「かざり工芸三浦」4代目三浦孝之さん ぎゃらりートーク開催レポート

2011年5月1日(日)~22日(日)まで、銀座もとじにて開催した『銀座もとじの浴衣と夏コモノ』展。
5月14日(土)には、舞踊家や歌舞伎の床山さんからの受注を専門としている本格派の江戸簪職人

4代目三浦孝之さん ぎゃらりートーク

「かざり工芸三浦」4代目三浦孝之さんをお迎えして、 ぎゃらりートーク開催させていただきました。

三浦孝之さん作品
代々、飾り職人を続けられてきた三浦家。

現在は4代目 三浦孝之さんが継がれ、歌舞伎や日本舞踊などの演劇用簪を手掛けられ、 床山さんらとともに歌舞伎の巡業にもまわられていらっしゃいますが、 なんと、この床山さんとの仕事は、4代目の孝之さんから始められた仕事なのだそう。

しかも現在、床山に出入りしている飾り職人は、三浦孝之さんたった一人。

三浦孝之さんは、今の歌舞伎公演になくてはならない存在。 しかし、三浦さんもすんなりとこの道に進んだわけではありませんでした。

4代目 三浦孝之さんが床山に出入りするようになるまで

「小さい頃から父がよく山に連れて行ってくれました。動物や植物に触れることが多く、 自然のモチーフは早い時期から興味があり、好きでした。」 家に帰れば父や祖父がかざり工芸を作っているという環境。でも当時は市販の、一般庶民が楽しむためのものを 制作している家でした。三浦さんもその横でよく、仕事を見ていたといいます。 「でもこんなに細かい仕事はやりたくないと思っていました。」 それでもものづくりや表現することは好きだったので、高校を卒業後には絵の専門学校へ。 広告デザイナーを目指し、卒業後には5年間、広告関係の事務所で働くことになります。
4代目三浦孝之さん 道具

そんな時、祖父の他界。違う道を進んだとはいえ、ずっと気になっていた~三浦家の仕事”を 改めて考えるきっかけに。三浦さんは、“家業を継ぐ”方を選びました。 26歳。「ずっと見てきたのに、いざ手にしてみると何もできなかった」 一から父に教わり、身につけた技術。そして父とともに市販のかざり工芸を作っていた三浦さんの中に、 ふと浮かんだ“先代たちと同じものをしていてもおもしろくない”という想い。

三浦孝之さん作品
何かないか。そう想い、視野を広げ、仕事を続けていく中で出会った“床山の飾り職人がとだえている”という事実。 当時、受注の減少から床山から飾り職人が姿を消し、床山たちは新しい飾りは作れずに、 自分たちのストック分でやりくりをしていたそう。 そこへ、三浦さんが名乗りを挙げたのです。
「最初は床山さんたちも扱いに戸惑っていました。でも実際、飾り職人がいなくて床山さんも困っていたんですよね。 少しずつ関係も作り上げていって。なにより床山さんたちが私を育てていってくださいました。」

もっとこうした方がいい、ああした方がいい。 床山たちと相談し、作り上げてきた“床山に出入りする唯一の飾り職人”の道。 現在40代。文化を継ぎ、現代に生きる。三浦さんの躍進はまだまだ続きます。

三浦孝之さんのデザイン

今回お店には歌舞伎で使用する大きな簪もお持ちいただきましたが、こちらは非売品。 商品としてご紹介できるお品は、簪、帯留、また根付は男性にもお楽しみいただけるデザインもあります。

現代的な柄というよりは、江戸時代からの古いデザインをモチーフにされているものが多いのですが、 装飾が多い“びらびら簪”でも、全体がすっきりとして、バランスが本当に美しいものばかり。 「一番難しいのはトータル的なバランス」と仰る三浦さん。

舞台用の簪

伝統を踏まえながらも現代性を感じる、空間が計算され尽くしたデザイン性は、ずっとこの道一筋ではなく、 広告デザインも勉強されていたからこそかもしれません。

簪について

かんざし「心に錠」
簪は、先がとがっているので元々は魔除け意味があり、頭にさすと良いとされていました。

身につけるものとして、モチーフにもさまざまな想いが込められたものが多くあります。 例えば「心に錠前」。これは江戸時代からのデザインで“心に錠をかける”の想いが込められたもの。

男性が女性へプレゼントして「一緒になってくれ」という告白の道具だったそう。 とてもロマンチックで、会場からもため息がこぼれました。

洋をイメージしたモダンな和装小物ももちろん素敵。 でも日本にずっと伝わってきた想いや語り、技術によって作られた小物は、 日本人の私たちにとって特別な力があるように感じられました。

店主 泉二 三浦孝之さん
(左から)店主 泉二、三浦孝之さん

装いにプラスする簪や帯留、根付。脇役にしておくだけではもったいない。 時にはそれを主役に楽しんでみたい、そう感じた素敵なトーク、三浦さんありがとうございました。