俵屋十八代・喜多川俵二の世界|和織物語

俵屋十八代・喜多川俵二の世界|和織物語

今月は、俵屋十八代を1988年に継承し、「有職織物」で人間国宝にも認定された喜多川俵二氏をご紹介します。
古来から受け継がれてきた文様に現代の息吹を吹き込み、身に付ける人が必ずと言っていいほど「典雅」「優美」「気品」そして「繊細」と口にする作品の数々は、着物を生かし、着物の格をあげ、更に着る人をより引き立てるものです。
歳月を掛けて作成された「穀*」
そして俵屋が得意とする「顕紋紗」
その素晴らしい作品を是非ご覧ください。

※「穀」は正式には”禾”の文字が”系”になります。

喜多川俵二氏と有職織物

喜多川俵二氏は1999年に「有職織物」で父の故・平朗氏に続いて親子二代重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を]受けました。有職織物は、古く中国より伝えられた織物が平安時代になって色調や文様が日本人好みに和様化され、平安の公家たちが宮廷の儀式や日常の服飾に用いた日本独特の織物です。種類は、二陪織物、綾、浮織物、うすもの(羅・・紗)など多岐にわたります。
平安貴族の服飾の特徴として十二単衣に代表される襲ね着があり、その中から生まれた色の調和は
『高貴な雅の美』を生み出しました。
有職織物は、「シンプルな文様の美しさ」もさることながら「色の美しさ」が魅力の織物です。

「俵屋」とは

喜多川家は俵屋を屋号とし、応仁の乱後、500年も代々織物を作り、唐織を専門とし江戸末期には有職織物も手がけるようになった西陣の由緒ある機屋です。また「織物の風合いの優美さにかけては随一」と言われて来た家です。
先代の平朗氏は、幼少の頃から先々代の平八氏の仕事を見て育ち、一時は画家を志望して日本画専攻に進学しましたが、その後、家業の俵屋の跡継ぎとなった人でした。
喜多川俵二氏 作品

「歴史への関心、装束への理解」は類を見ず、糸の材質、染料、組織、文様など古代にはどのような意図を持って製作され、どのような目的で用いられたのかを総合的に掴んでみたいと研究を重ねる人で、復元の仕事にも携わり、更にその見識を広げました。
また、画家志望だったこともあり、自身の中から湧き出る「絵画的描写や美術への情熱」は人一倍強く、有職織物を手掛ける人としては右に出る人が居ないとまで言われていました。
その家で育った俵二氏は、高校卒業後、一度は別の道を志しますが、浪人時代に自宅で「父親の手伝いや使い走り」をしているうちに織物に手を染め、のめりこみ、父と同じ道を歩みました。 父、平朗氏は俵二氏の指導に当たって決して結論を押し付けず、「そう思うならそうやっとうみ」と言うだけで思うとおりに試させ、間違いをきちんと見つけさせ、修得させると言う方法で臨みました。
「技術は、制作の手段のひとつとして、身に付けているのが当たり前。物を作れる人間になること。つまり感性が大事だ」ということを若い俵二氏に知らず知らずのうちに教え、それを磨いてくれた人でもありました。
俵二氏は父の元で修行しつつ、有職織物、唐織等の製作技術を実地で学び、1970年に、父から全面的に「伊勢神宮式年遷宮神宝装束」を任され「鞍三懸」を作成、1988年には正倉院の「花樹獅子人物文綾」を復元しました。1988年11月に平朗氏が亡くなると、その後は一手に、平成の天皇即位の礼、秋篠宮殿下の御成婚、皇太子殿下の御束帯など、皇室の儀式用服飾も手がけ、その技量には高い評価を受けました。特に正倉院の「花樹獅子人物文綾」の復元では、文様の拡大写真をルーペで見ながら糸を一本ずつ方眼紙に書き写すという緻密な作業を3年掛かりで完成させ、その技術の確かさを証明しました。

俵屋十八代の求めるもの

1.まず大切にしていることそれは「風合い」です

用途に合わせて物を作る、その際にどれだけ風合いを良くするかを考えます。
帯は重く堅くなっては用途としてよくないので、どれだけ織を工夫しつつ柄を入れ、その上で軽くしなやかに作るかをいつも考えています。

2.「風合い」にはその作品の持つ雰囲気も含まれます

幾つかの色を使いながら色の調和を考えます。色数は、なるべく少なく、紋様はシン プルな方が上品な美を生み出します。色は薄く、しかし存在感と力のある色を出していきます。
俵屋では「紫」一色でも織物によって微妙に色を変え、それぞれの柄の持 つ色のコントラストを考えて作っています。

3.織物は経糸と緯糸が中和しあって出来る

「織物」は風合いの中から色が出てきます。経糸と緯糸の作り出す陰影もひとつの色や味になります。糸の撚りの違いが陰影を作り光沢の違いを作り、絹本来のつやや光 沢は重要な色としての役割を果たします。

4.人の力と織機の力を最大限に活かす

俵屋では織機の力と人間の力を最大限にミックスして一番良いものを作り上げることを目標としています。「昔からの技術」が織機で出せるのなら、そこは織機を使う。ただし、既存の織機をそのまま使うのでは無く、有職織物にとって一番良い織機に開発していくことも俵二氏の仕事です。今では地紋を織機で織り上げ、刺繍文様は人の手で織り込んでいくというミックス仕事でより魅力的な作品を作り続けています。

5.有職織物を一般の人にも浸透させたい

俵屋が有職織物で「帯」を手掛ける様になったのは、「皇室や神宮など特別な所でし か使われなかった日本独特の有職織物を一般の人々にも見て、気に入ってほしい。そして使って欲しい。さらに日本人が作った有職織物の技術を後世に残したい」という気持ちからでした。またそれは俵二氏自身が「自分の仕事の使命」と思っていることです。

制作の支えは

今、俵二氏の制作の支えは父親が亡くなる三か月前につぶやくように言った「あんたと仕事が出来てよかった」の一言です。
有職織物は、古いものを研究し、その良さを復元し、自分自身が技術として修得していく。その中で初めてそのものの良さが分かると言います。それを現代に活かしていくのが俵二氏の仕事です。
「美しさへの心が技を生み、技術で生み出されたものが用に活かされていく。つまり『着心地を求める心』が『柔らかさ』を作り出し、『研究心』が『新しい技を磨いていく』」と俵二氏は言います。

喜多川俵二氏の作品は

我が国で永い時代をかけて生み育てられた優れた伝統の美しさと技を、現代の和装の中に生かして制作された俵二氏の作品は、見ているだけでその高貴さと美しさに心が奪われます。
色と言うものはそれ自体が自己主張するものだと思っていた私達に、俵二氏は作品を通して
「色というものは他の色との調和でその一つ一つの持つ色が魅き立つこと」
「優雅、優美に色を重ねていくためには一つ一つの色に優しく澄んだ色を持ってくる事が大切」
と言う事を教えてくれました。
そして、もっとも私達を感動させたのは、その色使いと作品自体が醸し出す気品です。これは俵二氏の
・技術はあって当たり前、その技術を感性で使っていくのが俵二氏の仕事である
・着物をまとう人を優しく魅力的に魅き立てるものを作っていくのが俵二氏のこだわりである
から生まれてくるものでした。
作り出される作品ひとつひとつが、俵二氏の人となりを見せ、メッセージを持ち、語り掛けてくる…
日本の織物美の原点と称される有職織物の格調高い作品の数々を是非ご覧下さい。