江戸小紋師・藍田正雄 ぎゃらりートーク開催レポート

藍田正雄 ぎゃらりートーク

2011年8月18日(木)〜21日(日)まで、銀座もとじにて『江戸小紋師 藍田正雄展』を開催いたしました。8月21日(日)には、藍田正雄氏をお迎えして、ぎゃらりートークが開催されました。

当初、『江戸小紋に生きる 藍田正雄』個展催事のぎゃらりートークは、3月17日に行われる予定でした。作品の制作に励んでくださった藍田正雄先生とともに皆様とお目に掛れる日を楽しみにさせて頂いておりましたが、ぎゃらりートークの会は自粛をさせていただきました。

日本中が不安定な3か月経つ中で、6月、藍田正雄先生は旭日双光章を授与されました。それは、私たち銀座もとじ一同にとっても、大変嬉しいお知らせで、一歩一歩懸命に続けることの大切さを改めて先生に教えられ、進む道に光を照らしていただいた出来ごとでした。

日頃より藍田正雄先生の江戸小紋をお召しくださり、支えてくださる皆様にも是非、この嬉しい報告をさせていただきたいと思い、この度の会を開かせていただきました。

常に時代に挑戦し先頭を走り続ける藍田正雄先生、それに負けまいと追い続ける代表の泉二弘明、今回のぎゃらりートークでは、先生との出会いの時のお話も含め、お二人からお話をお聞きしました。

旭日双光章 授与

これまでの地道でひたむきな一歩一歩が、顕著な素晴らしい功績として認められ、2011年6月18日に旭日双光章を授与された藍田先生、叙勲式の後、賞状と勲章を携えての帰宅後、病床にあられる奥様と喜びを分かち合われたそうです。江戸小紋の職人として食べていけるようになるまでのつらく厳しい日々、藍田先生が様々な苦労を乗り越えながらも作品が世に認められたとき、弟子たちの成長や活躍を目の当たりにするとき、どんなときも常に苦しみや喜びをともにしてこられた藍田先生と奥様は、とても強くあたたかい絆で結ばれています。
江戸小紋師・藍田正雄 ぎゃらりートーク

「今回いただいた賞状と勲章は、半分は妻のおかげ、そしてあとの半分は、皆さんがお召し下さっているおかげだと思っています。」

そして、藍田先生は、「銀座もとじ」の店主 泉二もこだわりを持って店舗を構えてきた“銀座”という地に特別な思いがあるといいます。

江戸小紋を愛し続けてきた藍田さん、その最大の魅力を「品格のあること」とおっしゃいます。藍田さんの作品の世界を作り上げている「色」は、銀座の街並などで歩かれている方の雰囲気に合うものとして制作されているそうです。

染めることが大好きな藍田先生の心には、いつもこの銀座の街風景や街並を歩く人々の姿が刻まれており、特別な品格のある、そして現代の街並みにも似合う素晴らしい作品の数々が生まれています。

「今回、素晴らしい賞をいただき嬉しく思っておりますが、賞もらったからこれでいいということは決してありません。これからも、ひたすらに突き詰めていきたいという思いです。

江戸小紋師・藍田正雄 ぎゃらりートーク

目から飛び込んでくるものをすべて、何か作品に活かしていけないか、といつも考えています。
わたしたちは、父から受けついだ技術、作品づくりに取り組む中で生まれる新しい技術、そういったもので特許を取ったりしようとは考えません。江戸小紋を守り、後世に残すためには、自分の技術を惜しみなく弟子たちに伝えます。

そして、常に時代を意識し、お客様の声に耳をかたむけ、お客様がお召しになられる江戸小紋の現代のカラーをつくっていくため、弟子たちともお互いに切磋琢磨しあっています。

伝統というのはそうあるべきではないかと考えています。賞をいただいたからといって、わたしたちの進むべき道はかわりません。」

藍田正雄先生と店主 泉二弘明との出会い

江戸小紋師・藍田正雄 ぎゃらりートーク
江戸小紋師・藍田正雄 ぎゃらりートーク
藍田先生の人となりに惚れに惚れ込んだ店主、泉二弘明。「わたしが呉服業界に入ったのは、昭和45、6年頃です。そのころは、非常に大量生産、大量販売の時代で、作れば売れた時代でした。

入園入学のときには、色無地や江戸小紋など、日本中の親御さんたちがこぞってお召しになられて、着物が飛ぶように売れた時代を見てきました。」
そして、同時にそのころから、シルクスクリーンという大量生産が可能な方法での、江戸小紋の商品が出始め、こだわりを持ってものづくりをしている職人や型彫り師たちの仕事が、大量生産品におされはじめていた時代でした。
世の中は大量生産から大量消費、そしてオイルショックの時代を迎え、やがて職人仕事に価値を見出す風潮は、消えつつありました。

そういった時代の流れは否応なく、藍田先生にも厳しい現実を突きつけてきました。大好きな江戸小紋の制作では、もう食べていくことができない。工房から帰宅すると、六畳一間の家で、万年筆のキャップを取りつける内職をしていた妻が藍田さんの帰りを待ち、「ご飯が食べられる仕事をしてくださいな」と懇願されるほどに生活は困窮を極めていました。

もう仕事をあきらめ、お弁当屋さんに就職するという決断をしていた藍田さんでしたが、あきらめきれずに最後のチャンスに望みを託すべく動いた日、自分の運命を変える奇跡の出会いが訪れます・・・

藍田先生に憧れつつもなかなか出会う機会の無かった長年を経て、2002年からミセス(文化出版局)という雑誌の誌面で、こだわりある物作りをしている作家の方々のもとを取材する「着物紀行」という連載の企画がはじまりました。

その企画で、店主の泉二は、プロデュースを担当し、2002年から約7年、その取材・撮影のために全国の産地を周っていたのですが、その際に、藍田正雄さんを取材させていただくことが叶い、念願の藍田先生との出会いを果たすことができました。

「先生の仕事の打ち込み方、人となりに本当に惚れに惚れ込みました。それからお付き合いをさせていただいています。また、素晴らしいのは、お弟子さんたちを育てる姿です。

『堂々と真正面からすべてを教えてこそ伝統』

そういい切る藍田先生の職人としての生き様や情熱には、強く感銘を受けています。」

店主 泉二にとっても、“持てるべき情熱をどれだけ長く究めることができるか”ということの大事さを、いかなる仕事においても、夢追う人間の姿としても、何より大切なものとして常々熱く語っており、そういった意味では、情熱を持って熱く突き進む姿は、藍田先生と店主泉二は、似た者同士、信念を持つ者同士、長くお付き合いさせていただいている所以かもしれません。

伝承・歴史を刻む資料の収集

江戸小紋師・藍田正雄 ぎゃらりートーク
「昭和46年のころには、江戸小紋の薄い型紙が、シルクスクリーン化されて、手作りのものがパタっとなくなりました。そのときといえば、今年の3月11日の震災後に仕事がぱたりとできなくなったかのような静けさでした。」

シルクスクリーンとは、型紙を写真版にして布地に転写する方法で、高速で大量に印刷することが可能な技法です。シルクスクリーンの登場で、残念ながら伊勢型紙の出番はますます少なくなりました。

そして、伊勢型紙を彫刻する職人は、どんどんといなくなってきました。このままでは長い歴史と伝統の上に成り立つ、素晴らしい伝統工芸品であり、江戸小紋の命である「伊勢型紙」の存続は難しくなると危機感を感じた藍田先生は、なんとか残したいという、その一心で伊勢に通いはじめました。そして、私財をなげうって“伊勢型紙”の保存・育成事業に取り組みはじめたのです。

店主 泉二も、藍田先生の江戸小紋を愛し、伝統を守り抜きたいというその熱意に心打たれ、2009年には、「伊勢の型彫り師と僕自身の歩んできたことを、皆さんに届けたい。」という藍田先生の思いを形にするべく、銀座もとじにおいて、『小紋師・藍田正雄 伊勢型紙・型彫師との歩み』と題して、2009年11月5日〜8日、催事を開催させていただきました。現役で活躍される型彫り師の方々4名をお迎えして実演していただきました。

また、藍田先生は、伊勢型紙の縞彫の人間国宝であった児玉博さんの仕事に惚れ込み、何度も通って型紙を譲っていただけるよう懇願を続けます。やがて藍田先生が求める型紙を彫ってもらえるようになりました。
江戸小紋師・藍田正雄と店主 泉二弘明
江戸小紋師・藍田正雄と店主 泉二弘明

その後も付き合いが続いていましたが、児玉氏が亡くなられ、そのあとには身内の方に頼みこんで、残っていた貴重な型紙を譲ってもらったそうです。

そして、藍田先生が、江戸小紋師として人生を歩むための最後のチャンスを与えてくれた恩人でもある「岡巳」の社長からは、岡巳が会社をたたむときに社長が収集していた裃八十点、江戸時代の打掛などを譲り受けるなど、後世に江戸小紋を残していくための様々な資料を収集・保存しておられます。

ご自分が職人であるからこそ、技術を次の時代に伝えていかなければならない、という使命、その一方で現代に合う工夫もしていかなければならず、そのためにはまず昔の技術がどんなものだったのか、その基礎を知ることが必要だ、と 江戸小紋を後世に残すための資料の収集も欠かさない藍田先生。職人としての技の素晴らしさだけでなく、その生き様、人となりに惚れ込んだ店主 泉二。

これからも銀座もとじとして、ともに藍田先生の夢を形にするお手伝いができ、江戸小紋という作品の素晴らしさを次の世代にも伝承していく一端を担えたら、これほど嬉しいことはありません。