染織作家・鈴木節さん|泉二の一口対談

第21回:染織作家 鈴木 節(すずきせつ)さん

<鈴木 節さん プロフィール>

東京生まれ。女子美術短期大学デザイン科卒。卒業後は日本橋の服地問屋に就職し、色出しの仕事を担当。その後、宗廣力三先生のツイード風の着物に出会い、着物と織りの世界に入る。長野県飯田の広瀬守良先生に師事。その後独立。結婚を機に伊勢に移り、自宅兼工房で草木染の織物作りに専念する。10年前から「貝紫」にのめりこみ、伊勢、志摩の海から摂れるアカニシ貝を使って独自の方法で、染織をしている。

鈴木節さん
鈴木節さん

出会いは15年以上前

泉二:

お久しぶりです。15年前初めて雑誌関係者とお邪魔した時と本当に変わらないですね。

鈴木:

いえいえ、何をおっしゃいます。しっかり歳を取りましたよ。でも泉二さんとお目にかかれて本当に懐かしく嬉しく思います。初めてお目にかかった後、どんどんどんどんお店を大きくされていきましたよね。伊勢にも泉二さんの評判は色々と聞こえてきます。頑張っていらっしゃるんだなあってしみじみ思いました。その泉二さんから『銀座もとじ』で展示会をというお話を頂いて凄くうれしかったです。それから今日まで出来る限り作品を作ってきました。今日は、遠方までお越しいただいてありがとうございます。

泉二:

出会ってから今日までなかなか「展示会を」と言える状況にはならなくて、お待たせしました。やっと当社も自分たちで「売り筋を作っていこう」と言う姿勢を持ち始めたので、そろそろ鈴木さんの作品を扱ってもそれなりの成果を上げられるかな・・・と思いまして。今日は色々と見せていただいて同行したスタッフに覚えてもらって、店に帰ったらスタッフに勉強会をして展示会に臨みたいと思っています。

鈴木:

ありがとうございます。私もこれから、あと2点は作りたいなって思っています。が、材料が自然のものなので手に入る確立が自然に左右されて。何処まで出来るかは分かりませんが、頑張ってみます。

なぜ貝紫に?

泉二:なぜ貝紫にのめりこんだのですか? 鈴木:なぜでしょうねぇ。自分でもはっきりとはわからないのです。 メキシコの貝紫を目にした時にやっぱり感動したのがきっかけでしょうか。あちらでは、結婚する時、男性から女性に「永遠の変わらぬ自分の愛の証」として貝紫で糸を染めプレゼントする。

アカニシ貝で染めた糸
アカニシ貝で染めた糸

女性はそれを使って布を織り、結婚したらその着衣を一生身に付けて行くんですよ。「この貝で染める」ために命を落とす人もいるのにね。今でも変わらずそれが続けられている。そういう神秘的な世界があるからでしょうね。
貝紫は日本では二種類の貝から採れるのですが、私が染めているアカニシ貝のパープル腺から染めるこの貝紫は、一度染めたらどんなに太陽に当てても決して色あせないんですよ。その魅力に取りつかれたというのが正しいかな。

無地の貝紫染め着尺はなんとアカニシ貝が1トン!

泉二:貝紫のこの無地はとっても素晴らしいですね。上品な色でとても雰囲気が良い。『藤棚の下に居るみたい』と、今うちのスタッフが言いましたが、本当に、そんな雰囲気の柔らかさがあって。顔うつりも良いですね。この着尺を作るのにどのくらいのアカニシ貝を使ったのですか?
鈴木節さんと店主もとじ

鈴木:

う~ん。数え切れないですね。4年以上かけて作り上げたものなので、途方もない数のアカニシ貝を使っていたと思います。多分1トンはくだらないでしょうね。それに伊勢ではこのアカニシ貝は5月~7月にしか採れないんですね。それに漁師さんたちが「アカニシ貝を採る」目的で漁に出るわけではなく、あくまで「魚」を採るためなのでたまたま網に引っかかったアカニシ貝を全て買い取らせてくださいってお願いしてるんです。

泉二:

そうですか。という事は都合が全く読めないですね。

鈴木:

そうなんですよ。(笑)。「すべてアカニシ貝のいうとおり」なんて言いたくなるくらいです。朝、漁師さんが海から戻ってきて「アカニシ貝が採れたぞ。どうする? 」って連絡くれるんですね。そしたら何をさておいてもすぐに頂きに上がる。そして家に持って帰ってすぐに解体です。どうしても都合が悪い時は帰りに氷をたくさん買い込んで発泡スチロールの箱も準備して貝を詰めて氷で冷して一応出かけます。でも「貝が死んじゃったらパープル腺が採れない」って思ったらおちおち外出している気にもなれず、必要最低限の用事だけ済ませて飛んで帰ります。

泉二:

私達の商売より忙しいですね。私も年中無休で動いていますが、その程度じゃ匹敵しないですね。

鈴木:

いえいえ、泉二さんには別の意味での気苦労もおありでしょうからね。私は生き物相手なのでやっぱり命からいただくものは大切にしたいと思うんです。で、帰ったら貝の解体開始。

アカニシ貝からパープル腺を採るまで
アカニシ貝からパープル腺を採るまで

泉二:

ブロックをまな板代わりにして金槌で割る?

鈴木:

そうです(笑)。女性のやる仕事ではないですね。肉体労働ですから。ひとつひとつの貝を解体して、中の身を取り出して。もう生臭いなんてものじゃなく、自分自身が生ゴミになったみたいですよ。

泉二:

先ほど見せていただいてもうビックリしました。織りも染もなさるから手の怪我も怖いですよね。

鈴木:

そうですね。でもそんなこと怖がっていたら出来ないので、バンバン解体します。解体が終わったら今度は家の台所に移動して身を水洗いして今度はカミソリで手術みたいにパープル腺を削ぎ取る。

泉二:

本当に医者の手術を見るようでした。すーっとカミソリで削いで「赤ちゃんの鼻汁」程度のパープル腺液を小皿に移す。においもキツイですね。

鈴木:

そうなんですよ。量は少ないのに臭いは強烈。以前は今とやり方が違って、パープル腺を直に糸にこすり付けていたので、こすり付けては天日乾燥そして水洗いなんてしていたので、家中においだらけ。学校から帰ってきた息子に「また母さんやったのかよ! 」て毎回怒られていました。

泉二:

それでも辞めなかったんだから凄いですよね。

鈴木:

そうですね。それだけのめりこんでいたんですよ。今はこうやって小皿に貯めてラップしてビニール掛けて冷凍保存して染められるくらい溜まったらビーカーに移してソーダ灰で発酵させて藍を建てる方法で染めていますから糸に臭いが残ることは無いですね。
それに直接なすり付けるより不純物が無いので澄んだ綺麗な藤色が出ます。ただ染める規模は化学実験のビーカーですから染料の量はたかが知れていますよね。

アカニシ貝で染めた無地染
アカニシ貝で染めた無地染

泉二:

そうやって取り出して貯めたものが今作品になっている。見ているだけで感動しますよ。良い物はきちんと語りかけてきますよね。

鈴木:

そう言っていただけると嬉しいです。多分私はもう二度とこの無地染は出来ないと思っています。違う形で作る人はいるでしょうけれど私には無理ですね。

泉二:

というとこの無地の貝紫は「後にも先にもこれ1点のみ! ! ! 」ですね。

鈴木:

そうです。なので本当に大事にしてくださる人、大切に着て下さる人にお嫁入りさせてもらえたら嬉しいですね。

織との出会いは?

泉二:

鈴木さんの織物との出会いはいつだったのですか?

鈴木:

1965年に入ってからですね。女子美の短大を卒業して服地問屋に勤めていた時に宗廣力三先生のツイード感覚の着物に出合って惚れつくしました。母が着物好きだったので、私も若い頃から着るチャンスはあったのですが、母が選んでくれる着物は自分は好きになれない。自分が選ぶ着物といえば母が「それはお母さんたちの年代が着るものです」と言って絶対に着せてはくれない・・でジレンマに陥っていました。そんなときに宗廣力三先生のツイードのような着物地に出会って「え? こんな世界もあるんだ」って一気に開眼しました。

泉二:

それで作る道に?

鈴木:

そうなんです。女子美で一応染織は習ってきているのでなんとなくは分かるのですが、真髄はわからない。で、すぐにあっちこっちと探して、長野県飯田の広瀬守良先生の所に弟子入りさせてもらいました。

泉二:

で、勉強の日々?

鈴木:

いえ・・・弟子入りの許可は下りたんですけど生活費の目処が立たなくて。母に今まで通り「お金頂戴! 」って言ったら「貴女にいくら使ったと思っているの! もう一銭たりとも出せません! 」ってピシャリと断られました。

泉二:

いつまでも甘えさせない良い親御さんですよね。

鈴木:

はい。そうですね。そう言われて自分で目覚めました。「どうしても弟子入りしたいから1年間生活費を稼ごう」って。で、広瀬先生に「1年後に参りますのでぜひ弟子入りさせてください」ってまたお願いに上がって、1年稼ぎました。文化出版ミセスの写植の仕事をしていました。そして1年後にやっと先生の家の門を叩いたのです。先生には「本当に1年後に来たね。来ないかと思っていたよ」って言われましたから。

泉二:

熱意とやる気の結果ですね。なかなか初志貫徹って行かないものですよ。それに今の子供達だったら選択肢が沢山あるから多分諦めて違う方向に夢を探していましたよ。実は、私も銀座で独立するために1年間わき目もふらず資金稼ぎをしました。目標を定めて「1年は頑張る! そこで資金を絶対に作る」ってね。人間目標があったら何でも出来るし、色々と工夫しますよね。

鈴木:

そうですね。本当に。1年間は無駄遣いなんて全くしなかったですから。ミセスで写植の仕事をして、出来た雑誌を見て着物の勉強をして、お金貯めてって。実は割りと器用なほうで、それまであんまり苦なく、色々なことが出来たんですね。興味がわくとすぐやり、すぐ満足してしまう。そんな風にたいして努力もなく色々と手に入れていたので、諦めも早くて。そんな生活にちゃんとピリオドを打ちたいっていう思いもあったんです。すっと座り続けて根気良く染めて織ってその繰り返しに飽きずにやれることが私には必要なんだって。

泉二:

そうなんですよね! 私がやっている「商い」も一緒です。ずっと同じ事を続ける。「飽きずに商売するから『商い』なんだ」って以前言われてなるほどと思いました。

鈴木:

そうですね。気がついたら子育ても機織しながら・・子供の勉強を見てやるのもご飯の支度も染織の合間。40代で主人を亡くしましたが、私自身、この仕事があったから乗り越えてこられたんだと思います。近頃では就職した息子が電話をくれるんですが「母さん何しとる? 」「機織っとるよ。染めとるよ」って応えると「んじゃ、元気なんやね」って電話を切りますから。

変わらぬ自然を

泉二:

貝紫以外は「山々のイメージ」「木々のイメージ」の作品が目に付きますが。 やはり草木染をしていらっしゃるからですか?

鈴木:

いえ・・・きっかけはプライベートなことなんですね。貝紫以外は草木染ですけれど、だから「木々や山々」をモチーフにというのではないんです。

鈴木節さん

実は40代の時に20年連れ添った主人を亡くしましてね。「余命半年」と告げられた時、「もうもたない」と言われた時、病院からの帰りに車の中から見た伊勢の山々はいつもいつも変わらなかったんですね。沈む心を癒してくれて・・・自然は大らかで潔くて隆々としていて・・私達の日々のことなんて包み込んでしまうんだなって思ってね。『自然って凄いなああ』って気づきました。それ以来モチーフにするようになりました。

泉二:

そうだったんですか。なんか失礼なことを聞いてしまってごめんなさい。

鈴木:

いえいえ。もう10数年も前のことですから。
銀座の街並みに映える作品を

泉二:

鈴木さんの作品は『モダン』ですよね。

鈴木:

あ、そうですか! ありがとうございます。そう言っていただけると凄く嬉しいです。っていうのも伊勢で作ってはおりますが、いつも作品を作る時は「銀座の街で着たらどんな風に写るかな? 」「こんなデザインは活きるかな? 」って考えながら作っているんですよ。自分も大学生まで東京にいたのでやっぱり「現代の生活様式の中でいきいきと活躍している女性が美しく見え、似合う着物を作りたい」って思っているんです。

泉二:

ありがたいです! 私のモットーも「街並みに合い、街並みに活きる着物」「上品で豊かな着物」なんですよ。そういうものをいつも求めているので鈴木さんの思いは私の思いでもあります。嬉しいです。ぜひ、初の当社での展示会を成功させましょうね。

鈴木:

はい。10月8日(日)に伊勢を立って銀座に参ります。お邪魔にならないようにしていますので、翌日の祭日9日の2日間、どうぞよろしくお願いします。

泉二:

こちらこそ、ぜひぜひ宜しくお願いします。 貝紫染めの作品で構成された「海からの贈りもの」展、期待しています。

[対談日:2006/06/30 筆:荒井博子]