冬の青空から暖かな陽射しが降りそそぐ2008年12月6日(土)、有職織物の人間国宝 俵屋18代 喜多川俵二氏(昭和11年-)を迎えての「もとじ倶楽部」が、銀座・資生堂ビル8Fで開催されました。
伊勢神宮の式年遷宮の御神宝を調製し、皇室関係の礼装を織ることで知られる俵屋喜多川家。俵屋17代目 故 喜多川平朗氏(明治31年-昭和63年)は昭和35年、有職織物で初めて 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、18代目の俵二氏もまた平成11年に認定されました。俵屋の仕事とはどういうものなのでしょうか。

これらに用いられる技術は本当に特殊で、中にはその御神宝のためだけの技術もある。今、一番難しいのは、職人たちにその技術をいかに記憶させつづけるかということ。 20年に一度しかしない技術はどうしても忘れてしまうんです。それでも伊勢神宮の仕事は20年に一度定期的にやってくるからまだいい。代々務めさせていただいている皇室の装束の仕事はご即位、ご成婚の礼服であるから、定期的にご用があるわけではないし、皇室も私たちと同様に洋服を召すように変わってきているから、昔ほどご用がない。これは時代の移り変わりで仕方がないこと。でも、どんな素晴らしいものでも “用”がなければ職人を育て続けることが出来ない。職人たちも経験を積むことが出来ないのです。だからどのように“用”を増やしていくかが今の私の宿題です。」

経糸が緯糸になったりする複雑な技法。それは織物の常識では考えられないもの。特に『辻』(紐と紐が交差する部分)の糸処理と織処理は難しく、1本の糸使いの誤りが命取りになるそう。会場にご持参くださった三懸を拝見すると、なるほど、糸がどのようにわたっているのかさっぱりわかりません。筒状になっていながら交差するという、本当に複雑なものでした。こういった技術はどうしても、一般の品には活用する場もなく、文化伝承が難しいといいます。「実は今年、平成25年分の御神宝を納め終わったばかりなのですが、もう平成45年分の制作に取り掛かっています。技術がある今のうちにと制作を依頼されたのですが、これから先はどうなることか。 昭和63年、先代(平朗氏)が亡くなった時、私は52歳でしたが、その後、平成天皇のご即位、皇太子殿下のご成婚、伊勢神宮の御神宝と どんどん仕事が来て、大変だったけど自分自身の経験を多く積むことができた。これは本当に運がよかったことです。でも今、同じことはできる環境にない。技術を学ぶ場が少ないのです。」

その美しさは求められてきた。用いられる形は変化したとしても、この美しさや良さをさらに生かしていく形で残していける“用”はないか。技術は使われてこそ残る価値がある。一番大切なのは“用”。織物は“用”のためにあるんです。」

これは先代(平朗氏)が亡くなってから初めて感じたこと。「自分がこれをやったんだ」ということは決して言わない。家の信用で仕事をしているのだから、仕事は家として行い、個人は引っ込める。家の信用を第一に続けたら、少しずつ自分の信用となった。現在は、自分の生き方は間違っていなかったと思っています。」
