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「大島紬 秋の新作展 織綺麗〜うりきょらさ〜」にて、奄美大島の歴史・文化について、ぎゃらりートークを開催しました

2012年10月4日(木)〜8日(月)まで、銀座もとじにて、「大島紬 秋の新作展『織綺麗〜うりきょらさ〜』」を開催させていただきました。うりきょらさ」とは、奄美の方言で「織綺麗」を意味します。奄美大島に取材に出向いた際に、現地で聴いた島唄のタイトルがそれでした。
大島紬 秋の新作展 織綺麗〜うりきょらさ〜
大島紬をテーマにした、いつまでも耳に残る美しい響きの唄でした。 今回の催事では、大島紬を育んだ、奄美大島の文化について皆さんにも知って頂きたいと、奄美大島の民族・文化について大変お詳しい、南海日日新聞社 常務取締役編集局長の松井輝美さんをお迎えして、ぎゃらりートークを開催し、奄美大島の歴史・文化についてお話いただきました。

「島へ就職」

松井さんは、九州は熊本県ご出身ですが、社会人になってからずっと奄美大島にお住まいです。現在のお勤め先である南海日日新聞に入社を決められる前には、東京の会社に就職が決まっていました。けれど、小学生のある夏にお父様の転勤の関係で過ごした与論島の島の光景と強烈な海の色が忘れられず、
大島紬 秋の新作展 「織綺麗〜うりきょらさ〜」 ぎゃらりートーク
就職前にふらりとあてもなく、“島を巡る旅”に出られたそうです。やがて特定の「職業に就職する」のではなく「島へ就職」したい、という意思を持ち始められた松井さん、北海道の島々から波照間島まであちらこちらの島を巡り、そして奄美大島に辿りつきます。
大島紬 秋の新作展 「織綺麗〜うりきょらさ〜」
奄美大島の波止場で海を見ながら、さて、しばらくのんびり島をめぐって、塾の講師でもして暮らそうか、などと考えを巡らせていたところ、近くを歩いていたおじいさんに「何をしてるんだ?これからどうするんだ? 」と声をかけられます。
「仕事がないなら、うちで働いてみないか」誘われ、近くの5階建てのビルに出向き、そこで早速入社テストを受けたところ、「明日から来なさい」と入社が決まったのが、現在の勤め先である南海日日新聞社だったそうです。 新聞社の仕事は、取材などを通じて島と深く関わる仕事であり、すぐに島に馴染むことができたそうです。“島に就職”を叶えた松井さんが、深く愛してやまない奄美大島の歴史や文化についてお話を伺いました。

島が歩んだ歴史

現在、奄美大島といえば、「大島紬」が有名ですが、大島紬はそれ単体で生まれたわけではなく、さまざまな地理的要因や島が歩んだ歴史が関係しています。 奄美大島は、鹿児島と沖縄の真ん中に位置し、両方の支配を受けてきた歴史があります。そのはるか昔、7世紀ごろの遺跡からは、大量の夜光貝が出土しています。貝の製造や出荷など貝産物による本土との交易を示す遺跡です。貝は、先史時代から大量にあり、それらをアクセサリーや食器などに加工して本土に出荷し、島々と本土を結ぶルート、“貝の道”が出来ていました。 11世紀から14世紀ごろには、奄美諸島の一つ、徳之島(とくのしま)の伊仙町付近に大規模な窯跡「カムイヤキ窯跡群」が発見されます。出土した陶器の多くは、それまで生産地不明とされていた類須恵器(るいすえき)で、南九州から奄美・沖縄・八重山に至る約1000km以上にも渡って流通していたそうです。 南西諸島で大量に出土されたカムイヤキは、最近になって、徳之島で焼かれていたこと、海賊をまとめる政治力が徳之島にあり、焼き物を中心とした小さな国家があったことが分かってきました。やがて、焼き物を中心として国家を束ねる政治力とその手法は、琉球へとつながり、琉球王国という国家を形成し、中国とも交易を図って栄えて行くことにつながったとする見方も強まっているそうです。
1609年に奄美の島々は薩摩藩の支配下におかれます。黒糖の製糖の技術が普及していた奄美大島では、島民が黒糖作りを命じられ、それらを租税としてすべて薩摩藩に納めるという厳しい義務を課せられるようになりました。奄美の黒糖による本土との取引によって、薩摩藩は財政を潤わせていました。
大島紬 秋の新作展 「織綺麗〜うりきょらさ〜」 ぎゃらりートーク
明治時代に入ると、大島紬の生産が盛んになります。黒糖とともに"献上品"として織られていた大島紬でしたが、商品として取引が開始されて、大きな人気を得るようになります。やがて大島紬は、明治、大正、昭和にかけて島の経済を支える一大産業となり、日本全国に幅広く人気を博していくようになります。 奄美群島の歴史は、古くから貝や焼物など独自の特産物を開発し、海に漕ぎ出して販売していました。琉球、薩摩と約600年にわって支配されながら、黒糖を製糖し、大島紬を生産し、島の外へ出荷する、という常に島で生み出したものを外へ向かって漕ぎ出してきた歴史があり、閉ざされているように見えて開かれ、奄美大島の人々にとって、島の周りを取り囲む海は、「隔て」ではなく「結び」の存在であったのです。

現代においても斬新なデザイン性 「龍郷柄」「秋名バラ柄」

この日、店内にも大島紬の龍郷柄の反物がディスプレイされており、また龍郷柄をお召しのお客様もご来店くださっていました。 「龍郷柄というのは、実は、100年間変わらず同じ柄なのです。例えて言えば、着物の『ルイ・ヴィトン』ですね(笑)。秋名バラ柄も同じく、古くからある柄です。」 「3年前にフランスの見本市に龍郷柄や秋名バラ柄の大島紬を出品したところ、大島紬の柄の中でもっとも人気があったのが「秋名バラ柄」だったそうです。100年以上の昔に生まれた柄でも、フランス人にとって、新鮮で斬新なデザイン性と写り、またそれを生み出す技術の高さが理解されたのだと思います。」と松井さん。

ネリヤカナヤ

沖縄では、「ニライカナイ」といいますが、奄美の方言では、「ネリヤカナヤ」と言われます。海の彼方に楽園があり、人間に豊穣や幸福をもたらす神々がいるという伝承・信仰があり、人であれ、物であれ、神様であれ、何であれ、海から来るもの、外から来るものはみんな大事にしたのです。 たとえば、天然痘という外から来た恐ろしい病でさえも、島の人たちは、「ちゅらさ(綺麗)病」という表現をし、汚れたイメージにはしなかったといいます。人々を苦しめる恐ろしい病に対してもそのような言葉を用いる、というところは常に外来のものを大事に扱う島の特徴から来るものといえます。

「シマ」と「島」と「しま」

奄美大島には、「シマ」と「島」と「しま」があります。それぞれ同じ<しま>でも、異なる意味を持ちます。 カタカナの「シマ」とは・・・集落を意味します。集落とは、奄美大島の村々のような、ある地域を単位としたコミュニティーのことです。
大島紬 秋の新作展 「織綺麗〜うりきょらさ〜」 ぎゃらりートーク
コスモロジー(小宇宙)、個性、気質、ブランド、祭り、方言、唄、ユイ(助けい合い)など奄美の「文化」は「シマ」を核にして醸成されています。 漢字の「島」とは・・・ 間合いを取り合う群島の「島」。奄美諸島を形成する、奄美大島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島といった島々の「島」。奄美大島の特性は、温帯と熱帯の彩りが混在する「亜熱帯」であること。したがって多様性と希少性に富んでおり、「シマ」が文化(人)であるのに対し、「島」は主に「自然」という概念を強く持ちます。 ひらがなの「しま」とは・・・ 東京や関西などで暮らす奄美出身者でつくる郷友会(ごうゆうかい)のことです。郷土愛が非常に強く、シマ単位、島単位、校区単位で会を結成。都会にシマや島を集合させた「しま」をつくっています。 文化、人々を指す「シマ」は、先祖や自然を敬い、常に感謝とユイ(助け合い)、もてなしの心を秘めています。換言すると他者・自分以外の存在(見えるもの、見えないものを問わず)への肌理の配りが代々しっかり受け継がれているのです。 松井さんが強調する、人と人との結びつきを大切にし、周りへの感謝や気配りを忘れない、という奄美大島の人々の心のありようは、人がどんな社会にいきていようと忘れてはならない、何よりも大切なことかもしれません。

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