粘り強い開発による「締機(しめばた)」の登場~歴史的大発明~

粘り強い開発による締機の登場~歴史的大発明~|大島紬の歴史を辿る

~明治時代中期 その2~
粘り強い開発による『締機(しめばた)』の登場 ~歴史的大発明~

「大島紬」というのは、明治・大正・昭和にかけて、全国的な人気を博した織物であるだけでなく、世界の織物の中でも、他に類を見ない2つの特徴を持ってその名を広めました。

ひとつは、第3回目の「江戸時代中期・後期 初期の『大島紬』と泥染の発見」でご紹介した「泥染(どろぞめ)」です。泥によって黒く糸を染め、しなやかで光沢感のある上質な織物を生み出しました。

大島紬の反物
もうひとつが、絣の括り方が世界で他に類を見ない特殊な方法によるもので、またそれにより、世界で最も緻密な絣柄が実現したことです。

「絣」とは、糸を綿糸や麻糸などで、括(くく)ってから糸を染めることで、強く括られた箇所は、白く染め残ります。

その染め残った箇所が、絣柄の紋様を構成します。インドが起源と言われ、世界各地で見られる染めの技法のひとつです。

1907年(明治40年)頃、奄美大島では、それまで手で括っていた絣を、機織りのような原理で機を使って括る、『締機(しめばた)』が開発されました。現在にいたる「本場奄美大島紬」の、世界で最も精巧で緻密な細かい絣柄を作りだす技術が完成したのです。

締機

明治35年ごろ、奄美市笠利町出身の重井小坊(しげいこぼう)氏によって、機を使った織締めによる絣作りが研究されて、「締機」が開発されていたのですが、実用化に至る前、明治40年に36歳という若さで早逝してしまいます。

締機の後に染められた糸
しかし、その後、重井小坊の工房にも出入りしていたと言われる永江伊栄温(ながえいえおん)氏によって、絣締加工法が完成され、明治42年頃に公開されました。これが現在も行われている絣作りの「締機(しめばた)」です。

「締機」の完成に至るまで、永江伊栄温(ながえ いえおん)のもとで、実際に開発研究に深く携わったと言われる昇庸実(のぼりようざね)、庸実の長男、昇冶太郎(のぼりじたろう)による、4年がかりの開発でした。
糸や布を染め分ける方法は、人類の歴史とともに世界の各地で生み出されてきましたが、この日本の南西洋上に浮かぶ小さな島で開発された「締機(しめばた)」の登場は、歴史的大発明といえるほど画期的なものでした。この技術により精緻な絣模様の紬が生産できるようになり、大島紬の声価はますます高まって行きました。

明治40年代初頭、「締機」の登場による絣模様の表現の広がりが人々をさらに魅了し、絣加工が何倍も能率化した「大島紬」は、新しい時代を歩み始めたのです。