大島紬・前田豊成さん&染色 金井一人さん|泉二の一口対談

第27回:大島紬 前田豊成 さん & 染色 金井一人 さん

<前田豊成さん プロフィール>

1956年12月20日奄美大島龍郷町中勝生まれ。生家が大島紬の機屋だったため高校卒業後、京都にて呉服の修行を積みその後地元で家業を継ぐ。現在は分業体制の大島紬製作のプロデューサー的存在として「街並みに合うデザイン」を企画提案し大島紬の再生を目指している。龍郷町議会議員でもある。
前田豊成さん
前田豊成さん

<金井一人さん プロフィール>

1958年7月22日奄美大島龍郷町戸口生まれ。定時制高校に通いながら大島紬の泥染め工房で働く。高校卒業後、一度大阪へ就職に出るが「品質のよい大島紬を作りたい」との想いから2年で地元に戻り、泥染めの修行に入る。1980年に自らの工房を構え、染色一筋に打ち込む。昔ながらの「揉み込み染色法」を守り、泥染め大島紬では120回に及ぶ車輪梅染と4時間以上に及ぶ泥染めを実行し続けている。堅牢度は島一番を誇ると言っても過言ではない。
金井一人さん
金井一人さん

泰明小学校の柳染め課外授業と大島紬の泥

泉二:

お久しぶりです。東京は今、梅雨真っ盛りでまだ暑さは分からないですけれど、故郷の奄美大島はすでに梅雨明けしていて蒸し暑いですね。久しぶりにカッと照りつける真夏の太陽を拝みました。今日はお忙しい中お集り頂きありがとうございます。
とまあ、固く話し始めましたが、お二人とも幼馴染でもありますので普段通りに話していきましょう。

金井一人さん(右)と店主 泉二(左)
金井一人さん(右)と店主 泉二(左)

前田:

泉二さんはいつも本当に忙しいですよね。故郷に帰って来ても、ゆっくり休む間もなく走りまわっているから、身体にも気を付けてくださいね。我々大島紬を作る者たちのためにいつまでも元気でいて欲しいですから。そして私もゆっくり飲みたいですし。

金井:

本当にそうですよ。奄美大島で泉二さんがゆっくり歩いているのを見たことがない、いつも小走りだし(笑)。お互いに歳を重ねましたね。僕も独立して染色工房を持ってからすでに27年経ちました。早いものです。

泉二:

金井さん! そんなに経ちましたか? ! いやいや歳月の経つのは本当に早いですね。自分はいつも37歳から歳とっていないなんて言って走り回っているから、歳月の経つのを忘れてしまいます。でも気が付いたら前田さんには孫が数人いて、次男さんは締機を始めているし、僕も店を持って25年以上が過ぎたし、僕よりちょっと早く独立した金井さんは30年に手が届こうって言う状況だし。お互い頑張ってきたねえ。なんか感慨深いものがあるなあ。

前田:

金井:

(笑)

泉二:

そうそうお二人には泰明小学校の柳染め課外授業の折に、毎年泥を送って頂いて本当にありがとうございます。

金井:

いえいえ、自分の家の泥田から取るので。でも奄美の泥は生き物ですからね。鮮度が命で日持ちしないからあの授業の前は結構神経使いますよ。奄美大島は台風とか嵐とか来やすい場所だから天候に左右されて航空郵便が駄目になったら間に合わないし。

泥田で泥染めをする金井さん
泥田で泥染めをする金井さん

かと言って早く送ると6月で蒸し暑くなってきているから泥が腐る確率が高いし。送った泥を冷蔵庫で保管するにも半端な量じゃないから冷蔵庫のものをすべて出しても入りきらないだろうしね。それにしてもあの授業はもう何年になりますか? 随分続いていますよね。

泉二:

もう10年近く続いていますね。銀座の小学生が、草木染の体験学習をすること自体が珍しい中で、奄美大島でしかとれない大島紬の泥染め用の泥に触れるんですからね。こういうチャンスは貴重です。それもお二人の協力があるからこそです。

金井:

東京に来るとアスファルトが多くてまず泥に触れることがないんだなあって気付きました。大島紬用の泥田の泥は鉄分を含んでちょっと粘土質だから普通の泥と感触がまた違う。銀座の子供達がそれを体験して喜んでくれていると知ってすごく嬉しかったです。僕も泥染めを始めたころは、ただただ泥の感触を感じて無我夢中で染めていましたからね。

柳の挿し木
柳の挿し木

前田:

そういう時代だったよね。僕も大島紬があるのが当たり前であの技術が当たり前だって思っていたけど、こうやって歳月を経て見ると、今では本当に貴重な技術だと思うよ。そうそう、今年の5月には泉二さんが泰明小学校の「2世柳」を挿し木にして大勝小学校に植樹されましたよね。南海日日新聞にも載っていましたけど地元の小学生が喜んでいましたね。

泉二:

はい。柳は水分の多い土地に根付くので奄美の乾燥した灼熱の土にどこまで相性良く育ってくれるか分かりませんが、大勝小学校の全校生徒が集まってくれて一生懸命育ててくれると言うのですごく嬉しく思いました。私は泰明小学校と大勝小学校が姉妹校になってくれたらって願っているんですよ。私の息子が泰明小学校を卒業していて、私は大勝小学校。この懸け橋になれたら嬉しいですね。

大島紬の技術を伝える最後のチャンス

泉二:

さて今年は9月に「大島紬の歴史を辿る」と言う企画で女物の最高位を誇る「龍郷柄」「秋名バラ」、男物の最高位の「西郷柄」を紹介したいと思っているんです。どちらも素晴らしい柄で今では作れる人が少なくなってきているでしょう。だからこそ是非今紹介したいと思っているんです。

前田:

そうですね。精巧な絣合わせの技術と染の技術、一分の狂いもない締機技術が必要ですからね。勿論、織手の熟練した技術も必須ですし。私の所でも緻密な「龍郷柄」を織れる人は今、一人になりましたね。先ほども言いましたが、今まで当たり前と思っていた職人技が本当に貴重になっているんです。

秋名バラ柄
秋名バラ柄

西郷柄
西郷柄

龍郷柄
龍郷柄

だから私も今のうちに出来るだけ残したいと思っています。女物の「龍郷柄」と「秋名バラ」が龍郷の東シナ海側で生まれ、男物の最高位と言われる「西郷柄」が外海に面した太平洋側で生まれた。特に男物は製作工程すべてに最高の技術が必要とされていて「技術的にも品質的にも素晴らしい」から奄美大島と縁の深かった西郷隆盛の名前が付けられた。その事実もあまり知られていないんですよ。どれも本当に素晴らしい技術だと思いますよ。

泉二:

そうですよね。奄美大島自体が観光地化していないから「西郷隆盛」と「奄美大島」の関係もあまり知られていない。「何故、大島紬に西郷柄って言う柄があるの? 」って尋ねられる時もある。だから、今、大島紬の歴史とともに技術も紹介していきたいと思ったんですよ。

前田豊成さん(左)と店主 泉二(右)
前田豊成さん(左)と店主 泉二(右)

「龍郷柄」の図案はハブの背模様と蘇鉄の葉から出来ているし、「秋名バラ」の「バラ」は琉球言葉で「ザル」を意味していて、その図案を元に工夫を重ねて緻密にしてお洒落な柄にした。昔の人は本当にセンスがあったと思います。私は数年前まで「街並みに合う紬」と言う発想で前田さんに色々と無理をお願いして、わりとすっきりした柄行を作ってもらってきました。無地が多くて絣が飛び飛びの柄のものや、逆に原点に返って真綿から引いて作ってもらったり。色々と工夫しましたけれど、でもここ数年は「技術的に素晴らしいものをそのまま残したい」と言う気持も強くなって。そんな時に改めてこれらの柄を見てみたらモダンなんですよね。今の街並みに合うんだって改めて気付きました。

龍郷模様を織っている様子
龍郷模様を織っている様子

前田:

「良いものは歳月を経ても色褪せない。」のでしょうね。 私は機屋として今が大島紬を見直す最後のチャンスかなって思うんです。龍郷柄ひとつにしても蘇鉄とハブの緻密な図案を両方の絣をきちっと合わせて寸分の狂いもなく織ることが出来る人が少なくなっているんですよ。

締機も出来る人は70歳近いでしょう。私の息子が今締機の修行に頑張っていますが、素晴らしいと言われる物を作れるまでにはまだまだ歳月が必要ですし。泥染めだって50歳に近い金井さんがまだ若手ですからね。何処を見ても後継者がいないから、本当に良いものを残すには時間がなくなってきているんですよ。

金井:

そうですね。泥染めひとつでもすぐに出来る訳じゃないですからね。見ていると簡単に出来そうに皆さん思うんでしょうけれど、実際やってみると職人の勘って言うのが必要でね。これは経験を積まないと出てこない。私も高校生から泥染めを初めて「揉み込んで」「揉み込んで」10年近くたってやっと自分の手の感触と目が信じられるようになって独立しましたからね。今回「和織物語」で取り上げてもらった長田宮博さんは僕の先輩だからもっと長いですよ。彼の揉み込み染色と糸洗いで仕上げるあの糸に敵う人は誰もいません。

前田:

そうだよねえ。それだけ素晴らしい技術を持っていても、彼の存在を知っていたのは今まで龍郷近辺の人だけだったでしょう。

金井:

そうそう。本当にそうです。だから今回、泉二さんに取り上げて貰えて本当に嬉しいです。

泉二:

こちらこそ、そう言って貰えて嬉しいですよ。

大島紬の専門店になれたら・・・

泉二:

僕は大島紬に関しては本当に幸せ者だと思うんですよ。勿論、故郷の産業だから発展させたいっていう願いは人一倍強いです。けれどその思いだけでは何も出来ないし、一人では動けない。一人で出来ることは本当に限りがあるんですよ。

大島紬を育て伝える最高のチーム
大島紬を育て伝える最高のチーム

けれど僕には前田さんや金井さんの様な昔ながらのやり方を貫いた腕の良い職人が応援団としてついていてくれる。だからこそ大島紬を専門的に扱いたいと思うんですね。

前田:

泉二さんのそういう想いが今奄美大島にはじわじわと広がっていて、大島紬の作り手達が再び元気を取り戻しているんです。ここ5年くらい泉二さんのお店では年末に泉二さんが厳選した大島紬を20点程度展示してお客様に人気投票をして貰って、年明けにその結果を持って奄美大島に来て結果発表と上位3位の「図案師、締機師、泥染め師、織手」を表彰してくださるじゃないですか。それとアンケートからお客様の声もまとめて一覧表にして来てくださってフィードバックしてくれている。あれは作り手の励みになるし、次への目標になるんですよ。だから今「後継者はいないけど今自分達が頑張って良いものを作るんだ。残すんだ。」って言う人達が増えてね。これは本当に嬉しいです。

金井:

家の工房にも染色の勉強に来る本土の人とかいるんですけど。趣味で終わっちゃうかな。仕事としてするのにはあまりにも体力が必要で、泥まみれ汗まみれの力仕事だから敬遠されちゃうんですよね。でもこの仕事をプロとしてやる人がいるからあの大島紬が出来るんですけれどね。

前田:

そうなんだよね。どの工程でも一人前にするのには歳月がかかるし、辛抱が必要。そして生活も成り立たせなくてはならないし。織手一人を一人前に育てるのにはやっぱり10年近くは掛かるから、向上心を無くさずに、根性持って頑張れる人はなかなか居ない。また頑張る根性はあっても経済的に成り立たなくて続けられない人もいる。 目指そうとする人が少しずつ出て来てくれているから色々な意味で援助して続いてほしいよね。

泉二:

今の若い人たちは我々の生まれ育った時代と比較したら色々な面で恵まれた環境で育つから、どうしても「根性や頑張る」だけではね。それに経済的な問題も出てくるから色々な面で援助が必要だよね。私もいつも何か出来ないかと考えるんだよね。
となると、今回企画した展示会はまさに今しかできないものですね。

前田:

金井:

そうですよ! だから今回の企画に合わせて作り手がみな頑張っていますよ。

泉二:

ありがとうございます。嬉しいです。今回の展示会は、大阪の阪急梅田店にある男のきもの店でも、銀座の男のきもの店・和織店でも行いますから、是非成功させて大島紬をもっともっと広めていきたいと思います。

前田:

金井:

よろしくお願いします。

[対談日:2008/06/19 奄美大島にて 筆:荒井博子]