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小倉淳史さんのぎゃらりートークを開催しました

2017年3月17日から19日まで、銀座もとじにて「小倉淳史展〜括る 染める 絵がく〜」を開催。3月18日(土)には小倉淳史さんをお迎えしてぎゃらりートークを開催いたしました。 桜色、水色、若草色、色とりどりの美しい作品が店内を彩る中、小倉淳史さんは藤色の濃淡を重ねた紋付羽織袴で登場されました。辻が花文様の五つ紋が華やいで、思わず司会のスタッフから「惚れ惚れいたします」という言葉がもれるほど。 今回の個展は2012年、2015年に続く3回目の開催となりますが、初めてご参加の方にもわかりやすく丁寧に、辻が花の歴史や技法、小倉家と小倉淳史さんの創作の継承、個々の作品に込めた思いなどをたっぷりと伺いました。

辻が花は、「染め」と「絵がく」が出会って生まれた

「私自身のことを申し上げる前に、『辻が花』というものについて触れておきたいと思います」 前置きをされて、小倉さんはまず辻が花の歴史からお話をはじめられました。 応仁の乱の後、京都で発祥したといわれる「辻が花」。室町時代にはじまり、安土桃山の絢爛豪華な装飾文化に花開いて最盛期を迎えながら、江戸時代初期、友禅染めの台頭とともに急速に衰退していきました。
訪問着 「桜葵辻が花」 訪問着 「桜葵辻が花」
「幻の染め」の異名をとるほど、その多くがベールに包まれている辻が花を端的に定義するならば(1)絞り染めであること、かつ(2)絵模様であること、であるといいます。墨の描き絵は必須ではなく、絵模様、つまり絞り染めによって具体的なモチーフが表現されているか否かが、「辻が花」と「絞り染め」との大きな違いであるとのこと。 「当時、織りや刺繍で絵模様をあらわす方法はありましたが、染め物で絵画的な表現をしたのは『辻が花』がはじめてなのです」 今回の催事タイトルにもある「染める」と「絵がく」の出会いこそが、やがて友禅へと続く限りない染め表現の原型、母体であると仰います。

友禅と絞り染めを融合させた、父・小倉建亮氏

長い歴史の中で、一度は完全に途絶えてしまった辻が花を現代に蘇らせたのが、小倉淳史さんの父・小倉建亮氏です。 建亮氏は京都に生まれ、明治から昭和にかけて活躍した友禅染師・小倉萬次郎氏に師事。後に萬次郎氏のお嬢様と結婚して養子となり、友禅染めの技法を習得後、その画力を買われて義母の実家である「絞り染めの岡尾家」にも出入りし絞りの原図を手がけるようになります。 「絞り染め屋と友禅染め屋が互いの情報を交換することは、まずありえないことです。しかし父は、身内からの依頼ですので、全力を挙げて取り組みました。友禅染めをしていた者には、絞り染めは全くの未知の世界。これが大変面白かったそうです」 最初に描いた原図は、絞り染め職人にそのまま突き返されてしまいます。友禅染めの要領で描かれたデザインは、そのままでは絞り染めで表現することができないのです。自身の力不足を痛切に感じた建亮氏は毎日のように職人の元へ通い、学び、ついには自身も絞りができるまでになりました。 姻戚の縁により融合し磨かれた、友禅染めと絞り染めの技法。小倉建亮氏というひとりの人間が二つの技法をマスターしたことが、後の辻が花の復興へとつながっていきます。

「思い」を表現するときに「技術」という壁がある

絞って防染した生地 (左)帽子絞り(右)輪出し絞り 絞って防染した生地 (左)帽子絞り(右)輪出し絞り
幼少の頃より、染めの現場で遊び育った小倉淳史さん。高校二年の頃からは、日展の作家であり京都市立芸術大学の講師をされていた寺石正作(しょうさく)先生に弟子入りし絵画を学びます。
その先生の勧めもあり、卒業後は父・建亮氏のもとで修行することを決意。本格的に絞り染めの道へ入ったのは二十歳の頃でした。 「それこそ『ご飯を食べるように』染めをしていました。父の姿勢として、弟子を叱るということはありませんでしたが、材料をぞんざいに扱ったときは叱られましたね」 創作には心と技のどちらも不可欠で、思いの表現の前に「技術」という大きな壁があると仰います。また、小倉さんいわく「絞るのは、あまり難しくない。染めるのは、少し難しい。絵がく、これはとても難しい」とのこと。 「書き絵や絞りの原図の上手下手はわかりやすいですからね。上手といっても、均一に描くのもつまらない。ちょっとしたゆらぎが面白いのです」

プラチナボーイの美しさに「参りました」

話題は、今回の催事でも手がけていただいたプラチナボーイの作品について。 「もとじさんのプラチナボーイの白生地を何種類か染めたのですが、糸の輝きはまさにプラチナボーイという名にふさわしい美しさですね。ただ、一本一本の糸が強靭で、生地の弾力、反発する力が強いので縫って絞っていくのは大変でした」
訪問着 「道長取り辻が花」 訪問着 「道長取り辻が花」
そして、こう続けてくださいました。 「手強い生地でしたが、何よりプラチナボーイの白生地の美しさ、さらに発色の美しさが、他の縮緬素材とは比べられないほどでした。これに参りました」 小倉淳史さんには、プラチナボーイの白生地を用いて訪問着、付下げ、名古屋帯、さらに男性用の羽織、角帯、額裏を制作いただきました。どの作品も、生地の艶やかさに香り立つような色彩が重なり目を奪われます。 「先生の作品はいつも、色彩が感情に訴えかけてくるんです」 スタッフの感想に、小倉さんはこう答えてくださいました。 「作品で一番大切なのは『色』なんですね。色は感情、形は理性。作者がこんな心を表現したいと感じた時にまず思うのが『色』。これは、地色として表現されることが多いです。その次に『形』がきます。『形』はお召しになる方の身長を考えて大きさ、位置、角度を決めて描き『色』の魅力がさらに増すようにします」 そして、色の中でも「白」が最も重要であると仰います。 「生地の持つ白、それが美しく冴えていないと、形も色も美しく見えない。作品としての品の良さが出てこないんです。私の作品には必ず、何にも染まらない『白』があります」 今回お作りいただいたプラチナボーイの訪問着「道長取り辻が花」も、茶紫の濃い地色に白場が神々しいばかりに冴え、厳かな雰囲気をたたえています。 「いい地色でしょう。艶やかで何とも色っぽい。桃山時代の豪快な柄付けには憧れがありましたし、辻が花に金箔の組み合わせもとても良い仕上がりだと思います。こちらはぜひお召しになった姿にお目にかかりたいですね」

小倉淳史さんが「絵がく」平成の辻が花、そして未来へ

九寸染名古屋帯 「牡丹」 九寸染名古屋帯 「牡丹」
小倉淳史さんの作品の中には「これも辻が花?」と驚くような、新鮮なデザインのものが多くあります。中にはカチン墨による墨描きのないもの、西洋の花が大胆に染められたものも。 「辻が花というと、室町時代から安土桃山時代にかけての古典的な図柄をイメージされる方が多いのですが、絞り染めで絵模様が表現されていれば、それは辻が花といえます。
これらは桃山時代にはない辻が花、平成の辻が花なのです」 工房には現在、二人のお弟子さんがいらっしゃるとのこと。一人は入って6年目の男性、もう一人は1年目の女性だそうです。 「なかなか根性がありますよ(笑)。何とか育てあげて、次の時代に繋げたい。私の考えをもとにそれぞれが、それぞれらしいものを作ってほしいと力を注いでいます」 染めの道に入られて50年。過去の辻が花を復元し、未来の文様を工芸展で発表され、現代に生きる皆様のための作品を染め続ける日々の中、いつも小倉さんは「お客様が手を通され、帯を締められて初めて完成します」と仰います。繊細な手しごとが作りだす五感に訴える美しい色彩を、ぜひ近くでご覧いただき、作品と一体となっていただきたいと願っています。

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