや)」「浮織物(うきおりもの)」「うすもの<(羅(ら)、縠(こく)、紗(しゃ)>」など多岐にわたり、“シンプルな文様の美しさ”と“色の調和美”が魅力の織物です。

「俵屋十八代の仕事」とは

1、皇室関係の礼装を織る

皇室では、身につける人の身位や年齢によって襲ね着の色合わせが違い、季節に合わせて織り方も変わります。俵二氏の最初の大仕事は1990年に行われた現天皇の即位式および大嘗祭(だいじょうさい)で、両陛下の為に新調された全ての装束(しょうぞく)の織物を製織しました。
袋帯「上代織花文」
袋帯「上代織花文」

その後は秋篠宮や現皇太子殿下のご成婚の晴れ着も十八代の仕事でした。2005年の春に竣工した京都迎賓館には、夏用の薄紅色の紗の小袿(こうちぎ)と冬用の青色地の小袿、また晩餐室(ばんさんしつ)の舞台と客席を隔てる縠(こく)で出来た薄い帳(とばり)や畳の縁(へり)の裂地も納めています。

2、20年ごとの伊勢神宮の式年御遷宮(しきねんごせんぐう)の御料織物(ごりょうおりもの)を作る

伊勢の神様には衣食住の全てに亘って人間と同じように生活され、20年毎の御遷宮の度に生活用品もすべて新しくするという習慣があります。俵二氏は1973年、1993年の御遷宮と既に2度の御神宝作りを経験し、3度目になる、次の2013年御遷宮時の御神宝は今年無事に納め終わりました。特に時間がかかり大変難しいのが「御神宝の鞍付属(くらふぞく)の三懸(さんがい)」といわれる3種類の神馬の飾り紐です。機を2台掛けて何百本にも及ぶ同色の経糸と緯糸を捌き、3人の織子さんの手を使い織っていくのです。特に『辻』(紐と紐が交差する部分)の糸処理と織処理は難しく、1本の糸使いの誤りが命取りになります。この織の総指揮を取るのが俵二氏の仕事です。

「喜多川俵二氏が50年を掛けて目指したもの」

1、 「職として生き仕事をする」

俵二氏が高校を卒業した年に長兄が「自分にこの家業は向かない」と家を出たのです。浪人生だった俵二氏は自然と時間のある時に父の仕事を手伝い、いつの間にかこの仕事に面白さを見出してのめり込んで行きました。父は幾度となく「俵二は作家として生きるのか、職としての仕事をするのか」と尋ねましたが、自分では明確な答えは出ずにいました。しかしある注文主が「これは素晴らしい。喜多川に頼んだら安心出来る。希望通りのものが出来る」と言った事で、「職としての道」が決まりました。俵二氏は言います。
「技術を駆使して頼まれた通りのものを作り、そして満足して貰えることが心から嬉しいです。着るものは着る人を引き立てるように作るものであって、自分の技を見せようとすると間違いが起こります。『用』に合わせて物を作ることが大切です。」と。

2、ひとつひとつの色を大切に

名古屋帯 手前:唐織牡丹/奥:軟錦筥形(ぜんきんはこがた)
名古屋帯 手前:唐織牡丹/奥:軟錦筥形(ぜんきんはこがた)
有職織物で一番大切なのは襲(かさ)ねる『色』です。この使い方一つで品格が生まれ、また無くなります。この道に入った時、父から家にあった数多くの古い糸を渡され「これを見て植物染料本来の色彩を勉強しなさい。そして同じ色をこれから主流となる化学染料で出しなさい」と言われました。10年間来る日も来る日も自然が作り出した色、歳月の経過で退色した糸を眺め、化学染料を調合し勉強して行きました。

おかげで植物染料と同じ色を自在に作り出すことが出来るようになり、自分の中に『色や色合わせに関する感性』が大きく育って行きました。後年、父から「俵二の作る色が好きや」と言われたことは大きな喜びと自信になりました。俵屋で作る有職織物は、主に皇族方がお召しになるので品格が問われます。その上、襲ねて着るために軽さや柔らかさが要求され、襲ねた時に全体の色や雰囲気が優雅でひとつひとつの文様との色調の調和美が求められます。
目立たずに目立たせること。色は薄くてもひとつひとつに精があり、模様がありながら1色の感覚のものを『品位を持って作る』ことが難しいのです。俵二氏が作り出す作品にはこの色彩感覚が十二分に生かされ、他の人には出せない優雅な色合い、そして気品が保たれています。だからこそ俵二氏の帯は長年にわたって愛用され、求められる物になるのです。

3、色合わせの感性を磨く

「本物を見てその調和を知る。」これが自分の感性を磨く為に大切なことだと俵二氏は言います。
「感性には生まれついたものの他に生活環境が育てたものが大きい。」と言う喜多川家には一年中床の間に幾つかの織物が飾ってあり、父親は毎日飽くことなくそれを眺め俵二氏に言い続けました。「一日中そして何日見ても飽きないもの、目に入った時に煩わしくない物を作りなさい。織も色合わせも眺めていたら欠点が見えてくるから」と。
その父と30年近く一緒に仕事が出来たことが自分の感性や技術を育てるのに役立ったと言います。以後俵二氏も必ず自分が作ったものは床の間に掛けて織り色の調和など総合的に何日も眺め、見飽きることのないものを作るようにしています。『良いものは大切に使い続けてもらえる』これを実践しているのが俵二氏の帯です。

4、 用の美を求める

「技術は作る人が持っていて当たり前のものです。けれど技術だけで織物が出来る訳ではありません。技術は一つの手段であって『用』に役立つかと言うことが大切なのです。注文を聞いてその意向に沿って作る。装束には装束の織り方があり、帯には帯の織り方があります。織物は単純に『織る』ものではなく経糸と緯糸で創り出す、用途に合わせた『技・美・用』の3つが揃って初めて出来上がるものです。」と俵二氏は言います。
左:喜多川俵二氏 右:店主 泉二
左:喜多川俵二氏 右:店主 泉二

『用』を求めるからこそ帯は軽く締めやすく、裏の糸処理にも細心の注意が払われます。そして何より大事なのは、どのような着物に合わせてもその良さを引き立たせ、帯と着物の調和美が出るようにすること。それが着た人が心地よく着こなせることにつながると考え、帯を構成する一つ一つの糸の色を選んでいます。

俵二氏が有職織物に携わって既に半世紀。
皇室の仕事も伊勢神宮の御遷宮の仕事も俵屋・喜多川家が代々使命を持って受け継いできたからこそ途切れることなく続いて来ました。また日本の伝統織物でありながら一般人に着られることはなかった『有職織物』をかたちを変えて創り出し、手の届く物にしたのもこの喜多川家です。有職織物を守り続け、用の美を求め続けた十八代俵二氏。
2008年12月、50年の歳月で培った技術と感性の結晶が銀座もとじ和織に並びます。
「千年の時を超えた典雅な織が奏でる雅な世界」を是非お楽しみください。