紅型 人間国宝 玉那覇有公さんのぎゃらりートークを開催しました

紅型 人間国宝 玉那覇有公さんのぎゃらりートークを開催しました
玉那覇家の家宝であった紅型両面染め着尺 全7点
2014年4月17日(木)〜20日(日)まで、銀座もとじにて、『人間国宝 玉那覇有公展 至高の紅型両面染めの世界』を開催いたしました。

4月19日(土)、20日(日)の2日間に渡り、沖縄より玉那覇有公さんとご子息の有勝さんをお迎えして、ぎゃらりートークを開催させていただきました。

那覇有公さんのぎゃらりートーク

寸分の狂いも無い、まるで神業

草花や自然風景の意匠が、品良く華やぐ色彩で精緻に染め上げられた涼やかな夏物の絹布や麻布の紅型着物。

玉那覇有公氏によって制作され、家宝として大切に保存され続けてきた「紅型両面染め」の作品が、続々と7点、はるばる沖縄から銀座もとじに届けられた。

八掛けなどは付けず、袖口や裾から翻る、裏側からも覗く色柄も楽しめる夏物として、紅型両面染めは制作されている。

一枚の絹布や麻布の表から裏から、ぴたりと寸分の狂いも無く紋様が染め上げられている。衣桁に掛けられた袖口や裾を手にして、表へ裏へ翻し、思わず目を凝らしてみても、両面から別々に染められたという形跡を微塵も感じさせない、まるで「草花」や「雪輪」や「竹垣」などの意匠表現がそのまま宙に浮かび上がり、そのまま身を包み込むかのような神業の手仕事だ。玉那覇有公氏が、魂をかけて挑んできた、まぎれもない「紅型両面染め」の作品の数々が、今目の前にある。

紅型両面染め着尺「牡丹に竹菱形文様」 第58回 日本伝統工芸展(平成23 年)
紅型両面染め着尺「牡丹に竹菱形文様」
第58回 日本伝統工芸展(平成23 年)

玉那覇家、門外不出の「紅型両面染め」

これは紅型史上、あるいは染織の歴史上でも記念すべきことなのではないかと感慨にふけりながら店内の作品の数々に見入っていた、ぎゃらりートーク会開催当日の朝、目を大きく見開き、太陽のような笑顔を燦々とこちらに向けて「今日はようしゃべらんよ、ガハハハッ」と豪快に笑う玉那覇有公氏の姿があった。
豪快に笑う玉那覇有公氏

現在78歳、18年前に人間国宝に認定されてからもさらに偉業を成し続けてこられた染織の世界の重鎮であられる玉那覇有公氏だが、当日と翌日の2日間にわたって60人を越えるお客様の前でお話をされることは苦手であるとおっしゃり、一緒にいらしているご子息の有勝さんにお話は任せたいという御意向のようだ。

実は、2年前の2012年6月に初めて、銀座もとじにて玉那覇有公氏とごご子息をお迎えして個展催事『人間国宝 琉球紅型 玉那覇有公展』が開催された。その際にも、ぎゃらりートーク会が行われる予定だったが、玉那覇有公氏が人前でお話されることが大変苦手とおっしゃられ、代わりにお話いただくために、ご子息の有勝氏にも、沖縄からお越しいただいていた。

玉那覇有公の作品
2年前同様、今回のぎゃらりートーク会でも、玉那覇有公氏の作品に魅力を感じてお集まりくださった、会場を埋め尽くすお客様の熱意が、一瞬にして玉那覇有公氏の心を変える。ぎゃらりートーク会がはじまれば、一度握ったマイクは離さず、ご来場の方々に精一杯にお話くださる。その明るさとサービス精神に会場全体が魅了されてしまう。玉那覇有公氏は、気取りが無く自然体、少年のように無垢でいながら、男らしく逞しい確かな芯の強さを内に秘め、それでいて周りを気遣う優しさにもあふれている。そんな玉那覇氏が、全身全霊を傾けて挑んできた精緻な“紅型両面染め”。

実はご子息の有勝氏ですら、7点もの紅型両面染めが家宝として大切に保存されていたことを知らなかったと言う。

店主泉二が昨年、再び玉那覇氏の沖縄の工房を訪れた際、思いがけずに聞かれた玉那覇氏からのひとことによって、今回の玉那覇有公展開催の実現が決定したのだった。「泉二さん、両面染め、いいよ。」そんな屈託ないひとことが、何を意味しているのか、一瞬には泉二も理解ができなかったという。玉那覇氏が、家宝として門外不出にしていた紅型両面染めを銀座もとじに託して下さる、というのだ。誰よりも一番驚かれていたのがそばで聞いていた、ご子息の有勝氏であった。

“紅型両面染め”の作品を7点、銀座もとじに迎えて玉那覇有公展が開かれることが決定した後、ふたたび今年の初め2014年1月28日には、工芸評論家・工芸史家の外舘和子さんにもご同行いただき、工房へ取材へ出向いた。“紅型両面染め”とは、その技によって作品を手掛けられるのは、現在世界でたった一人、玉那覇有公氏のみである。その神業のような“紅型両面染め”の技術を玉那覇氏は、果たしてどのように習得したか。義父の城間栄喜氏より、伝授の機会を与えられたのは、たったの1度だったという。その機会より後は、独自に試行錯誤を繰り返し、修練を重ね、我がものにしていった。ご子息の有勝氏もまだ成しえていない。

それゆえに、紅型両面染めの催事の実現は、奇跡のような出来事だ。今回は特別版の「和織物語」を制作することとなり、普段とは判型も変えて図録として冊子のようにして仕上げた。その特別版 和織物語を工芸評論家・工芸史家の外舘和子さんにお書きいただいた。

人生を180度変える、運命的な出来事

玉那覇有公氏は、1936年10月22日沖縄県石垣島生まれ。中学校を卒業してから、石垣島の鉄工所で働き、その後は那覇に出て鉄鋼関係の仕事に就き、必死で働く日々を送っていた。その頃にその後の玉那覇氏の人生を180度変える、運命的な出来事があった。

紅型 城間家14代 城間栄喜氏の一人娘、道子さんとの出会いである。その出会いが、玉那覇有公氏を、紅型の世界に導き、義父である城間栄喜氏のもとでの厳しい修業の日々が始まった。
玉那覇有公の作品

自らの工房を持ち、何人か弟子も抱えていた栄喜氏は、身内には大変厳しく、義理の息子に特別な目を向けることはなかった。忍耐力と集中力を持って、ひたすら努力を積み重ね、自ら技術を身につけものにしていくしか無かったという。それでも義父に認められたい、城間家の名に恥じない仕事をしたい、という思いで必死で仕事をこなし、夜は徹夜で紅型の勉強に明け暮れた日々だった。やがて義父からも認められるようになり、玉那覇氏は、紅型に独自の道を開いていった。

「継承」、息子 有勝へ、若者へ

2年前の玉那覇有公展では、はじめて落款のお許しが出た、ご子息有勝氏。出展された有勝氏の作品も、いずれも素晴らしかった。有勝氏の作品は、城間栄喜氏、玉那覇有公氏と代々つながる伝統の技を確かに習得しつつも、意匠、構図、色彩と独自性を感じさせる魅力ある世界を見せてくれる。

「継承」、息子 有勝へ、若者へ

2004年には父であり師である有公氏のもとから独立した有勝氏は、読谷村に工房を構えている。自然豊かな静かな読谷村の工房を、父である有公氏も大変気に入り、週に1〜2度訪れては、静かにデザインをしているのが好きだと言う。

「父は、厳しさの中にもいつも愛情があり、聞けば何でも教えてくれる」という。その言葉通りに有勝氏の作品は、有公氏の世界観を包括しながらも、独自の構図や色彩を感じさせる豊さがある。二人の作品をならべて見えてくる類似と相違には、父子の愛情が浮かび上がってくるようだ。

優しくあたたかい父であると同時に、尊敬する師があまりに偉大で、「越えられないかもしれないけれど、越えようとする気持ち」で挑み続け、「継承」ということを背負う有勝氏は、想像しえない重圧や責任感も抱えているはずだ。そしてそんな息子がこれから羽ばたいていくための羽を伸びやかにひろげられるようにとの思いも、今回の家宝であった紅型両面染めの作品展示を現実のものにさせたのかもしれない。

現在、有勝さんを中心に、若手の弟子たちをまとめているという。有公氏は言う。「今の若い人は、一生懸命やる」。「今の若い人は…」と始まれば、何かと嘆きの言葉が後に続くのが相場だが、玉那覇氏は違う。人に対する信頼の気持ちやあたたかな眼差しがあるからこそ、玉那覇氏のそばで修行に励む「今の若い人」たちは、その期待に、その愛情に答えたいと一生懸命に力を発揮しようとするのかもしれない。

現在、玉那覇氏の若手に向けるそんな眼差しから、後継者を育てていくこと、これからの世に羽ばたいていけるようにすることへのさらなる強い願いが感じられる。我々銀座もとじもその思いを、ともに使命と感じながら歩んでいきたい。

日々のデッサンは欠かさないという玉那覇氏の見つめる草花や自然風景、海や空、光や風は、紅型というきものに描かれ、あらたな生命を得る。作り手のもとを離れても、人の身に纏われながら旅をする。その旅が、いつまでも続きますように、人々に幸せをもたらしつづけますように、そんな作り手の方々の切なる心が素晴らしい作品の数々とともに、皆様に届くことを願っている。