
竹内淳子さんは、織りものや染めもののみならず、人間がつくりだしてきたあらゆる物とその生活に関心をもち、全国各地を歩き回り、その合間をぬって執筆や講演などをされていらっしゃる、民俗学者、日本民族学会会員でいらっしゃいます。
「ものと人間の文化を研究する会」を主宰され、「藍」「草木布」「紅花」「紫」(以上 法政大学出版局)、「民芸の旅」「現代の工芸」(以上 保育社)、「木綿の旅」(駸々堂)、「織りと染めもの」(ぎょうせい)、「工芸家になるには」(ペリカン社)など多くの著書を出されています。
はじめに・・・ 「民俗学」とは?
「民俗学で欠かせないこと。
それは、その土地に赴き、歩くこと。
山を越え、路地を行き、暮らしを見る。
春夏秋冬、季節を変えて何度も行く。
そして村の人たちと親しくなって、
はじめて本当の話が聴けるのです。」
民俗学とは、宗教、寓話、習俗や行事など、物質的な形の無いもの、そして衣服、生活用具、家屋や食器や和紙などの、物質的に形を有するものといった、古くから民間で伝承されてきた有形、無形の民俗資料をもとに、人間の営みのさまざまな現象の歴史的変遷や自然風土による特色などを明らかにし、それらを通じて現在の生活文化を相対的に比較考察し、説明しようとする学問です。

そのように、お仕事の内容をご説明いただく先生の、対象に向けられた眼差しはあたたかく、好奇心に満ちていて、伺ったお話からは、先生の出会われた人の声、道具などのぬくもりがこちらにも伝わってくるようでした。
「凍えそうな寒い山の中に辿りつくと、そこに佇む家屋の中と外は、障子一枚にしかへだてられていない、というようなところもあったりするのですね。」
書物をひもとくだけでは知りえない、どのような人々が、何を纏って暮らし、どういった日常が繰り広げられているのかということを、その土地へ足を運ぶことで、初めて見えてくることが多々あるそうです。土地に赴く前には、古典でも万葉集でも何でも紐解き、ヒントを得てから出掛け、訪ね歩く、という竹内先生。事前に得ておいたヒントを訪ね歩くことで、その周囲がわかり、身ひとつで、自由自在に山を越え、路地を行き、人々に出会い、親しくなることが可能になる、とおっしゃいます。
「村の人と親しくなるからこそ話しがきける。親しくなるには、季節を変えて、春夏秋冬、行きます。観光シーズンだけいってもだめなんです。通年のくらしを知って、住んでいる人たちと親しくなって、人とものとの関わりをより深く知って、それを記録して、本を書きます。」
素晴らしい職人の技に、感動せずにはいられない
「福島県会津地方では、昔から女児の誕生のお祝いに桐の苗木を植え、その子が成人して嫁ぐときがきたら、その桐の木を切って箪笥を作り、嫁入り道具として持たせてやる、という風習がありました。」
竹内先生は、以前に良質な桐の産地として知られる喜多方地方へ取材に行かれたそうです。いまは、“喜多方ラーメン”で知られる喜多方ですが、桐下駄の名産地でもあります。
桐の下駄は、「柾目(まさめ)」が、きちっと通っているものが、一番いい上等の下駄で、「柾目」とは、木を縦断したときの、年輪に対して垂直な面に見られる、木目がまっすぐな木材のことをいいます。縞模様を成したその木目の美しい木材で切り出した下駄を、かんなで削る職人さんがおり、その切り出した下駄の表面を綺麗に削れば、その削られた表面は輝くようななめらかさで美しく仕上がり、左右の下駄の表同士を合わせたときに、ガラス板を二枚合わせたかのようにぴたりと吸いつくように合わさって、落ちないのだそうです。
「木の素材からできた下駄が、ガラスのようになめらかに削られて、表面同士がくっつき離れなくなるほどの見事な職人技を現しますが、その下駄に鼻緒の穴をあけてしまえば、そのガラスのような吸いつきは、人に見せられる技ではなくなります。鼻緒をすげられてからは、その職人の技はまるで何事も無かったかのように、下駄屋さんに並びます。下駄は何も主張しません。
けれどその幻のような職人の技に感動せずにはいられないのです。やはりそういうことが本物の技術なんです。わたしの見たことが、職人の技が、そこにあるのです。やはりそういうことは書いておかなければなりません。情熱がそこにあるのです。」
福島県昭和村の「からむし」

昭和村は、猪苗代湖から少し西側だったので、なんとか大丈夫ではあったのですが、やはり震災後、余震が頻繁に続いております。そんな中で、5月10日には、昭和村の方から、『からむしが新しい芽を出しています』という便りが送られてきました。」
新しい芽が出ているという知らせが先生のもとに届いてから、3週間ほどたった今では、成長の早いからむしなので、何十センチかに伸びている頃なのだそうです。
震災では、なんとか大きな被害はまぬがれた昭和村のからむしですが、600年以上も前から生産されつづけてきた、貴重な文化遺産である「からむし」が、現在は存続の危機にもさらされており、大きな課題に直面しています。
「いくら一生懸命に、古来の方法で丁寧に苧麻の糸を績んでいっても、もはや越後上布や小千谷縮の原料として買いとられるわけではなく、作ったものが売れ残っていってしまうのです。1940年より少し前、まだ、木の繊維、草の繊維、みんな衣料にした時代でもあります。昔織った人々に手伝ってもらって、越後地方や小千谷に材料として提供するだけでなく、ここ昭和村で、我々自身でも織ってみようということになり、村で織る人を募集しました。昭和村では、「織り子さん」とはいわずに、「織姫」といいます。“織姫さん”という言葉も大変新鮮でした。」
生産農家が作りだす「原麻」(糸に加工する前の段階)は、新潟の越後上布・小千谷縮布技術保存協会に供給されてきましたが、越後上布・小千谷縮の需要が戦後から現代にいたって、激減してきました。また、生産農家の高齢化、後継者問題が深刻な中で、需要のある越後上布・小千谷縮のためには、高度な技術を維持しながら上質な苧麻を栽培し、原麻を供給し続ける必要があります。
上質な原麻を供給し続けるために、古来から受け継がれてきた技術で一生懸命苧麻を栽培し続けていますが、原麻が在庫として残ってしまうという問題点が生じています。せっかく丁寧につくられたその貴重な原麻を何か有効利用していけないか、ということから、昭和村では糸となる苧麻の栽培、原麻の生産をするだけでなく、自ら、からむし織りの“織り手”を養成するための「織姫体験生制度」というものを発足して、平成6年より、全国に織姫体験生の募集を行うなどの試みを始めました。この制度は、当初女性のみを対象としていましたが、現在では男性も募集対象に加わり、「からむし織体験生『織姫・彦星』事業」として全国から体験生を受け入れ、「からむし織」の新たな担い手を育て、昭和村の振興に取り組んでいます。
苧麻と大麻の違い
と竹内先生。「からむし」は、イラクサ科の多年生植物の宿根草で、日本を含むアジア地域に広く分布しており、古来から衣料としての繊維をとるために栽培されてきました。
「一方、「麻」(大麻)というのは、蚕の食べる桑と同じクワ科で、種をまいて、芽が出て育つものです。

からむしは、宿根草なので、根があり、そのことだけでも栽培方法が全然違います。」
中央アジア原産のクワ科である麻(大麻)も、からむし同様古代から重要な繊維植物として栽培されてきましたが、まっすぐに直立した茎は、からむしより高く、1mから高いと3m近くなります。
どうして、その両者が同じ「あさ」になったのか、という理由に、民俗学よりも、言語学において、接頭語として置かれていた「あ」に、苧麻の「そ」(苧)がつながって、「あさ」となり、「麻(あさ)」と同一になったのでは、という一説があるそうです。
日本語で、元来「麻」というと、一般的に大麻から作られた繊維を指し、植物の背丈がまっすぐに大きく成長する特徴から、大麻(たいま)と区別して呼称されてきたようですが、苧麻とともに茎の内皮から繊維が取れ、古来より広く利用されてきたことは共通していますが、植物学的な分類体系も異なり、葉の形状も違います。
「麻の蚊帳がありましたが、重いんです。子供部屋で、お母さんから、『蚊帳をしまいなさい!』と言われたら、重くて一人では、持てないのですね。重いということは、苧麻と違って、麻は、繊維が細くはならないのです。ある程度の細さにしかならないのと、苧麻と違って、つやがないのです。麻のお着物で、蝉の羽のような薄くて軽いものをつくろうとしたら、麻では無理なんですね。』
いまだにあまり明確に認知されていないその「麻」と「苧麻(からむし)」の違いを、区別して知っていただきたい、と竹内先生は訴えていらっしゃいます。
苧麻(からむし)は、1m70cmくらいの高さに伸びますが、風に弱い植物であり、もし倒れて茎が折れたら、繊維として使いものになりません。驟雨や台風がくると、多少時期が早くとも、風で倒れる前に刈り取ることもあるそうです。そのために、まだからむしの茎の小さいときから囲いをして、大事に大事に育てるそうです。
「囲いの一つとして、隣に大麻を植えて、その大麻を育てるんです。隣に高い植物があると、からむしも一生懸命伸びようとして、良く育つんです。風はよけてくれるは、からむしは、高く育ってくれるはでいいことだらけです。(笑)」
同じ「麻」という名前にくくられて区別のつきにくい、からむし(苧麻)と麻(大麻)ですが、こうしてお互い仲良く隣り合って育ち、古来から人間の暮らしの中に沢山の恵みを与えてきてくれているようです。
「績」「紡」「紬」、「紡績」
春から夏にかけて、からむしの畑の雑草取り、畑焼き、苗の植え替えを行い、そして人の背丈ほどに成長したところを刈り取ります。夏には、刈り取ったからむしの繊維部分を取り出すための「苧引き(おびき)」を行います。
「苧引き」とは、からむしの茎の外皮を取り除き、内側のやわらかい内皮の靭皮繊維(じんぴせんい)を道具を使って取り出すことをいい、上質な繊維を取り出すために最も熟練を要する作業工程です。靭皮繊維とは、和紙の原料となる楮(こうぞ)などの木の繊維と同じです。※写真中央が苧引きの台
その取りだした繊維の透明な内皮が、「青苧(あおそ)」と呼ばれ、布を織る原料となります。青苧は少しずつ束ねて、陰干しします。じっくりと時間をかけて完全に乾燥させて、「特上」「上」「並」など等級別に選別していきます。

その後、年を越してからの冬の間は、織りの作業を行います。
「績」
「苧績み(おうみ)」とは、なぜ「績む」のでしょうか? 経糸を1200本~1300本使って織りあがったものをご覧になると 本当に薄くて綺麗な繊維だとわかるのですが、この績むという作業はなかなか大変でしてね、<長い繊維を繋ぐ>という意味があるのですが、乾燥したからむし(青苧)を細く爪で裂いて、太さが均一になるように、先端を撚りながら繋いでいきます。」
「紡」
「紡ぐ・紡績、これは主に綿ですね。木綿のような短繊維の繊維を引きのばして、長い糸にしていきます。」
「紬」
「紬、これは絹です。長い繊維から、紬ぎだします。よくつないで機(はた)にかけられるほどの撚りをひいていきます。機織(はたおり)って、引っ張ってますよね。するするぬけてきてはしょうがない。撚り繋いでいくのです。もし切れたら機の上で手で繋がなくてはならないのです。機の上で結ぶので、『機結び』といいます。糸をそんなに沢山ひっぱらなくてもほんの少しで結べるんです。覚えるととっても便利なんですね。」
「紡績」
原料の繊維の状態から、糸の状態にすることを紡績といい、おもに綿や羊毛、麻などの短繊維をつないで糸にしていく工程を紡績の機械で行います。
「綿花の糸を紡いだ木綿糸も羊毛糸もみんな紡績です。なんでも機械がやってくれるから、どんな繊維でも糸になるかといったら、できる糸とできない糸があります。繊維というものにはよしあしがあり、いい繊維でないと、紡績はできないのです!
糸も、紡績と聞いたからといって、質が落ちるという考えは、間違いです。いいものを作るためには、いろいろな見えない苦労を経ています。いろんな歴史を調べてみると、人間というのは、表面だけいいところを見せて、これが良いものなのですよ、と言うことはやはりできません。
柾目の下駄と同じように、下駄は何も主張をしませんが、でもそれは、柾目の木材からできています。柾目だからいいのです。柾目というのは、年輪が細かく綺麗にできていないと、柾目にはならないのです。そのためには、木を植えっぱなしでは、そのような美しい木材は生まれないのですね。」
モノというものは、いろいろな存在の仕方があり、それぞれいろいろな表情を持っています。人間の暮らしの中に息づく文化を知ることは、本質的な豊かさを人にもたらしてくれるものではないでしょうか。
モノに潜む物語、モノが秘める豊かさを感受する力をより深く養っていきたい、と竹内先生のお話を伺っていて思います。
そして、人を豊かにしてくれる文化的な財産を守って行きたいと切に願わずにはいられません。

麻とは違う“からむし”の繊維の良さをぜひ理解していってもらえたら、と願う竹内先生。 「そうすれば、からむしは何の虫?なんていう人は、いなくなるかもしれませんね(笑)。」