
8年越しの想いが実り、ついに実現した築城則子さんの銀座もとじでの初個展。歳月が過ぎていく中で信頼関係が深まり、この度の開催に際しては、銀座もとじのために小売向けとしては初めて「袴」をお披露目してくださいました。美しい縞模様で埋め尽くされ、まさに圧巻といった店内風景の中で、貴重な古裂や染糸の実物を拝見しながら、運命の「縞の古裂」との出会い、復元までの苦労、澄んだ色の秘密など、なかなかお聞きすることのできないお話を伺いました。
「文様」ではなく「色」。京都西陣で定まった方向性
「初心にかえるために、初期の作品を締めてきました」
築城さんは、試行錯誤を繰り返していた頃に織られたという、淡い色あいの紬に小倉織の帯という装いでお見えになりました。 早稲田大学文学部在学中に歌舞伎や能楽に魅せられ、お囃子や演劇空間、非日常の世界に強い憧れを抱いたという築城さん。 思い切った色が散りばめられながらも統一感を保つ能装束の美しさに惹かれ、まず向かった先は京都の西陣。様々な織物を目にする中で、築城さんは自分の興味の対象が文様ではなく「色」であることを自覚します。

強い思いに突き動かされ、小倉の染織研究所へ。染織の基本を学んだ後、思いはさらに「紬」へと広がり、久米島へ移り住みます。教える体制のない中に飛び込み、家庭教師のアルバイトで生活費を稼ぎながら、船で民宿と作業場を往復する修行の日々。分業制をとらず、染めの原料を集めることから、糸染め、織りまでをひとりで行うというスタイルは、久米島時代に身についたものだということです。
「縞の古裂」に魅了され、組織を分析
― 私も、こんな布を織ってみたい!
この瞬間から、築城さんの染織人生は、小倉織の復元、さらに「縞の美」の追求へと大きく舵を切ります。築城さんは古裂を福岡県の工業試験場へ持ち込み、経糸・緯糸の本数や織り構造を調査。

さっそく同じ織り方で織ってみたものの、できあがった生地は堅く素朴すぎて目指す質感には程遠いものでした。古裂は、使い込まれたなめし効果によって、しなやかな質感が生まれていたのです。あの古裂のようななめらかな質感を、織り上がったばかりでも出すにはどうすればいいか。辿りついた答えは、糸を細くし経糸の本数を増やす、ということでした。
2300本の経糸に緯糸を打ち込む

「整経が終われば、8割くらい終わったという気持ちです」
後は粛々と織るだけ、とおっしゃる築城さんですが、2300本の経糸に緯糸を打ち込む作業は大変な労力と緊張を伴うもの。CD一枚分作業したら休憩し、平らかな精神状態に戻すよう気をつけているとのことでした。
毎回染料をつくり、何度も染め重ねて

淡い色から濃い色まで数段階のグラデーションを染め分けるには、数週間から2ヶ月もの時間が必要で、1年以上かかる色もあるとのこと。またその色は、緯糸が覗く隙もないほど経糸が密であるため、余すところなく表面に浮かび上がるというわけです。
「草木は素晴らしいです。外からは見えない美しい色を内包しています」
と築城さんは語ります。帯や袴地の作品となって目前に広がる美しい色の数々が、元来は見えない色なのだと思うと、何とも不思議な気持ちになります。 会場には、展示作品に実際に使用されている艶やかな色糸の束が用意され、みなさんに見て触れていただきました。
微妙な陰影、奥行き、音までを表現したい
築城さんは、月が好きなのだそう。月の満ち欠けを追いかけながら機を織り進めることもあるのだとか。月影の、角度によって変化する微妙な陰影までを表現したいとおっしゃいます。滝ならば、水しぶきだけでなく、その音までが聞こえてくるように。築城さんは作品を通し、見えないものを「色」と「縞」によって目の前に出現してくださっているのだと思いました。
築城さんの作品は、一枚の布として見ても圧倒的な美しさに引き込まれます。ひとつひとつの色に込められた築城さんの思いや願いを解読しながら、縞が奏でる音色をゆっくりと鑑賞する。そんな楽しみ方ができる作品は、他にはそうないのではないでしょうか。